【悲劇の王妃アンブーリンには指が6本?】多指症の噂を徹底検証

アンブーリンと6本指 (多指症)歴史に名を残した女性たち

1533年にイングランド国王ヘンリー8世の2番目の妃アン・ブーリンの生涯は、風説や憶測によっていつも取りざたされてきました。彼女はヘンリー8世の寵愛を受けるようになってからわずか3年後、国王により首をはねられたことも有名な話です。しかし奇遇なる運命に巻き込まれたアンブーリンに関する多くの謎の中で、最も珍しいのは「彼女は6本の指を持っていた」という説でしょう。

本当か否か豊臣秀吉が多指症であったように、この美しい王妃も同じく指が多かったという噂が兼ねてからあるのです。この記事では、アンブーリンと6本の指の噂についてまとめていきます。

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アン・ブーリンには指が6本あった?

噂の元は、ニコラス・サンダーが残したアンの容姿

アンブーリンと6本指 (多指症) (左がニコラス・サンダー 右がアン・ブーリン)

アン・ブーリンの多指症については、カトリックのプロパガンダ者ニコラス・サンダーの本に端を発している可能性が高いといわれています。アンの死から数十年後、ラスはこの若い妃のことを「…上唇の下に突き出た歯があり、右手には六本の指がありました」と記しました。彼はまた、彼女が首に醜い嚢胞を持っていたと主張し、「彼女は服と喉を覆う宝石を身に着けて隠そうとしていた」とも書き残しています。

 

多指症だったのか、噂の信憑性はいかに

ヘンリー8世の知られざる事実

ニコラスの説明は後にブーリン神話にまで発展するわけですが、その信頼性はしばしば疑問視されています。というのもニコラスは実際に彼女を見たことがなく、歴史家たちは「そのような見かけ上醜い女性がヘンリー8世のような、いわゆるプレイボーイの目に留まった可能性は低い」と主張したのです。

さらに重要なことに、ニコラスはイングランドの宗教改革により追放となったアンの娘、エリザベス1世に個人的な復讐を遂げたことでもしられています。中世には、ほくろやその他の身体的欠陥はしばしば悪魔や呪術のしるしと見なされていました。それらを考慮すると、ニコラスは憎きアン・ブーリンとその子孫に更なる汚名を着せようと、好ましくない記録を残したのかもしれません。

絵画でみるアン・ブーリン

アンブーリンの最後(アンブーリンの死刑)

アン・ブーリンについての確かな絵は残っておらず、後世にイメージを元に描かれたものが殆どです。しかしそれはどれも、ほとんどが彼女が、サンダーや他の中傷者によって描かれた惨めな絵とはかけ離れていることを示しています。

アンブーリン

実際に彼女に会った人たちは彼女を「そこそこ」から 「美しい」とまで表現しましたが、彼女の敵を含め、誰一人として『余分な指』については言及していなかったといいます。アンの元従者と話をした伝記作家のジョージ・ワイアットは、彼女の右手小指にはほくろが数個と余分な爪があったが、「6本指ではなかった」と述べたそうです。この説明は後に19世紀に強化され、医師がロンドン塔のブーリンの埋葬予定地を発掘しました。

まとめ

調査された数体の遺体のうち、ブーリンのものと思われる遺体を含め、指の追加の徴候を示したものはなかったそうです。噂は所詮うわさであり、「6本指があった」というのは卑劣なやり方で国王を欺いた魔女としてアン・ブーリンをよく思わない一派による、悪質なデタラメだった説が濃厚となっているのでした。そんなアンの波乱にみちた生涯についてはこちら (【アンブーリンの生涯】彼女はなぜ王妃になり処刑されたのか) にまとめております。

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