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コロンブスの上をいった探検家【アメリゴ・ヴェスプッチとは】

2020/08/11
 
Amerigo Vespucci
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

アメリゴ・ヴェスプッチはイタリア生まれの商人・探検家、15世紀後半にスペインを代表して新世界への航海へ繰り出しましたクリストファー・コロンブスはすでにカリブ海と中米の島々を発見していたのですが、地図に反映されたのはアメリゴ・ヴェスプッチという名前でした。この記事では、コロンブスとの関係を探りつつ、アメリゴ・ヴェスプッチについてご紹介します。

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アメリカ大陸の発見

アメリゴ・ヴェスプッチが発見した新世界

Amerigo Vespucci (incrociatore)

ヴェスプッチの航海報告は、急速にヨーロッパ全土へ広まりました。ドイツの地理学者マルティン・ヴァルトゼーミュラーが手がけた地図には、米大陸の発見者」としてコロンブスではなく、アメリゴ・ヴェスプッチの名前が記されています。「アメリカ」という言葉が初めて印刷されたのはこのときで、以後ヨーロッパでは「新大陸」全域を指す言葉として「コロンビア」ではなく「アメリカ」が使われるようになりました。

 

ヴェスプッチの生い立ち

Amerigo Vespucci

ヴェスプッチは少年時代、叔父のジョルジョ・アントニオから人文学の教育を受けました。1479年には、彼はイタリアの有名なメディチ家からスポークスマンとしてフランス国王の元へ派遣されます。そして帰国後、ヴェスプッチはロレンツォとジョヴァンニ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチの 「銀行」 に入り、雇用主から大きな信頼を得ました。

大航海時代

1491年末の時点で、ヴェスプッチらの代理店であったジャンノット・べラルディは、部分的に船の艤装に従事しており、ヴェスプッチはコロンブスが最初の探検から戻ってきた時にもそこにいたと考えられています。つまり、ヴェスプッチは間接的にコロンブスを助けていたことになります。

後にヴェスプッチはベラルディと協力して、コロンブスの2度目、3度目の航海でつかわれる船を準備することになっていました。ベラルディが亡くなると、ヴェスプッチはセビリヤ代理店のマネージャーになります。

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ヴェスプッチの航海

4回遠征にでた、というのはウソ!?

アメリゴ・ヴェスプッチ 航路

ヴェスプッチの航海は1497年から1504年の間とされており、彼の航海に関しては2つの資料が現存しています。ひとつはヴェスプッチの名による書簡でポルトガルのリスボンから1504年9月4日に、中世イタリア共和国の行政官宛に書かれたもの、ふたつめは、メディチ宛ての3通の私的な書簡です。

Amerigo Vespucci

最初の資料にはヴェスプッチよる4つの航海が言及されています。1930年頃まで、これらは「4つの航海の順序」という観点から考察されていました。

しかしアルベルト・マグナギは、これが巧みに書き換えられていることを主張。この問題はヴェスプッチの業績を評価する上で基本的なものであり激しい論争を呼びました。唯一の真正な文書は「私的な書簡」とされ、現在では2つの航海のみ正式に認められています

 

本当の航海ルート

16世紀のリスボンの街
1499年5月から1500年6月まで、アロンソ・デ・オヘダの指揮でスペインから派遣された4隻の探検隊の航海士として、ヴェスプッチが完遂した航海は確かに本物でありました。(これは2回目の遠征とされている)

アメリゴ・ヴェスプッチ 航路

1499〜1500年の航海でヴェスプッチは現在のガイアナの海岸に到着した後オエダを離れ南下するとアマゾン川の河口を発見しセントオーガスティン岬まで行ったと考えられています。帰り道にトリニダードに着きオリノコ川の河口を見て、ハイチに向かいました。ヴェスプッチは彼がアジアの極端な東半島の海岸に沿って航海したと想定し、この時点では南米を「南アジア」と勘違いしていたようです。

Orinoco

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ポルトガルの支援をうけて

Amerigo Vespucci

スペインに戻るとヴェスプッチはすぐに、インド洋、ガンジス湾(ベンガル湾) およびタプロバネ島またはセイロン(現在のスリランカ)を目的地として、新しい航海の準備を始めようとしました。しかしスペイン政府はこれに賛成せず1500年の終わりにヴェスプッチはポルトガルの支援を受けることになりました。

ポルトガルの援助のもと、ヴェスプッチは1501年5月13日にリスボンから出発した2番目の遠征を達成しました。遠征隊はカーボベルデ諸島で停止した後、南西に移動し、セントオーガスティン岬に向かってブラジルの海岸に到着しました。

 

地理学をくつがえすほどの発見

Río de la Plata

残りの航海については意義が申し立てられていますが、ヴェスプッチは南向きに進んでいると主張して、1502年1月グアナバラ湾(リオデジャネイロ湾)を発見しリオ・デ・ラ・プラタまで航海、この河口を発見した最初のヨーロッパ人となりました。

船はパタゴニア(現在のアルゼンチン南部)の海岸に沿ってさらに南に進んだ可能性もあります。帰路は不明ですが、ヴェスプッチの船は1502年7月22日にリスボンに停泊しています。1501年から2年にかけての航海は、ヴェスプッチ自身や学者たちも、「新たに発見した土地はアジアではなく、新世界である」と確信するようになったという点でとても重要な出来ごとでした。

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大陸の名付け親

「アメリカ」という大陸名の由来

Cosmographiae Introductio

1507年に人文学者のマルティン・ヴァルドシームラーが、ロレーヌのサン・ディエで「クワトゥール・アメリカの航海」 (アメリゴの4つの航海)を再版し、それに先立つ彼自身の著書のなかで新たに発見された「新世界」の名前をアメリゴ・ヴェスプッチの名前をとってアメリカとするよう提案しました。ここではじめて「アメリカ」という名前が登場し、徐々にヨーロッパから世界へと広まっていきました。

なお、1503年、ヴェスプッチがポルトガル政府の再度の遠征に参加したかどうかは不明とされています。いずれにしても、この遠征で新しい地理的発見はありませんでした。その後、ヴェスプッチは他の遠征探検隊の準備には協力しましたが、彼自身が再び探検隊に加わることはなかったといいます。

 

ヴェスプッチの最後

Amerigo Vespucci Seville
1505年の初めに彼はスペインの宮廷から個人的に依頼をうけ、セビリヤで作られた有名なカーサ・デ・コントラタクシオン・デ・ラス・インディアス (インド商業住宅) の仕事につきました。1508年には船長職に就き、水先人と船長の航海許可証を審査するなど責任の重い仕事をこなしていきます。また、新たに発見された土地とそこまでの道程の公式地図を作成し、船長が提出を義務付けられていた資料をすべて解釈して整理する役目も追いました。

Reconstrucción hecha en el siglo XV del Mapamundi de Ptolomeo,

スペイン国籍を取得していたヴェスプッチは、死ぬまでこの地位を維持しつづけました。亡人のマリア・セレッソには夫の素晴らしい功績がたたえられ、充分な年金が与えられました。

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あとがきにかえて

Cristoforo Vespucci

学者のなかには、「ヴェスプッチは、他者の功績を乱用しているだけだ」と主張するひともいました。それでも彼が残した功績は確かに地理学をかえたことから、ヴェスプッチは『大西洋探検の真の先駆者』であるとされました。

もちろん先人であるコロンブスの理論と実績を前提としているのですから、一概に比べることはできません。ただあえて違いを述べるのであれば、コロンブス目的は「自身の地位と名誉のために、現地から富を奪うこと」であり、ヴェスプッチはその先をみて「大陸を地理学的に証明すること」にも力を尽くしたといったところでしょうか。

なにごとにも結果を留め置いてくれるものが「成果」であり、それを長続きさせたければ「何らかの証明」が絶対に必須とされるもので、それがふたりの後世での (地理学的な) 評価の違いに顕著に現れたのかもしれません。

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参考文献

  • https://www.history.com/topics/exploration/amerigo-vespucci
  • https://en.wikipedia.org/wiki/Amerigo_Vespucci
  • https://www.thinglink.com/scene/469214214297223169
  • https://prezi.com/2v_w9ejaz5yc/vasco-de-gama-and-amerigo-vespucci/

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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