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【ヘンリー8世の子女を育てた 優しく聡明な王妃】キャサリンパー

 
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

イギリス国王ヘンリー8世の最後の王妃、キャサリンパーは、ヘンリー8世の6人の妻の中で最も賢く、最も情熱的だったと言われています。「庶子」の身分におとされていたメアリーや、エリザベスを宮廷へ呼び戻し、宮廷人としての教育をほどこし、王位継承権を復活させたのもキャサリンの後ろ盾があってのことでした。そんな優しく聡明であった王妃、キャサリンパーの人生をみていきましょう

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キャサリンパーが王妃に選ばれた理由

(キャサリンパー 画像引用元:Wikipedia)

31歳で未亡人だったキャサリンは、宮廷に出入りしていたところヘンリー8世に見初められたのでした。彼女はトマス・シーモア (ヘンリー8世 3番目の妃ジェーンの兄) に恋をしていましたが、ヘンリーは邪魔なトマスを公務で海外に送り、キャサリンに求婚したそうです。過去に2人の妻との婚姻を無効とし、2人の妻を処刑したヘンリーの求婚にキャサリンは戸惑いましたが、キャサリンは1543年7月12日にハンプトン・コート宮殿でヘンリーと結婚しました。

(Hampton_Court 画像引用元:Wikipedia)

 

聡明で賢く、洗練された王妃

(Catherine Parr 画像引用元:Wikipedia)

キャサリンは陽気で魅力的なだけでなく、学者でもあったそうで、芸術の熱心な後援者であるキャサリンは、自分の本を書いて出版した最初の英国の女王でした。ヘンリー8世は少年時代からエラスムス (ネーデルラント出身の人文主義者、カトリック司祭、神学者、哲学者) と文通するほどの教養の持ち主でしたが、そんなヘンリーと対等に学術談義ができるだけの知性をキャサリンは持っており、特に神学についての造詣が深かったといいます。

(エラスムス 画像引用元:Wikipedia)

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メアリーとエリザベスの王位継承権の復活に貢献

キャサリンパーの大きな功績のひとつは、メアリーとエリザベスの「王位継承権の復活」です王妃となったキャサリンは、当時庶子の身分に落とされていた王女たちをすぐに宮廷に呼び戻して、王位継承権保持者の地位に戻すことを王に嘆願、1543年の第三王位継承法制定につなげました。

(画像引用元:エドワード6世

そしてまだ幼いエドワード (後のエドワード6世) とエリザベスの養育を任さたキャサリンは、彼らへの教育環境を整えたほか、音楽などの芸術についての関心も導き出し王の子女たちも優しい継母を敬愛していました。キャサリンとは3歳しか年が違わないメアリーは、以前からキャサリンとは親しく、継母となったキャサリンとはカトリックとプロテスタントという宗派の違いを越えた深い信頼で結ばれていたといいます。

(画像引用元:メアリー1世)

まだ幼少のエリザベスは、初めての母親らしい存在となったキャサリンに特に懐いたようで、彼女を「大好きなお母様」と呼んだ手紙が残っています。子女たちが王族としての深い教養を身に着けられたのも、聡明な王妃が勉学環境に心を砕いた賜物だったのです。

(画像引用元:エリザベス1世)

 

情熱的すぎるが故の嫌疑

(キャサリンパー 画像引用元:Wikipedia)

宗教改革によりカトリック教会とイングランド国教会の対立が止まなかったこの時代キャサリンの身にも危険が及んだことが1度だけありますキャサリンの知性は、彼女が当時の女性としてはまれに見る読書家だったことに起因するもので、イングランド王妃として初めて著書を発行したわけですが、しかしそれが仇となるのでした。

(マルティン・ルター:1517年に『95ヶ条の論題』をヴィッテンベルクの教会に掲出したことを発端に、ローマ・カトリック教会から分離しプロテスタントが誕生した宗教改革の中心人物である)

キャサリンが神学への興味からマルティン・ルターによる福音主義の教義を勉強していたことから、カトリック司祭らの怒りを買い、キャサリンが異端者であるという報告がヘンリーにもたらされたのです。最終的には「貴族の女性が聖書を読む際は一人で読むこと。また聖書について討論してはならない」という法律が制定され、異端への追求は激しさを増すことになったのでした。

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ヘンリー8世の死後は、イギリス王妃に

(イングランド王妃 キャサリン ・パー 画像引用元:Wikipedia)

キャサリンは、ヘンリーが亡くなるまでの5年間、結婚生活の間ずっと忠誠心を保ち、献身し続けました。1547年1月28日、ヘンリー8世は55歳で亡くなりました。ヘンリーは死の直前に遺言を残し自身の死後キャサリンは王太后としてではなく以後も引き続き王妃としての格式をもって接遇されること、また破格の年7000ポンドの歳費を生涯にわたって国庫から支給されることなどを定めていました

 

しかしキャサリンは、2月末にエドワード6世の戴冠式を見届けると早々に宮廷を退出し、5月には周囲の動揺と反対を押し切って、かつての恋人・海軍司令長官トマス・シーモアと再婚したのでした。

(画像:トマス・シーモア)

トマスの兄・サマセット公エドワード・シーモアがエドワード6世の護国卿となって宮廷に残り、エリザベスはキャサリンとトマスの元に引き取られました。エリザベスが戴冠するのは、それから13年後、1559年1月15日のことです。

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あとがきにかえて

(ドーバーに乗り出すヘンリーの描写 1520年 画像引用元:Wikipedia)

ヘンリー8世最後の王妃となったキャサリンパー、王の子女たちの教育だけではなく、キャサリンは晩年病気を患っていたヘンリー8世の看護にも貢献していたそうです。キャサリンの良識、道徳的誠実さ、思いやり、確固たる宗教的コミットメント、忠誠心と献身の強い感覚は、歴史家の間で多くの賞賛を得ています。欲しいものは手に入れないと気が済まなかったヘンリー8世、結果的に1人の王と、2人の王女を世に送り出したキャサリンパーを選んだのは、最初で最後の英断だったのかもしれません。

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参考文献

  • https://www.hrp.org.uk/hampton-court-palace/history-and-stories/katherine-parr/#gs.9305b6
  • https://en.wikipedia.org/wiki/Catherine_Parr
  • https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_I

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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