Wise man learns from History.

【エリザベス1世とメアリーステュアート】ふたりの女王の物語

2020/07/11
 
mary and elizabeth 1
この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

イングランド女王エリザベス1世と、スコットランド女王メアリー・ステュアートは、歴史のなかで最もスキャンダラスなライバルでありました。戦術的で社交上手なヴァージンクイーンとしてイングランドに安寧を導いたエリザベスと、魅力的でロマンティックだけど国を混乱に陥れた女王メアリー。この記事では、あまりに違うふたりの生き様を、比べてご紹介していきます。

スポンサーリンク

ふたりの女王

庶子として、慎ましく暮らしてきたエリザベス

Elizabeth I and Anne Boleyn.
イングランド王ヘンリー8世と2番目の妻アン・ブーリンの娘エリザベスは、1533年9月7日にグリニッジ宮殿で生まれました。元々王妃の侍女だった母アンは王を虜にしていましたが、ほとんどの宮廷や大衆は彼女を軽蔑しました。王ヘンリー8世は世継ぎとして男児を欲したため、アンの子供が娘であったことに落胆し、彼に無実の罪をきせ処刑してしまいます。

娘のエリザベスは庶子の身分に落とされ「ろくでなしの娘」と小馬鹿にされて育ちました貧しい家庭にわずかな収入しかなく非嫡出子であると宣言され、父親の目からは冷たく隠されていた子供時代エリザベスの家庭教師は「ガウンも、カートルも、ペチコートもない」とこぼし、お金の無心を訴えたこともありました。

 

甘やかされて育ったメアリー・ステュアート

メアリー (スコットランド女王)

同じ年の12月8日、もう一人の王女がスコットランドのリンリトゴー宮殿で誕生しましたメアリー・スチュアートという名の虚弱な乳児は、同じく虚弱なスコットランド王ジェームズ5世と王妃との間に生まれました。わずか6日で父が亡くなり王位を継いだためメアリーはほとんど生まれた時からスコットランドの女王だったといえるでしょう。彼女はまた、自分が『正当な英国の王位継承者である』と言い聞かせられて育てられました

まさにベイビークイーン、赤子のうちにイングランドから求婚されたメアリー王女ですが、母の配慮で最初の5年間はスコットランドの別の宮殿に身を隠しました。1548年になると彼女は、母の故郷フランスの皇太子の元へ嫁ぎます彼女は夫が早逝するまで、スコットランド女王とフランス王妃を兼ね、自由気ままに豪華な生活をおくりました

スポンサーリンク

エリザベスの影に潜む脅威

圧倒的な育ちのちがい

mary stuart

エリザベスの青春時代は主に宮廷以外で本を読んだり、決まった計画を慎ましやかにこなす生活が続きました。一方で「あなたは女王」だと持ち上げられて育ったメアリーは、最も華やかな宮廷のど真ん中を生きてきました。メアリーは、奴隷のような使用人、家庭教師、ペットに囲まれて幼少時代を過ごし彼女の宮廷生活には豪華な衣装、ダンス、乗馬、歌のレッスンまで、若きエリザベスが夢みたものが全て揃っていました

メアリーの女王としての自覚は物心つく前からともにあり、エリザベスのように疑われたり、試されたりすることもありませんでした。「女王」であるのは彼女にとって当たり前であり、それほど深く考えることなく、あまり価値を感じるものでもありませんでした

 

家系図でみる、エリザベスとメアリーの関係

エリザベス1世 家系図(参考:家系図で【テューダー朝をわかりやすく解説】)

美しく雄弁なメアリーが宮廷生活を謳歌していたとき、エリザベスにも転機が訪れました義理の母となったキャサリン・パーの口添えで王位継承権を取り戻しイングランド宮廷へ戻れることになったのです。しかし慣れない王室生活のストレスは、逆にエリザベスを苦しめることになります。1547年に父が死去した後、エリザベスの異母弟エドワード6世が王位に就きました

ヘンリー8世 子女 王位継承権

このときの王位継承権は3位、父の最後の妻であり本当の母のように慕っていたキャサリンパーの庇護もあり、彼女は比較的穏やかな運命をたどるかに思われました。しかしエドワードは早逝、ブラッディメアリーと呼ばれた姉の治世も病気により長くは続かず、早々に彼女に『玉座』が回ってきたのです。

スポンサーリンク

イングランドの複雑な王位継承事情

敬虔なカトリックの姉、ブラッディメアリー

mary_i_of_england

エリザベスの異母姉メアリーは、ヘンリー8世の最初の王妃の娘でした。エリザベスの母親アンには多くの恨みがあり、また自分が玉座についたなら、イングランドをカトリック国に戻そうと決意。実際に多くのプロテスタントを処刑し「ブラッディメアリー」の異名まで得たほどでした。メアリーは異母妹でプロテスタントのエリザベスを軽蔑しており、あらぬ疑いをきせて彼女を牢獄へ監禁するほどでした。

そんな命辛々の人生だったため、1558年にエリザベスが女王の座についたとき、彼女にはそれだけの器が備わっていました、彼女は生き抜く術を蓄え、数十年後に「君主にふさわしいものとは何か。正義、かんしゃく、寛大さ、判断の4つです」と彼女自身の考えを述べました。

 

エリザベスの玉座を揺るがすメアリーの存在

イングランドの王位継承権は自分にあると主張してきたメアリー・ステュアートしかしフランス王だった夫が亡くなり、スコットランドへ戻ると段々と雲行きが怪しくなっていきます。

早々に恋人と再婚したメアリーでしたが相手に不足を知るや否や新しい恋人と共謀して彼を殺害してしまいます。殺害疑惑で満ちた女王に民衆は牙をむきメアリーの立場は一転、逮捕されてしまいます「庶子が統治するべきではない」と散々馬鹿にしていたメアリーですが、御都合主義なのか、なんとか脱獄した彼女が最終的に逃げ込んだのはエリザベスのいるイングランドでした。

逃げる女王

しかしエリザベスはメアリーを再び拘留。シェフィールド城の堅固な要塞に14年間、そして他の様々な要塞に5年間投獄しました。庇護の元でもメアリーの暴走とは止まらず、イングランドを狙うスペイン王フェリペ2世の陰謀に加担し、エリザベスの殺害計画をたてます。数十年かくまってきたエリザベスもさすがにかばいきれなくなり、家臣の後押しもあって「処刑」の判断をくだしました

スポンサーリンク

さいごに

mary stuart

全く異なる2人の女王メアリーエリザベスあなたはどちらの女王に想いを馳せましたか?長年にわたる『イングランド女王の座』をめぐる争いは1587年にエリザベス1世の命により、メアリー・ステュアートが斬首されることで幕を閉じました

しかしこのいとこ同士による骨肉の争いは、生まれる前に運命づけられていたのでしょうか。人生の最初を謳歌し尽くして天命尽きたメアリー・ステュアート波乱の子供時代を経て長く女王の座についてエリザベス1世、大器晩成とは彼女のような人生を言うのかもしれません

この記事を読んだ人へおすすめの記事

参考文献

  • https://www.history.com/news/elizabeth-mary-queen-of-scots-imprisonment-death
  • https://www.tudorsociety.com/8-february-1587-execution-mary-queen-scots-primary-source-account/
  • https://mylinlithgow.com/visit-linlithgow/mary-queen-of-scots/

スポンサーリンク

 

 

この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です