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【ヘンリー8世が暮らした中世の居城】ハンプトンコート宮殿

2020/09/06
 
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

ハンプトン・コート宮殿は、英国ロンドン中央部から見てテムズ川の上流に位置し、中世に存在したテューダー王朝の本拠地です。宮殿は現在主要な観光名所として、一般公開されており、宮殿の庭園は毎年開催される『ハンプトン・コート宮殿フラワー・ショー』の会場にもなっています。今日はヘンリー8世が暮らしたこの荘厳なる宮殿の裏話をご紹介します。

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ハンプトン・コートに関する裏話

①元々は侍従トマスが、自分のために建てたお城だった

(ハンプトンコート宮殿の庭園 画像引用元:Wikipedia)

王の主任公使だったトマス・ウルジーが1514年に受け継ぎ、7年間にかけて大規模な再建を行い、現在の宮殿の基礎を作り上げましたハンプトン・コートは、英国一と言われるほど素晴らしい宮殿となったのですが、ヘンリー王が嫉妬したため、結果的にトマスは王へ『宮殿を進呈』することとなります。(素晴らしすぎる宮殿を作ってしまったために、王の目に留まり献上することになったわけですが、偶然なのかそれも計算に入れて作ったのかは謎のままです)

トマス・ウルシー

 

② ヘンリー8世が『居城』とした宮殿

ハンプトンコート宮殿

ヘンリー8世の大法官であるトーマス・ウォルシー枢機卿は、ハンプトン・コート宮殿を通常の別荘から壮大な宮殿へと変身させました。ヘンリー8世はこの宮殿を大変気に入り、居城として結果的に6人の妃もこの宮殿に暮らすこととなります。

美しい庭園と、メイズやグレートヴァインのような有名な特徴に囲まれている宮殿は、多くの国家的に重要なイベントの舞台となってきました。映画ブーリン家の姉妹では、英国中世の優雅な宮廷生活を覗き見ることができます。

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③ 豪華な晩餐会と、豪華な宮廷生活

(3番目の妃ジェーン・シーモアと息子エドワード 画像引用元:WIkipedia)

1530年代には、ヘンリー8世のハンプトン・コートは宮殿、ホテル、劇場、広大なレジャー施設となっていましたイングランド王は、豪華な晩餐会、豪華な宮廷生活、そして信じられないほど高価な芸術を通して、あらゆる方法で雄大さと権力を誇示するためにそれを利用したといいます。

(クリストファー・レンによる南正面 画像引用元:Wikipedia)

宮殿には、ヘンリーが寝て食事をしてくつろいだ国営アパートと私設アパート、女王の私設アパートのほかに、廷臣たちの宿泊施設がありましたその様式は居住者の身分に沿ったものでしたが、権威を印象づけることを意図していたようです。

 

③ 800人の廷臣のために、調理場を拡張

ヘンリー8世には最高800人の廷臣がおりました王は1400年代後半に元居住者が造ったキッチンを拡張して、1日に1600食を提供できる調理場に作り変えたのでした。

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④ 花嫁を迎えるためにつくられた運河がある

Hampton_Court Matahari terbenam di Long Water.

この美しい運河はチャールズ2世によって、花嫁のキャサリン・オブ・ブラガンザの到着に備えてつくられたものです。カップルは宮殿で新婚旅行をし、白鳥の形をしたボートがロマンチックなジェスチャーで運河を上ったという、贅沢ながら微笑ましいエピソードも残っています。

 

⑤ 最もエレガントな時代を彩ったお城

ハンプトンコート宮殿

1689年にウィリアム3世とメアリー2世が即位すると、彼らはクリストファー・レンに新しいバロック様式の宮殿を設計するよう依頼しました。レンは宮殿全体を破壊するという当初の計画を破棄し、代わりに壮大な噴水コートを作り、チューダー宮殿の大部分をそのまま残しました。 女王の居室、浴室、寝室、個人用教会は現在も一般公開されています

 

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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