【エリザベートと宮廷生活】皇妃が苦しんだ姑ゾフィとの確執

オーストリアの歴史

窮屈な宮廷生活に疲れ、唯一の望みである子供を継母に取り上げられたエリザベート。空虚な心を紛らわすため、異常ともいえる美への執着がはじまっていくのでした。この記事では、ハプスブルク皇妃エリザベートの結婚生活に焦点をあて、逃避生活の原因となった堅苦しい宮廷生活をみていきましょう。

この記事のポイント
  • 堅苦しい宮廷のしきたりに馴染めなかったエリザベート
  • 姑に子供を取られ、エリザベートは悲しみの余りへ代償行為へ走っていく
  • ウィーンから離れて暮らす日々が続き、最後は旅先で無政府主義者に殺されることとなった
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姑との確執

フランツ・ヨーゼフと結婚し、オーストリア宮廷へ嫁いできたエリザベート。しかしバイエルンの田舎でのびのび自由に育った彼女にとって宮廷生活はとてもしんどいものでありました。そんなエリザベートですが、結婚の翌年に早くも長が誕生します。しかし今度は子育てに際して、継母ゾフィとエリザベートはぶつかることになりました。

この未熟で若い嫁に子育ては無理でしょう

生まれた子は私が育てます

として、姑ゾフィは、エリザベートから子供を取り上げてしまったのです。

悲しい事故

間も無くして、エリザベートの元に次女が生まれます。今度は姑に取られないよう立ち向かい、エリザベートは幼い娘を自分の部屋へと移しました。しかし幸せは続かず、1857年の春、ゾフィの反対を押し切り、エリザベートは無理やり2歳の娘をハンガリーへの長旅に連れ出すのですが、その子を (赤痢により) 病死させてしまいます。

ほら、言った通り。

あなたに子育ては無理だったでしょう

結果として生まれゆく子供はゾフィの手に渡り、エリザベートは悲しさのあまり、国外旅行、美容といった代償行為に熱中していくのでした。

美への執着

悲しみと比例するように、エリザベートは美貌を維持するために多くの時間を費やすようになっていきました。記録によると彼女は、

  • 1日3時間、長い髪の手入れをし、
  • 着付けの際、ウエストを19.5インチ (約50cm)まで縮めるのに約1時間かけた

といいます。年を取るにつれて皺が恐くなり、寝ている間に顔に生の子牛肉のスライスを巻き付けることさえあったそうです。

また食事を厳しく制限して、ハイキング、乗馬、重量挙げ、柔軟体操など、毎日何時間もの厳しい運動をしていましたこういった異常ともいえる美への執着は、現代の摂食障害の症状に似た不健康な強迫観念といったものだったのかもしれません。

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ウィーンからの逃亡

エリザベートはウィーンの息苦しい雰囲気から逃れるため、医師のアドバイスを受けてポルトガルのマデイラ島に向かい、大西洋を見下ろす別荘に住みました。自然溢れる地で、彼女は詩を読み、歩き、周囲の自然に癒される生活を送ったのです。

エリザベートは、1861年にウィーンに戻りましたしかし継母との亀裂は変わらず、ウィーンで生活を再開するや否や、ソフィー大公妃との緊張が再び高まります。

エリザベートは公共の行事への出席を拒否し、身体的および神経的な病気を訴えました。そして医師の助言を受け、地中海の島コルフ島へと移動しました。翌年1862年、バイエルンの家族に会いに行った後、彼女は再びウィーンに戻るなど行き来する生活を続けていました。

心安らぐ場所

特にエリザベートが心安らぐ場所としたのは、ハンガリーでした。ここは当時、オーストリア帝国の一部だったのです。姑ゾフィーはマジャル人嫌いだったといいますが、エリザベートは死ぬまでハンガリーを熱愛し続けたのでした。

その熱意は勉強が大嫌いだった彼女が、短期間でハンガリー語を身につけ、皇帝とハンガリー貴族の通訳を出来るほどでした。王室では異例といわれるほど、病人や弱い人の立場に寄り添ったエリザベート結果として、ハンガリーの自治権回復にも寄与するなど、政治的にも活躍しました。

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エリザベートの最後

エリザベートの晩年における最大の悲劇は、息子ルドルフ皇太子の自殺でした。暗殺説もありましたが、後にルドルフの心中相手が自分の母宛に送った遺書が発見されています。その後エリザベートは死ぬまで喪服を脱ぐことはありませんでした。

そして1898年9月、旅行中のジュネーヴ・レマン湖のほとりで、彼女自身も、イタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニに短剣のようなヤスリで心臓を刺されて、その生涯を閉じることになりました。

愛する息子を失い、一時は死を望んでいたというエリザベート夫フランツはエリザベートの死に深く悲しみましたが、一方で自殺ではなかったことを知り安心した、とも言われています。彼女を殺したイタリアの無政府主義者、ルイージ・ルッチェニは告白の中で、

自身は皇后に対して何もしておらず、ただ国王を殺したいと思っているだけだ

と述べたそうです。

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まとめ

Elisabeth of Austria

堅苦しい宮廷のしきたりに馴染めなかったエリザベート。姑に子供を取られ、エリザベートは悲しみの余りへ代償行為へ走っていきました子供を亡くした失意の中、通りすがりのアナキストに心臓を刺され、その生涯を閉じることになったのでした。

エリザベートは地中海沿岸に埋葬されたいと願っていましたが、フランツ・ヨーゼフはその願いを却下し、代わりにウィーンのカプチン・クリプトに埋葬しました。

時に堂々と公務を投げ出しつつも、皇妃としての生涯をやり遂げたエリザベート。決して愛したことも理解したこともない街の中心にじっと横たわっている彼女は、運命に翻弄された人生を終え今なにを思うのでしょうか。彼女の活躍についてはこちら (【民衆から愛されたシシィ】病んでも平和を願った優しき皇后) に詳しく記載しております。自身が精神病に苦しんだからこそ、人の痛みがわかる優しき皇后の物語であります。

ハプスブルク家シリーズの続編はこちら

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