前回の記事では、バイトテロの原因と加害者の今後について述べました。承認欲求は「誰かに認めてもらいたい」という人間誰しもが持つものなので、あって然りなのですが、問題はその気持ちのコントロール方法です。今日はなぜ人は承認欲求に振り回されるのか、またどうしたらそういった一時的なものにとらわれず、自分の人生を歩んでいけるのかまとめていきます。
(この記事を読むのに必要な時間は、約3分です)
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なぜ人は承認欲求に振り回されるのか
承認欲求とは
承認欲求とは、「認められたい」という人間に備わる願望です。認められていると感じれば、気持ちが満たされ、物事に前向きに取り組むことができます。褒めて欲しい、ありがとうっていってほしい、あなたがいてくれて有難いと言ってもらいたい、これが誰もが心の底に持つ本音なのではないでしょうか。
機械化が進む現代では、「承認欲求」は感じ辛い
承認欲求に飢えて奇行に走る人が絶えない背景には、希薄な社会になりつつある現代の社会的背景があります。仕事ではパソコン(またはシステム)を使い、連絡は直接話さずスマホひとつ。技術革新で、出来ることは機械に任せる。「声をかける」「直接話す」という習慣が、無機質な空間と関係を作りだしているのかもしれません。
良いことで注目されないと、悪いことで注目を集めるように
一生懸命働いているのに。自分の存在価値はなんだ、なんで怒られるんだ、最初は褒められたい、認めて欲しいだけだったのが、積もり積もっていく。良いことで注目してもらえなかった末にいきつくのが、バイトテロなどの炎上行為で「注目を集める」こと。
子供が親に相手をしてもらえないと、ミルクをこぼしたり、散らかしたり、泣きわめいたりするのと一緒です。仲間に注目され、その瞬間は満ち足りた気持ちになるかもしれませんが、高揚は一瞬、汚名は一生のこります。
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承認欲求から解放されるために
求めているのは、充実ですか、充実しているように見える日々ですか
例え話しです、私も「友達は多いほうがいい」と思ってひたすら予定を詰めていた時期がありました。そうしたら人生はもっと充実するはずだ、と。でも繰り返せば繰り返すほど疲れるばかり。そう、「充実した日々」でなく、「充実しているように見える日々」を追い求めていたのですね。それからは無理に予定を埋めるのをやめました。好きな時に、好きな友達に会うことのほうが自分は幸せなことに気がついたからです。
承認欲求から解放されると生きやすくなる
人の目を気にして生きること、は「他人の人生」を歩むことでもあります。ひとは「自分が欲している言葉」をくれる人間に簡単に左右される生き物だからです。人の評価に振り回されている限り、自分の中に自由はありません。いつだって、だれかの、なにかの通りに、自分を曲げて生きていかねばならないからです。
承認欲求から解放される方法
それは、他者からの評価を気にしないことです。フェイスブック、ツイッターなどのSNSでの「いいね!」に一喜一憂することも、また「他者からの承認を求めている」証拠です。怖いのはそれが癖になることですね。「他者から認められる」「褒めて貰う」ことで自分の価値をはかるのではなく、自分の価値を自分で認められるようになると、過度の承認欲求はすーっと消えていくのがわかるでしょう。
落ちこみ、スマホに逃げるより、今できることを積み重ねて
過剰な承認欲求、一見やりすぎとも思える行動は、「いまの状況への不満」からくるものです。ただし、スマホに逃げても、愚痴をはいても、誰かのことを批判しても、ネットに書き込んでも、残念ながらその状況が変わることってないんです。
それより、なぜモヤモヤしているのか。自分に足りない部分はなにか、どうしたら補えるのかを考え、自分にできること、地道な努力を積み重ねることのほうが、よっぽど自分にメリットがあります。
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まとめ
バイトテロの正体はこじらせた承認欲求、
- 承認欲求とは、「他者から認められたい」という素直な気持ちで
- その気持ちが満たされにくくなっている背景には、情報確信という時代背景
- 承認欲求がこじれると、「良いこと」でなく、「悪いこと」で注目を集めたくなる(このほうが楽だから)
対処法としては、
- 他人の評価を気にしないこと
- 自分にできることをコツコツと積み重ねること
人徳を作るのって、大変なのです。時間もかかるし、根気もいるし、なにより自分が成長していかなくてはならない。成長には苦が伴うものですから。でも、長期スパンで見たら今承認されることがなくても、「いまやっていること」が将来とんでもない評価につながることはよくあることなのです。
目の前だけの出来事、気持ちにとらわれず先にをみて行動できるようになると自分も楽になるかもしれませんね。そんなひとが増えたら、もっともっと豊かな世の中になるんじゃないかな、とおもいます。わたしも褒められたいときはあるけれど、自省して、毎日コツコツやっていきたいなとおもいます。
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