【わかりやすい神話の世界】アダムとイブに投影された人類の罪とは

アダムとイブその他
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人類が犯してきた愚かな行為のすべてに責任がある、といわれる所以は最初の人間であるアダムとイブでしょう。なぜ人間は失敗ばかり起こすのか、その多くをこのふたりの中に多くみることができます。すなわち、嫉妬や暴食、色欲に知識欲、そして、「言いつけに背いても何とかなるであろう」という強い思い込みです。

アダムとイブ

神が男性をつくり、さらにそこから女性を作る。男性は女性に出会い、悪にそそのかされて女性を欲し、最終的には男も女も楽園から追放されてしまうーこのような物語は、多くの宗教や文明の”創生神話”に形をかえ、繰り返し伝えられてきました。今日は創世記を元に、アダムとイブに投影される『人類の罪』を紐解いていきます。

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アダムとイブの寓話

アダムとイブエデンの園で神によって創造されたアダムは「園の木々の果実はどれを食べても良いが、知恵の木の果実だけは食べてはならない」といわれた。その後、神はアダムの肋骨からイヴを創ってアダムの妻としたが、イブは蛇にそそのかされて知恵の木の果実を取り、夫であるアダムにも与えて2人で食べたしかしそのことを知った神は2人をエデンの園の東方に追放した。

アダムとイブ

アダムとイブの寓話には、ミソジニー(女性憎悪)の要素が色濃く現れています。なぜならこの寓話は、人類の堕落を、それこそイブのせいだとしている節があるからです。蛇に姿を変えたサタンにそそのかされた彼女は、禁断の木の実をアダムへとすすめます。アダムは木の実を口にした瞬間、自分たちが一糸まとわぬ裸だということに気づくのです。

 

全ては、イブをそそのかしたヘビのせい?

アダムとイブ

このときキリスト教の聖書も、ユダヤ教のタルムードも、イスラム教のコーランも、サタンという生粋の悪役を登場させます。つまりそれは、以降に起きることはすべて、常に誰かのせいにできるようになったのです。ことを意味するのです。キリスト教でもイスラム教でもユダヤ教でも、話に大きな違いはありません。

アダムとイブ

神が土または粘土からアダムを創造し、次にアダムの体からイブが作られるー。

イブを誘惑する蛇には諸説あり、単に生まれたばかりの創造物に対する”神の試練”として描いている場合もあれば、人間という新たな生き物の出現に腹を立てた”堕天使サタン”として描いている場合もあります。「神の似姿としてつくられた人間は、神に服従すべき存在だ」とする神の言い分がまた、サタンの怒りを増幅させたともいわれています。

アダムとイブ

ちなみにどの話にも木の実は出てきますが、それが林檎だとする記述は創世記にはないのでした。

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人類すべての祖先

女性

実は、DNA解析によって、人類共通の祖先とめされるふたりの人間の存在が突き止めれています。

すべての女性は母親から、ミトコンドリアDNA (ほとんどの細胞内に数多く見つかる構造体)を受け継ぎます。このミトコンドリアDNAの系譜をさかのぼると、20万年前に生きていた、全人類共通の女系祖先というべきひとりの多産な女性にたどり着くのです。彼女こそ「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれる人類全員に共通する1万代前 (数世代は前後するかもしれないが)の曽祖母にあたる、というのです。

男性

Y染色体 (通常、男性の細胞にしか存在しない糸状の構造体)を使った同様の調査研究により、人類共通の男系子孫「Y染色体アダム」が、今からおよそ9万年前に生きていたこともわかりました。アダムとイブとのような原初の人間ではないにせよ、ミトコンドリア・イブとY染色体アダムもまた、われわれ人類共通の祖先ということになるのです。

 

エデンの園

モデルとなった4つの河川

エデンの園

かつてエデンの園があったといわれる場所には、それこそ聖書にその様子が描かれているだけで具体的な記述はありません手がかりといえば、4つの川があわさるというくらい。これはディグリス、ユーフラテス、ビション、ギホンのことだと思われますが、この後者の川2つは今では影も形もありません。

川

エデンの園自体は、一般的にはペルシャ湾沿岸のどこかまたはトルコのアナトリアにあったと考えられています。

 

楽園の喪失

アダムとイブ

最後の氷河期が終わり、水かさが増したせいで、ビジョン川とビション川はみずから作り出した肥沃な土地もろともペルシャ湾に沈んでしまい、それが「楽園の喪失」というエピソードになったという説もあります。

実際、「エデン」と「アダム」は、シュメール語以前の言語で、それぞれ「肥沃な平野」と「移住」を意味すると考えられています。神の怒りをかった結果としてこの地を失ったことが、エデンの園からの追放という聖書のエピソードにつながったのではないか、富と資源を生む肥沃な土地で安楽に生きる暮らしは、それによって終わりを告げたのだ、と。

 

人類発祥の地は、アパラチコラ川の沿岸?

エデンの園

ところが、ある説によっては、人類発祥の地はフロリダを流れるアパラチコラ川の沿岸だということになります。

エデンの園の所在地を75年にわたり、研究したキャラウェイは、証拠として創世記の2章10節を引用しています。そこには「またひとつの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから別れて4つの川となった」と書かれています。キャラウェイによれば、4つにわかれる河系は世界中でアバラチコラ川しかないというのです。

常緑針葉樹

彼はまた「ゴフェルの木」という聖書の記述を、フロリダのパンハンドル地方にしかみられない、常緑針葉樹であるフロリダガヤとも結びつけました。しかし、聖書に登場する「ゴフェル」という言葉が何を意味するか、それが正確に何の木を指しているか答えはまだ出ていないのでした。

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楽園からの追放

アダムとイブが築いた家庭

アダムとイブの楽園追放

神の怒りをかったアダムとイブは、2度とエデンの園に戻ることを許されませんでした

楽園を追われた2人は、悲惨な待遇でたいていの男女がすることをして家庭を築きます。これだけ聞くと幸せなようにみえますが、この家庭は円満なものではありませんでした。息子の1人であるカインは、弟のアベルを殺してしまったのです。

 

人類最初の殺人の被害者・加害者

アベルを殺すカイン(ピーテル・パウル・ルーベンス画)

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの神話においては、カインとアベルは『人類最初の殺人の加害者であり被害者』とされています。ふたりはアダムとイヴがエデンの園を追われた(失楽園)後に生まれた兄弟です。カインは農耕を行い、アベルは羊を放牧するようになりました。ある日2人は各々の収穫物をヤハウェに捧げます。

カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げましたが、ヤハウェはアベルの供物に目を留め兄カインの供物は目を留めませんでしたこれを恨んだカインはその後、野原にアベルを誘い殺してしまいます。その後、ヤハウェにアベルの行方を問われたカインは「知りません。私は弟の番人なのですか?」とこたえました。これが”人間のついた最初の嘘”とされています。

 

逸話にこめられた意味

アベルの死を嘆くアダムとイヴ(ウィリアム・アドルフ・ブグロー画)

しかし、大地に流されたアベルの血はヤハウェに向かって彼の死を訴えました。カインはこの罪により、エデンの東にあるノドの地に追放されたのでした。この時ヤハウェは、もはやカインが耕作を行っても作物は収穫出来なくなる事を伝えました。

カインとは本来ヘブライ語で「鍛冶屋、鋳造者」を意味し、追放され耕作を行えなくなったカインを金属加工技術者の祖とする解釈も行われています。アベルとは「息」(=「霊、命」)を意味します。この説話を、「遊牧民(=アベル)と農耕民(=カイン)の争い、遊牧民の農耕民に対する優越性を正当化するもの」と、解釈する向きもあります。

 

アダムとイブが犯した罪

アダムとイブの罪

さて、アダムとイブによる「現在」は、その後人類にどういう結果をもたらしたのでしょうか。「原罪」とはキリスト教の教義であり、カトリック教会のカテキズムは原罪について次のように述べています。

 

そもそも原罪とは

bible「人間は悪の誘惑を受け、神の信頼を裏切り、自らの自由を不正に行使して、神の命令に従わなかった。人間は神の命令に従わないことで、自らの良さを貶める結果となった。…人類の一体性により、全ての人はアダムの罪を引き継ぐことになったが、それと同じようにすべての人間はイエスの義をも受けつぐことができた。どちらにせよ、原罪も神秘であり、人間はそれを完全に理解することはできない。」

原罪の結果、人の世に苦しみ・情欲の乱れ・不毛な生・死が入ったことを示していると解されています。死とは、”生物学的な生命の終わり”ではなく、人が神のいのちの交わりに到達できないという意味での死を指します。また人は、成聖の恩寵を喪失したとされています。

 

失楽園が意味すること

失楽園とは

罪には社会性があり、一人の人の罪は一個人にとどまらず、周囲に及んで罪の環境のようなものを形成します。

原罪と区別される自罪(自分の自由と責任によって犯した罪)は、罪の環境に自分の自由の波長を合わせた行為に出るときに生じます。罪云々の環境は自分の責任ではありませんが、各人が背負っておりそこから救われる必要があるというのが根本的な考え方です。

『楽園からの追放』は、神による追放でも、人間が別の場所に住むようになったことを意味するのでも無く、『罪によって失楽園の状態がつくられている』ことを指すとされています。本質的には『失楽園とは、人に先天的には神の恩恵が無い状態』であり、『人はここから脱して神の命によって救われる必要がある』とされているのです。

 

原罪から赦されるための “洗礼”

senrei

ちなみに”洗礼”によって、原罪も含めた凡ての罪が赦されるとされています。原罪の影響は”人間の内に存在”するため、人は霊的な戦いをし、その影響に勝つことが求められるとされているのでした。

カトリック教会では、「幼児は原罪によって神の恵みを失って生まれてくるため、洗礼によって新たに生まれる必要がある」としており、また幼児洗礼を「起源を特定できないほど古い教会の伝統」として、幼児に洗礼を授ける習慣は正しい信仰に基づくことを主張してきました。とくにルイ14世時代のフランスには、何か悪いことがおこった場合、それは聖杯を受けることで罪から救われるといった考え方が顕著にあらわれています。 (参考:【NETFLIX】愛憎劇ベルサイユのあらすじと相関図 (ネタバレあり)

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まとめ

アダムとイブ

創世記で語られる物語をかいつまんでご紹介してきましたが、この中には「アダムとイブ」がおかした罪が散りばめられているのです。ストーリーの中にみえる罪をざっとあげてみましょう。

  • 彼らは神に背いた
  • 彼らは天の父を不名誉にした
  • 彼らは (神に) 感謝していなかった
  • アダムとイブは悔い改めなかった
  • アダムとイブは自分たちに嘘をついた
  • 彼らは神の知恵よりも自分の知恵を信頼したかった
  • 彼らは利己的だった
  • 彼らは自分たちの過ちを認める謙虚さを持っていなかった

これは、アダムとイブがおかした罪の中の一部です。

The Anatomy of Original Sin

たとえキリスト教信者でなくても、アダムとイブの罪を熟考することには大きな意味があります。

ふたりの罪を理解することは自分自身を理解することにつながるのです。何かのせいにしたり、利己的な理由で嘘をついたり感謝が足りなかったり。寓話というのはいささか大袈裟ではあるものの、誰もが覚えのあるものだったのではないでしょうか。創世記や神話ときくととっつきにくいイメージではありますが、いくら便利なものが増えて生活様式が変わろうとも『人類の失敗や罪』の本質は変わっていないのです。身の回りの人や事柄にとたえてみると、またあらたな発見があるかもしれませんね。

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参考とした文献

  • https://knightofthewhiterose.com/2020/02/17/first%E3%80%80-hope/
  • https://www.alamyimages.fr/photo-image-adam-et-eve-chasses-du-paradis-apres-avoir-mange-de-l-arbre-de%E3%80%80-la-connaissance-dans-le-jardin-d-eden-a-partir-de-recits-de-l-ancien-testament-83349524.html
  • https://avemariaradio.net/anatomy-original-sin/
  • https://allendalebaptist.org/adam-eve-sin-genesis-3-fall

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