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なぜ派遣切りをふっきり、前向きな気持ちを取り戻せたのか

2020/06/26
 
warm
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

世の中には不思議なことがある。2020年5月、コロナ禍の真っ最中に2年務めた派遣先から契約更新ができない旨を伝えられた。社内通訳・翻訳という専任ポジションだっただけに、「派遣社員」はやはり真っ先に切られるのかと、「もうあなたは必要がない」といわれたような気がしてその夜は涙が止まらなかった

cry

 

なぜ今、切り捨てられるのか

no words

その後は1ヶ月ほど在宅で仕事をしていたが、精神的に居心地がわるく疎外感が半端なかった。たしかに海外取引が少なくなり、手がすく時間が増えていたけど。海外案件が少なくなっていたのは知っていたが、英文契約書のチェックなど結構重要な部分を任せてもらっていただけにショックだった

「派遣としては契約更新はできないのですが。せっかくのご縁ですので、もし案件がでたら違う形でお仕事をお願いできませんか?」と部長から電話があったが間髪入れずに断った。緊急事態宣言も解除されずコロナ禍での就職がどれほどのものか想像もできなかったので、感情的になってしまった「この時期になぜ」という思いが頭から離れなかった

  • どんなに成果を残しても、感謝もされない
  • じゃあ自分が2年間やってきたことはなんだったんだろう

 

2年は、いったいなんだったのか

people

積み上げてきたものも、スキルも時間も全く無駄だったように思えてしまったのだ。いっそこのまま消えてしまいたい、とおもった。しかし機器返却がある、立派にいい年の社会人なのだ。最後の挨拶にいかないわけにはいかない。モヤモヤしながら最終日の前日まで、在宅で仕事をした。

しかし人生とは不思議なもので、「そんなときにフリーランス翻訳者にならないかという翻訳会社からのお誘いがあった。そこでようやく思い出した、わたしはこの会社にずっといたかったわけでなく、「フリーランス」になりたかったのだ。でも「会社にいって、時給単位でお金をもらえる」ぬるま湯に甘えて、いつの間にかその道を探すことさえ忘れていた。

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とはいっても、うごくしかない

walk

でも人間にはやっぱり、底力というものがあり、

  • できないとおもっていても退路がたたれると
  • 「どうにかして成し遂げる道」を探し始めるのだ
  • アンテナがはられるからか、不思議な縁が舞い込んできたりもする

いや、もしかしたら、普段はチャンスがあってもみえていない (見ないフリをしている) のかもしれない。そんなこんなで、私は悩む間もなく翻訳会社のテストを受けることにした。コロナ禍でどの企業も在宅を推進するなか、就職活動に出歩く選択肢はなかった。

更新不可の連絡をもらった直後はとんでもなく落ち込んだけれど、具体的な方法を探していくうちにこれはチャンスだと思えるようになってきたのだ。

 

そもそも、わたし何がしたかったんだっけ

walk

「3ヶ月更新」は怖かったけれど、不思議と「でも時給も悪くないし人も悪くないし、そんなに遠くないし好きな仕事だし」と、悪くない理由ばかりみつけていつのまにか「いま」にしがみついていた。でも幸せというより「しがみつく」生活はなんだか辛かったようにおもう。だから「踏ん切る理由」ができたことに、心がすっと晴れていったのだ。

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心の変化

light

そこから、会社に対する考え方が変わった

  • 「こんな時期に、なんてことしてくれるんだ」という恨みごとがすーっと消え、
  • 感謝の気持ちで満たされていくのを感じた

なぜって、基礎はあってしかりだが、なにより『経験』が重視される世界で、未経験の私に多くの経験を積む機会をくれたのだ。それに部長は『成果主義』だったので、比較的自由に休むことができた。週4で、だいたい11時出勤 (起きれた時間にいく) という、派遣にしてはありえないフレキシブルさだったのだ。

あまりに仕事量が増減し不規則だからか、「仕事がないときは、好きなことをしていていい」という条件もつけてくれていた。なので、2年間仕事とともに思いっきり勉強ができて、また二足の草鞋生活の土台をも作れたのだ。何を恨むことがあろうか、新たな出発点をつくってくれたんじゃないか

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最後の日

people

最終日会社にいくと、在宅中のはずなのに営業部の人たちがきてくれていた。緊急事態宣言がでて2ヶ月強、完全在宅だった営業部が集まるのはほぼ始めてだった。その時点で私は泣きそうだった。すっかり振り切れて、むしろ感謝の念しか残っていなかった。私は、電話で感情的になったことを部長にあやまり、部長はこれから、通訳や翻訳が必要なときは直接お仕事をお願いしたいと言葉をくれた

もちろん二つ返事なわけで、なんだか心があったかくなった。

  • 自分が築き上げてきたものが、誰かのためになっていたことに気付き
  • 「一緒にはたらけてよかった」と思う人でいられたことを誇りにおもい、
  • そしてなにより、『通訳・翻訳』としての技量を認めてもらい
  • フリーになってもお願いしたいと思ってもらえたこと

2年と2ヶ月がけしてムダではなかったこと辛かったこともあったけど全てが報われた気がした

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心を切り替えるために必要なこと

flower

「ほんとにありがとう」と、「いちばん雰囲気に近いお花を選びました」と渡されたのは、黄色とオレンジのお花がいっぱいに咲いて、赤と緑の差し色がはいった花束でそれはそれは美しかった

「乗り越えられない壁はない」というし、時期がきたからの結果なのだと。新しい生活へは不安はなく、来るべき日が来たのだなと思うのだ。門出に対するワクワクのほうが強い。変化を恐れるよりも、波に抗うようりも、案外そのきた波にさっと乗ってしまったほうがいいのかもしれない

それにしても人と環境に恵まれてきたとおもう。3社目にして、また良い門出をつくることができたのだから。「いやなこと」も「頭にくること」も色々ある、でも結局のところ「目の前のことをしっかりやる」ことが未来へつながるんだ

たぶん私が「環境のせい」や、「コロナのせい」にしてぶつくさ言っていたら、いつまでたっても先には進めなかったとおもう。でも動けば、必ずなにかおもしろい機会に出会えることを知っているのだ。それを教えてくれた今回の会社と、今までの上司たちに心から感謝するばかりである。新しい道へすすむこととなるが、目の前のことを大切に着実にまた一歩一歩歩んでいきたい。そして今までお世話になり、人生の大切な一部を作ってくれた皆様には感謝するばかりである。

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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