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【英国王室の歴史】ヘンリー8世は、本当にただの女好きだったのか

2019/11/28
 
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

6度の結婚に加えて、ローマ・カトリック教会との断絶 (イングランド国教会の設立) でも有名なヘンリー8世彼は2人の王妃、アン・ブーリンとキャサリン・ハワードを断頭台へ送っており、その傲慢さと残虐さでも名を馳せる彼ですが、功績と呼べるものは本当にそれだけだったのでしょうかこの記事ではヘンリー8世の生涯と、あまり知られていない5つの事実をご紹介します。

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映画『ブーリン家の姉妹』では、エリザベス一世を生んだ悲劇の王妃として、2番目の妃とヘンリー8世の出来事が語られており、また英国中世の宮廷生活を覗き見ることができます。

 

 

① ヘンリー8世は、カリスマ的な統治者だった

ヘンリー8世は同時代に生きた人からは、『絶頂期においては魅力的で教養があり老練な王』で、王位ついた人物の中で最もカリスマ性のあった統治者と見られていたようです。権力をふるいながら、文筆家および作曲家としても活動していました。薔薇戦争の後の危うい平和のもとで女性君主にテューダー朝をまとめることは無理だと考え、男子の世継ぎを渇望しました。そのため6度も結婚、離婚を繰り返して、イングランドにおける宗教改革を招いたわけですが、晩年は健康を害したこともあり、『好色、利己的、無慈悲かつ不安定な王』だったとされています。

 

② そもそも王位につく予定ではなかった

(ヘンリー8世の兄 アーサー 画像引用元:Wikipedia

そもそもヘンリー8世は王座につく予定はなく、王位は兄のアーサーが継ぐ予定でした。というのも、彼の母親エリザベスはヨーク家のエドワード4世の王女で、父親ヘンリー7世は対立するランカスター家の系統、この2人の結婚によって長引く薔薇戦争の内乱は終止符を打たれたのですが、その翌年1486年、第1子アーサーが誕生したものですから、専ら兄アーサーが王太子として、将来を期待されてきたのです

(薔薇戦争は、ランカスター家とヨーク家の、30年に及ぶ権力闘争)

彼は1502年にスペイン王の娘キャサリン・オブ・アラゴンと結婚しました。しかし、わずか4ヶ月後、15歳のアーサーは謎の病気で亡くなり、王座につくことはなく、結果ヘンリー8世が1509年に17歳で王位に就くことになったのです。

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③ ヘンリーの1番目の妃は、兄の元嫁だった

(王妃キャサリン ミケル・シトウ画 1500年 画像引用元:Wikipedia)

アーサーの死により、キャサリンオブアラゴンは未亡人となります。しかし当時若くして未亡人となッタバ愛は、持参金とともに帰国するのが常識でしたヘンリー8世はキャサリン (と持参金200,000ダカット) を返したくない、という下心から、やむなく、ャサリンをイギリス王宮にとどめておくために、次男ヘンリー8世と結婚させることにしたのでした。2人の結婚生活は長かったこともあり、円満だったといわれていますが、次第にヘンリー8世の好色が目立つようになり、世継ぎが望めないことも重なって、泥沼の離婚騒動に発展したのでした。

 

④ 実は借金地獄だった

(1542年のヘンリー画像引用元:Wikipedia)

ヘンリー8世が亡くなった頃、彼は50の王宮をもちコレクション(楽器やタペストリーを含む)とギャンブルに多額の費用を費やしていたそうです。彼がスコットランドとフランスとの戦争に数百万を費やしたことは言うまでもなく、ヘンリーの8世の息子、エドワード6世に王座が継承されたとき、王室はとても残念な状態だったといいます。

 

⑤ 王は3番目の妃の隣に埋葬された

(左:ジェーン・シーモア 右:エドワード6世)

3番目の王妃はジェーン・シーモア、ヘンリー8世の後継者であるエドワード6世を産んだ女性です。1536年のアン・ブーリンの刑死後、ヘンリー8世はジェーンと結婚し、翌1537年に男児 (後のエドワード6世) を出産しますが、その月のうちに産褥死してしまいました。ヘンリー8世は深く悲しんだそうで、世継ぎの男子を産んだジェーンに感謝を込めて、6人の王妃のうちでただ一人、ウィンザー城内の王室霊廟において隣に眠ることを許したそうです。

 (グレート・パークから見たウィンザー城 画像引用元:Wikipedia)

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あとがきにかえて

 (ヘンリーが作曲した”Pastime with Good Company”の楽譜、1513年 画像引用元: Wikipedia)

ヘンリー8世の生意気な自負心と、残忍で冷酷な行いに類稀なる好色、彼が残した逸話の数々はいまもわたしたちを魅了しています。しかし彼はただ『暴君』だったわけではなく、知的で、言語学者で、スポーツ狂で、ファッションに敏感で、文化的に洗練されており、素晴らしい音楽家であり、作曲家でもあったのです。宮廷のインテリアは、重要な家具、芸術作品、あらゆる種類の驚異で満たされていたといいます。数々の女性を虜にしたヘンリー8世、単純に英国王だから、というわけではなく、それだけのものが彼にはあったのかもしれません。

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参考文献

  • https://www.hrp.org.uk/hampton-court-palace/history-and-stories/henry-viii/#gs.95lp5q
  • https://www.historyhit.com/facts-about-henry-viii/
  • https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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