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【仕事に恋愛に失敗だらけ】アラサーって生きづらいよね、というお話

 
アラサーってなんでこんなに生きづらいんだろ
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

2020年になり30歳を迎えた。長野で育った私はいま東京で、英語を使った仕事をしている。それは子供の頃想像していたより、はるかに華やかな生活であり、とはいえど心から「わたし幸せ」とも思えていないこのコラムではそんな現代を生きる「アラサー女子」の生々しいリアルをコラムとして綴っていきたい

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Contents

婚活疲れ、結婚したいのになぜできない

婚活疲れ、アラサーってなんでこんなに生きづらいんだろ

「たられば娘」にもみられるように、「結婚していない女子」はこぞって婚活に打ち込み、親からは「孫の顔がみたい」とプレッシャーがかかる。自身「結婚するにはまず良い人と出会わねば」..と合コンに邁進して、なんとなく気があう人と付き合う、みたいなことを繰り返した。

付き合い方が悪いのか、どの彼氏とも半年ほどしかもたなかった原因はわかっている、「早く結婚して生活を変えたい」という焦りと、「自分の生活が思い通りにいかない苛立ち」。なにもかも充実していそうな彼を見ていられなくて、ある種八つ当たりみたいにもなっていた。「彼に恋してる」というより、「なんとかうまくいきそうな相手」なら誰でもよかったんだとおもう。

 

結婚はまだか、親からのプレッシャーに泣くしかない

親からの結婚しろという、悪意のないプレッシャー

「ねえあなた、いつも恋人がいるのになんで結婚しないの?」弟も無事親元を離れて、子育てから解放された母の矛先は「私の孫」にむいた。むしろ、なんでか、わたしが聞きたい。「いまはそんな時代じゃないの、放っておいて」と返した。

母はちがうのよ、ただあなたにそういう気がないだけじゃないかとおもうの。若いほうがウェディングドレスも似合うし、あなたのことをおもってという。それをきいて色々我慢していた私は「そんなこと言われたって困る」とダムが決壊したように泣いた

対して父は「個人の想いとか自由」を大切にするひとで、仲裁にはいってくれて、なんと叱られたのは母だった。人には色々あるんだから、ママの意見を通そうとするのはだめだよ」と言い、母は反省してそれ以来それには触れなくなった (もちろん沈黙のプレッシャーはやまない)。

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忘れられない恋愛

アラサーってなんでこんなに生きづらいんだろ

10年前、20歳のときに大恋愛をした当時大学生だった私は、博多出身で1個上ですでに働いている「なおちゃん」という男性と付き合い始めた。ありがちだが堂々と想いを伝えてきてくれる彼がいつしか好きになっていた。家族以外で自分のことを本当に慈しんでくれて、本気で白馬の王子様が現れたとおもった。

彼の会社の飲み会にも呼んでもらったり、花火のあとは皆でうちで飲み直したり、いつでも私ファーストだった状態にいつしか酔って、わがままになり、その優しさに次第に私は依存していった彼といるとき以外「幸せ」と思えなかったし、「彼を失ったら」という思いに支配され毎日不安で仕方なかった

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最後は彼が中国転勤になる(半分言い訳と思われる)ということで結局お別れした「いまのままだったら私がダメになる」という事も言われた、その通りだった。その8ヶ月後彼が結婚したと聞いたときに発狂したのはいうまでもない。「白馬の王子様」でもなんでもない、わたしは軽い夢を見ていただけだったのだ。

 

失恋恐怖症、「別れよう」は戦力外通告

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そのあと何人かとお付き合いもしたが、なんだか同じような終わりを迎えた。自分が自立しないといけないんだな、と薄々気付きながらもがいて、とりあえず「前に進まなきゃ」と、傷だらけのまま這うように進み続けた。我ながら面白い付き合いをしてきたとおもう、

  • オーストリアの麻酔科医 (パースにひとり旅行した時に出会った)
  • あるときは年収1億のマルチの王様 (向こうにしたら遊びだったんだろうな)
  • シンガポールの駐在員 (日本で付き合って途中から遠距離恋愛に)

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「別れよう」と告げられるのが怖くて、何人か自分から「もうお付き合いはやめたいです」と申し出た。意味がわからない、でも恋人同士の別れっていわばあなたと良い時間を過ごせました。ありがとう、でも今後の人生では、あなたのことはもういらないですという戦力外通告のようなもの。

自分を全否定されるような、無慈悲な通告。身体中から血の気が引いていくのだ「あ、またか」と。それが怖くて出来るだけ傷つかないよう(嫌われないように)に、ふるまった。お前は一体だれだ、正直会った後はどっと疲れた。

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みんなに憧れられる「キャリアウーマン」を目指そう

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キャリアウーマンになりたい、男性に頼る自分にはなりたくない。26歳のとき心機一転することを決め勤めていた中小企業を退職厳しい書類審査と4度の面接をクリアして大手アパレル会社に正社員として滑りこんだ。ポジションは留学時代から続けていた貿易。他が全滅だったのもあり、原稿を何枚も書いて志望動機は何種類も用意し暗記した。入社時の年収は400万円。最初の3年間の月給は手取り15万円、奨学金返済として6万円を出していたので、転職後の振込額をみたときは飛び上がって喜んだ

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なによりその企業に勤めていること自体が「ステータス」でもあった。どこにいっても「すごいね」と言われる自分に酔っていたし、逆にそこしか拠り所がなかったともいえる。中身のない、なんとも薄っぺらいプライドである。

 

薄っぺらいプライドと、謎の虚栄心

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新しいオフィスは高層階にあり、東京中が見渡せた。中も驚くほど先進的なもので、芸能人や役人が視察に訪れることもよくあった。ただ人間関係がぐっちゃぐっちゃのドロドロだったので、「ひとの悪口はいわん、派閥にもはいらん、でも仕事はきちんとこなす」と決め込み(さすがに出た方がいいと判断した) 誰かの歓迎会か、必要なことしか話さなかった。悪い噂はあっという間に広がる、火のないところに煙はたたない。仕事以外は知らぬが仏、触らぬ神に祟りなし。

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持ち前の粘り強さでどんどん勉強しては吸収し、新しいプロジェクトにも怖じけず飛び込んだ。最終的には「コンサル(12社レベルが関わるプロジェクトマネジャ)」もこなしつつ、どんどん給与はあがった。ここまでは順調だった、順調なはずだったでも40歳の女上司 (独身で最近一人用のマンションを買った)の火の粉を浴びてチームでは2人が辞めていた。当然自分の仕事は増える、夜6時はようやく仕事の半分が終わったところ、さてここからもう一仕事で夜8時をオフィスで迎えるのももはや日常。

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パワハラ、女のいじめはマジで怖い

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パワハラというか、あれはむしろイジメに近かったとおもう。有給をもらおうとすれば、「え~なんでいまいうの?本当に今の子って空気読めないよね」と捨てセリフ。オフィスじゃだめなのかと、違う場所でいったらいったで「え?ここでいうの?信じられない」と。結局休ませたくないだけなんだ。後日彼女の怒りが冷めるとミーティング室に呼び出されて「あのね休みの件だけど、私も考えたのよ」と時々いい人ぶる、なにこの女といっきに自分のなかで何かが冷めていく。「この日とこの日ならいいけど」と、なんともいえない気分だった。たまにランチを奢ってくれる、それでチャラになるとでも思っているのだろうか「この分働いてね」といわれる、ぶっちゃけ全然嬉しくない。「いえ、払います」といったこともあった。

 

やることなること、全て気に入らない

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中間管理職のストレスらしい。カッコの大きさに文字の配列、することなすことにすべて「それ常識的にありえないから」と嫌味をいわれるようになった。毎日続くと「洗脳」のように「お前マジで社会人として最低だかんなと言われているような気分になっていく。「欠点を見つける天才」とでもいうのか、仕事以外の点でもいわれるので怖くて、目が見れなくなり、机の方をむいて話していたら「あのさ、その目線気になるんだけど。なんでデスクトップをのぞくわけ?私悪いことしてないのに」と大声で。去り際には「なんであんな態度しか取れないかな」と感情的な言葉をぶつけられるもはや、意味がわからないあなたは何しに会社にきているのか」とおもうけど、もちろん言えない。

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吐き気がして、電車に乗っていられない

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プロジェクトも大詰め、それに連れて残業も増える。次第に電車に乗ると吐き気を催すようになってきた。途中の駅で降りてトイレに駆け込んで吐くことが何度かあった。ホームに立ち尽くしそれでも乗れず無理な時は歩くか、降りては乗ってを繰り返した。普段だったら「あのくそ上司、残業ばっかさせやがって」と毒づくところだが、相当精神が病んでいたというか、それをいったら崩れてしまいそうな気がした「辛い」ということすら認めたくなくて、家族にも特に普通にしていた。家に帰ってまで思い出したくなかったんだとおもう、それに、家に帰れてもそもそも寝る時間くらいしかなかった。

 

唯一の支え、とりあえず結果さえ出せば

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彼女が裏でプロジェクトを潰そうと、タバコ部屋で悪口をいったり、プロジェクトの欠点を指摘したり、様々な裏工作をしていたも気づいていたこのままじゃ倒れると本能的におもい万が一のことを考えてビズリーチでコンタクトをくれた上場企業の海外部のマネージャーさんとも密かに会って、コネというか関係を作っていた。ギリギリまで仕事をして、夜8時からお時間を作ってくれた先方には本当に感謝しかない。

あれは2月でもいちばん寒い日だった。「吐き気」がとまらないわたしは、廊下で窓の近くか、トイレの横で仕事をしていた「ついにアイツやばい」と思われていたとおもう、でも気にしても仕方ない。あと少し、あと少しでプロジェクトが完成する。それだけがわたしの支えだった。

 

プロジェクトを達成して、私に何がのこったか

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どんなに酷い事を言われたって、結果を出せば何かが変わる」それは一筋の希望でもあったそしてついにその日、最後の激論の末に、プロジェクトがようやく身を結んだのだ。部長2人にプロのコンサル (ヤクザチックだったけど) についてもらってアシストしてもらった結果だった。しかし結果がでたにもかかわらず、彼女から出てきた言葉は「私はやっぱりこれうまくいかないと思うんだけどねえ、理由はわかんないけど、経験からしてなんか変な感じがするっていうか」という、冷酷な言葉だっ

アラサーってなんでこんなに生きづらいんだろ

そもそも「何が引っかかるか」いってくれれば一緒に対策を考える、でもそうじゃないのだ。ああ、そうか彼女の目的は、会社のためでもなんでもない「自分の保身、プライドを守る」ことだったのだ。くだらない、お前もう大人だろ、なにやってんだよ。「道徳」とか「努力」とか色々積み上げてきたものが、音を立てて自分の中で崩れていくのを感じた。

 

帰り道に、パニック発作をおこす

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電車に乗って自宅へ帰る、一駅ずつ降りて嗚咽しながら吐いた駅構内も号泣しながら歩くが、誰も気に留めない、さすが東京、「やばい奴だ」とおもって関わりたくなかったのかもしれない。声をかけられたところでどうしようもないが。

身体のなにかがおかしい。目の前が真っ暗になるような、感覚がなくなっていくような不思議な感覚。でも明日も仕事だし、なんとかしなければ。ああ、そうか、肩がこっているんだ。そういえばマッサージにもいっていなかったな。身体の歪みをとれば、果たして私は元に戻れるのではないだろうか。駅から出てタクシーをつかまえて、カラ●ファクトリー(整体)に向かった。そこは私の癒しの場所、どの店舗も凄くあたたかくて、あの雰囲気と施述に私は何度も救われてきた。

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整骨医院で発狂、まさかの過呼吸に

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受付の男性は物腰がやわらかくて、心底安心し着替えて施述室へ。担当してくれたスタッフもすごく穏やかで、でも何より私がショックだったのは、そこにあった「普通の光景」だ店長や、スタッフが違いに協力しあって、さらには後輩をみんなでサポートしていたのだ。私はそれを見てもう涙が止まらなくなった。

アラサーってなんでこんなに生きづらいんだろ

「仕事をがんばってきた」「文句も言わず、できることをそれ以上にベストを尽くしてきた」「なのにサポートどころか足を引っ張られ、悪口を吹聴され居場所をおわれる」「人は頑張ったら、報われるもんじゃないのか」「なぜここまでの仕打ちを受けなければいけないのか」

閉店間際だったとおもう。ついに限界がきて、トイレに駆け込んで泣きながら吐き続けた。部長に電話してすべてを訴えた。部長は全部きいたあとに「君は誰もができないことをやってきた、業界でも初の試みだった。確かに結果を残してる、知っている人は知っている、何も間違ったことはしていないプロジェクトもひと段落した。しばらく休みなさい」といった。

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まさかの救急車で、緊急搬送

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堰を切ったように泣き続け、スタッフさんがずっと背中をさすってくれていたでもあまりに泣きすぎたのか、情けなくもトイレで過呼吸になった。息ができないだけでなく、もう手足にまったく力がはいらない、身体が自分のものだと思えない。

これ以上迷惑をかけてはいけないと、「近くのホテルかどこかに歩いていきます」といった。さすがに閉店時間をこえた店にいるのも迷惑だし、スタッフさんも困るだろう、どこかでゆっくり横になればまだ落ち着くかもしれない、そう思った。でも身体はまったく動かず、機転をきかせて、スタッフさんが「ご両親に連絡させていただけませんか?」といってくれた

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声が出ないので、なんとか私は父の番号を携帯で表示してスタッフさんに渡した。「こういった状態でして、救急車を呼ぼうと思うのですが、問題ないでしょうか?」父がなんていったかわからないが、「すみません、はい、お願いします」といったところだとおもう。心底助かった、あのスタッフさんたちがいなかったら私はどこかの道できっと倒れていたことだろう。理不尽なこともあるが、人を救うのもまた人であるのだと、少しだけあたたかい気持ちにもなったのもたしかだ。

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大丈夫だから、ゆっくり話していて

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タンカに寝かせられて、近くの病院に搬送されていく。何度も吐いたし、呼吸は相変わらず正しく出来ずに、苦しくて仕方なかった。救急車のおじさんは大丈夫こういう人もよくいるんだよ。話すと呼吸が整うから、なんでもいいから話そうかと言ってくれた。そして両親に連絡してもらい (病院を伝えるため)、救急車のおじさんは「落ち着いたら、病院というか、心療内科とかにいってみるといいかもね」といった。

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心療内科、なぜとんでもない、わたしは正常だ誰よりも仕事をしてきた。まだ考える力だってある、なんで、わたしが心療内科にいかなきゃいけないんだ。そう思いつつも、「心をやってしまったのかな」という考えが頭をよぎった。過労でだましだまし働いてきたツケがまわってきたのか、と。

 

夜の病院と、冷たい看護婦

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両親が心配して迎えにきてくれた。漫画NANAだっただろうか、「過呼吸」は死にたいほどくるしいのに、絶対死ねない、という言葉を目にしたことがある。それほど辛いのに、病院では「とくになにもないので、1時間くらいで出てもらえると..」と半ば追い出される形で返された。せめて精神安定剤が欲しいと懇願し、いちばん弱いものをくれた。

「請求はこれなんで」と結構な額の請求書を渡されて、病院をトボトボ後にする。吐いたら困るので、その時用の袋がほしいというと冷たい声で看護婦が「ご自由に」といった。惨め極まりない、キャパオーバーしたあげく、お世話になっている整体のスタッフにも迷惑をかけて、仕事終わりの父にこんなところまで来させてしまった。何をやってるんだ、自分。

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なにをどこを間違ったのか、眠れない夜

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電車に乗れないことをみこして、近くに宿を取っていてくれた。エリア的に空いていたことが奇跡に近かった。常に持ち歩いている社用のパソコンを開きわたしはチームにメールする。「体調を崩したため、ひと段落するまでお休みをいただきたく持っていた案件を全て箇条書きにしたので、なんだかボリューミーなメールだった。こりゃおかしくなるわ、と思いながらも、こんな状態になっても「きちんと仕事をしなきゃ、できないなら引き継がなきゃ」と思っている自分にホトホト呆れた。

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母は私のことを心から心配し、父は表さないまでも「パンドラの箱を開けたな」とつぶやいた「いろんな人間がいるし出る杭はうたれるから、うまくやり過ごしてやっていくのも大切なんだよね」と。父は時々核心をついたことをいう。定年まで働き通した父を私は誇りに思っている。「もっとお膳立てするべきだったのか」「そもそも私がいなければ、あの女上司が逆上することもなかったのか」「中間管理職という立場をもっと慮るべきだったのか」どうすればこうならなかったのかが頭から離れず、一睡もできなかった。

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スターバックスにて、自主退職を

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翌日なんとか立てるようになった私はゆっくりだけど母と家にむかった帰り道、職場の駅を通り過ぎるのだけが心配だった。部長に状況を報告すると、ちょっと会社から離れたところで、(もうひとりの部長と)3人で話せないかとSNSがはいった。母は止めたが、いつかはやらなきゃいけない話し合いだったので「なんとか向かいます」と、本当に這うようにした向かった。

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その時に頼んだシトラスティーの味は忘れられない、吐き気を消して安心させてくれる味だった。屋内にいられないのもあり真冬にテラス席、ただ太陽があたっていたので、気持ちがよかった。色々話した、元々その部長が辞めるということも聞いていたので、「味方がいなくなる」という思いで、コネを作っていたのもあった。「もう仕事はしなくていいから」「しばらく休みなさい」と、仕事を全部取り上げられるとはこのことだった部長としては何としてもそこから引き剥がさないとヤバいとおもったらしい。と言っても事実上の、「自主退職の推進」である。

 

人を蹴落とし、潰し合うのが、会社員ですか

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次の職場が決まるまで、退職日を決めない」という条件で自主退職をすることになった傷病手当金は出るらしいが、もらえるのは3.4ヶ月後だし、いくらもらえるかも未知。あるにこしたことはないが、そんなに頼りにならない。おかしくなっていたのか、私はその2人の部長に「出る杭は打たれる、努力する分だけ蹴落とされる。それが社会ですか」と聞いた外資あがりの2人は「いや、本来だったら突出する人たちに刺激を受けて、シナジーを生み出していくのが普通だよ。マネジメント不足だった」と答えた。

アラサーってなんでこんなに生きづらいんだろ

「恩知らず、というか逃げですね」という私に「その恩と、もらった苦痛はどっちが大きいかな。そういうのは”見切りをつける”っていうんだよ。どうしようもないのは、見限るに限るよ」と言った、ちょっとだけラクになったどうやら2人も20代コンサル会社にいるときに、上司に滅多打ちにされて会社に行けなくなった時期があったらしい。そこで上手に切り替える力を学び今に至るんだという。ああ、そうか。一流の大人はそこを通るのか、と一緒に橋をわたりながらおもった

もう正社員は続けられないと形態を派遣にかえて、その会社からは無事に退職することができた。(同時にマルチにも引っかかったという最悪なおまけつき)。2年たった現在もパニック障害の治療は続けていて、でも自由に動けないことも否定できない。

 

年上女性からのマウンティング

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ある日趣味のバレエの発表会に出るために、コツコツ準備を進めていたすごくレッスンをして、備品も用意した。でも無理がたたったのか、まさかの「腎盂腎炎」で10日間の緊急入院するハメになった8日間高熱に苦しみ、ろくに動けず、なんとか退院したものの歩くのもやっと。その間にバレエの衣装が届き、先生にきくと「じゅんかさん」なる韓国人の31歳のお姉さんが預かってくれているという。ありがたいとおもった。しかし問題はその後だ。

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「彼女が駅に現れるという時間に待ち合わせ」というなんとも心もとない約束をして取りに行ったが、途中で体調が芳しくなく遅れてしまう。申し訳ない気持ちから「時間通りにいけずにすみません。自宅に伺ってもかまいませんので」とLINEをしたら、怒涛のようにメッセージがかえった。「ねえ、なんか違うとおもうんですけど。これないなら、最初から言うのが常識だし、いきなり自宅に行きますも失礼です。ていうか今どこにいるの?ありえないわ

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もちろん遅れたことは悪いとは思ってるし、しっかり謝った、言い訳もしていない、のにここまで言うだろうか。相手が退院直後と知っていて。「仕事でいじめられている」と聞いていた、もしかしたら早抜けしてきたのかもしれない。なんとなくそのストレスをぶつけられた気がしたちなみに彼女からは前日に「こんな時に本当に大変だよね。気持ちわかるよ」といった文章が画面いっぱいに敷き詰められて送られてきた。どの口がいってんだか、思ってるなら言うなし。ちなみにせめてものお礼にと持っていったお菓子は、ひったくられるように持って行かれた。「受け取るんだ」と冷静におもう自分もいた。

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無理して頑張ったツケは、結局支払うハメに

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10歳~20歳って「この先は楽しいことがいっぱいあるんだろう」ってワクワクしていた。辛いことがあるなんて想像していなかった、努力をすれば何でもできるとおもっていた。でも、果たして、どうなんだろうか。「頑張ったらいいことあるよ」「人には優しくしなさい」「やったことは良いことも、悪いことも返ってくるよ」「ありがとうの気持ちを忘れずに」そんな言葉をたくさん聞いて育ってきた。でも現実はどうだったかもちろん語学とか、仕事とか、スキルは確かに身についたし、それで生計を立てているのも事実だから、「努力は報われる」はそうなんだろう

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でも「過労」だったり、「キャパオーバー」だったり、やりすぎたツケはかなず自分が払うことになる。それに「いい人」でいては騙されることも知った。パワハラで会社を辞めたとき「あなたにはそっちの道はあわない」と、「5年前ビアフェスタで出会ったお姉さん」がいきなり近づいてきて、あれよあれよとうい間に洗脳にかかりいつのまにか毎月15万円の商品を購入することになっていた。意味がわからない、確かに私は良い子ではなかったかもしれないが、そこまでされるいわれなどない。

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アラサーって大変だよね

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婚活疲れという言葉をよく耳にする30代の女性同士の会話は「結婚してるか、していないか」。いないと答えれば、「どこでいい男が見つかるか」という話しに変化していく。なんて生産性のない会話なんだろう、ちなみに25歳くらいで合コンは卒業した。だいたい既婚者が混じっているし、年収や、会社、大学、自分に好意があるかなど「腹の探り合い」をするのが心底ムダだなあと感じたからだ。もちろん年を重ねたっていうのもあるし、需要が減っているというのもある。別に負け戦はしたくないし、おいしくもない料理をよく知らない人と食べに行くなら、両親や元気になれる友達とご飯を食べたり、図書館でいろんな先人たちの書物を読んでいるほうがまだたのしい。けど「ずっとこのままだったらどうしよう」とも思う。さすがにずっと一人では、立つ瀬がない。その妄想が進むと「一人暮らしのボロボロアパートで、ひとりでカレーを作っている姿」が浮かんでくる、私はいったい何を怖がってるんだろうか。

 

消えてしまいたい、けど

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心労が続くと、時々スライムみたいに床にベターっとなって動けなくなることがある。それを母に話した。「重力にかてない、いまのわたしスライムみたい」といった私に母は、「何色の?」「でもさっき歩けてたわよ」と答えた。うん、たしかに、さすが私の母である。どうでもよくなった。

丸くなって、「もう何もかも投げ出して消えてしまいたい」と思うこともある。というか、その思考グセは昔からだ。死ねば楽になると思っていた、でも大人になって両親ともっと会話するようになって、おじいちゃんたちが亡くなってそれはちょっと形を変えた。父方の祖父は「死にたくない」と最後まで抗い亡くなっていった。祖父母にもすごくすごく可愛がってもらった。それを思うと心があたたくなる。「消えたい、投げ出したい」気持ちはあるけど、「私だけの命ではない」ことを改めて思うのだった。「いなくなりたい」とは思うが、少なくとも「自分で断ち切ること」がどれだけ神の道に背くことかは、なんとなくわかる

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カウンセリングの先生との出会い

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カウンセリングには月1で通っている。大泣きするときもあればケロっとしているときもある、先生は冷静にみて肯定もせず、否定もせず、こんがらがった「糸」をほどいてくれる大切な存在だ。「もう何もかも嫌です、死んでしまいたいです、でも親のことを思うとできません。でももう無理です」といったときに、画用紙を目の前に広げて「いまのあなたはこれだね」と言われた近すぎて全体像が見えていないと。

たしかにそうだ、わたしは「ああされた、こうされた」という不幸な記憶を思い出し、それがトリガーとなり芋づる式に辛かったことが浮かび上がってきて。「こんなひどい人生いやだ」と、そして「こんなひどい人生なら、これからももっとひどいことがあるはずと妄想を爆発させてしまうのであった。「でもそれって実際に起こっていることじゃないでしょ、あなたがただ考えているだけ。もう怖いことは、ここにはないよ」と言われて冷静になった。

 

 ….と自分は思っているんだ、という魔法

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カウンセリングの先生は私にきく「いま息をしている?どこで?」とわたしは答える「頭…?先生は「うん、たしかに認識してるのは頭からもしれないね。でも実際に呼吸しているのはどこ?」。ちょっと考えてまた答える「?….うん、医学的にはそうかもしれないね、でも実際には空気を吸い込んでいるのは鼻だよね」そこで気づく、いかに「頭・考え」に自分が執着していたかを。

先生は続ける、「いまあなたはそこに座っている、太ももはソファについていて、その上に手があってあたたかさを感じる。エアコンの音がかすかに聞こえる、加湿器から湯気が上がる音がする」「大切なのは、”いまここ”に戻ってくることなんですよ。考えていると脳が疲れちゃうから、ストレスホルモンが出ちゃうから。でも感覚に集中しているときって思考しないようにできているのね」と。たとえばどうしようもなくなったとき「スライムみたいになっている..自分がいるな」と、「あの人を許せないと思っている自分がいるな」と。と思っている自分がいるな、とつけるだけでだいぶ客観的にみれるようになるんですよ、と。

 

私は幸せ、というウソ

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先生は「私は幸せ」と言う人はなんか不思議と思う、とも付け加えたたしかに生きていて「ああ、なんて幸せなんだろう」と胸が高鳴ったり、あたたかくなったりする瞬間はある。たぶんあれが「幸せの正体」なのだ。そのときに「私幸せかもしれない!」と言ってしまうことはあるけど。

脳で考えて、「私は幸せ」というのは、またちょっと違う気がする。「いろいろ考えたけど、結局私はまあ幸せなのですよ」と、どこか言い聞かせているようにも聞こえるのだ。(ただ、心が安定していますという意味で使っている人もいるかもしれないが)

 

アラサーは辛いけど、生きていくしかないさね

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長くなったがこれで最後だ。そうか、ここ数年は仕事や、恋愛に必死で、「頭」ばっかり使っていたように思う。パソコンのキーボードを叩く、お菓子を頬張る、甘いおいしい、とけていく。そんな感覚を殺すように生きてきたのだ。それは身体と心が乖離するのも当たり前かもしれない。順調にみえて、年収もあがってこのまま絶好調、かと思いきや、そうはいかず。

ラピュタじゃないけど「人間というもの、土から離れては生きられない」のだ。頭ばっかりに頼りすぎるとどんどんおかしくなっていくのを30にして知った。でもときに挑戦しないと成長もないわけだから、ちょっとした背伸びは必要だ。でも「休憩」をとったり「限界を知ってセーブしたりする力」も同じくらい必要なのだ。切れ味の良い刀であっても使っていけばボロがでてくる、研ぎ続ける力も同じくらい必要なのだ。「自分をダメと決めつけず」、「必要以上に自分をできる奴だと見せる必要もない」

 

アラサー女、ついに婚約 (したけれど)

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29歳にして私はアメリカ人の彼と婚約した。日本人男性にとってわたしは「メンヘラ」だったのであろう、「わかりやすい」と彼は面白がってくれている。しかしわたしはいまだに男女の「愛」というものがよくわからない。両親、家族からの無償の愛はもうこれかってくらい受けている、私も愛しているし、いくら喧嘩をしたって離れていかないことがわかる、これほど安心できることってない。

でも私はいまだにフィアンセからの「愛」に疑心暗鬼でいる。アメリカの両親は実子のように可愛がってくれる、うちの両親も彼のことを婿養子のように大切にしている。(あの手厳しい母が、彼には文句ひとつないのだからこっちがびっくりだ) 彼も私の両親を慈しんでくれている。男女の愛だのはよくわかないけど、「大切な人のこと」を「大切だ」と思ってくれるって、なんだか心がじんわりするものだ、ということだけはわかった気がする。

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わたしには見えていなかったもの

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だから何がなくとも時々疑ってしまう、そしてあるとき母に「彼 (Manny) は私のことを愛しているのかな」と聞いたことがある母は「なにいってんの」とキョトンとしていた。余談だが、私は薬の副作用もあり朝なかなか起き上がることができない。だからお盆や、正月に一緒に私の実家に帰省したときも、私は昼過ぎまで寝ていた。でも私がどんなに寝ていても、生活リズムが規則正しいのかManny8時には起きて、リビングにいてなんと父母と会話をしていたという。(Mannyそんなに日本語話せないのに… 父も英語は話せないのに… Google翻訳か何かを使っていたらしい)

アラサーってなんでこんなに生きづらいんだろ

そのときに申し訳なく思った父母が「娘が寝ていてごめんね、気を使うでしょう?」といったら「僕わかってるから大丈夫、Naa薬飲んでるから起きれない時あるから。大丈夫、寝かせといてあげるの」といってくれたらしい。何も知らなかったわたしはそれをきいて号泣した。

私には見えていないものがどうやらこの世にはいろいろとあるらしいのだ。男女の愛はよくわからないけれど、「頼ったり、頼られたりしながら」話し合いながら、時にぶつかり合いながらも「お互いが心地よい道を見つけていく、一緒に歩いて生きたいと感じるってのが本質というか、難しく考えなくていい、もはやそれだけで十分じゃないかとさえ思えてくるのだ。

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 あとがきにかえて

After the Bath, Woman Drying her Nape, pastel on paper, 1898

順調にみえて、年収もあがってこのまま絶好調、かと思いきや、そうもいかず、恋愛に悩み、人間関係に悩み。うまくいかずもがけばもがくほど底なし沼にハマっていく。はたから見れば大したことはないのかもしれないし、「そもそもマルチから抜け出せたこと」もラッキーだったし、「いろいろな人」との出会いがあったおかげで今があるともいえる。いまのフィアンセに出会えたのだって、それらが一つでもかけていたらなかったかもしれない。だからこそ、わたしはいいたい。中小企業で散々バカにされ、「きみは重いんだよね」とフラれ、上場企業にはいって「よし安泰」と思いきや、力量を無視してやりすぎた結果、心理的に病み、年上女性にはマウンティングされ、同年代にはケチョンケチョンにされ。挙げ句の果てにルームシェアを大学の友人としたはいいが、喧嘩をして訴えるぞと脅され違約金16万円を払わされた、プライドもへったくれもない私だが、まだ生きている

アラサーってなんでこんなに生きづらいんだろ

こんな私でも、「面白い」と言ってくれる人がいる。「どうしようもないな」と言いながら側にいてくれる人もいる。だからもし「アラサー」になって辛くて死にたくなったら、こんな人もいたな、とどうか思い出してほしいこんなに生き恥を晒している人はなかなかいないのだから残せるものはなにもないけれど、私のこの珍体験が誰かの心を「これよりマシじゃ」と救うことがあれば本当に救われる、そう思い記事を閉じたいとおもう。最後までお読みいただき、本当に感謝するばかりである。「人生なんて七転び八起き、生きてりゃきっといいことあるさ」

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