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【ケネディ大統領の妻】ジャッキーと愛されたファーストレディ

 
ケネディ大統領の妻 ジャッキー
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謎の女性。歴史の中の人物像を徹底的に知りたがる世界史オタク。絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

ジョン・F・ケネディの妻、ジャクリーン。大統領暗殺事件では撃たれた夫を拾い集めようとしたシーンが印象的な彼女ですが、元々元来の愛嬌と洗練されたファッションで世界中から注目を浴びたファーストレディでもありました。この記事では、ジャッキーの名前で愛されたケネディ夫人をご紹介します。

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ケネディ夫人とは、どんな人物だったのか

ジャクリーヌ・ケネディ・ナオシス

ケネディ大統領の妻 ジャッキー

ジャクリーヌ・ケネディ・オナシスは、1961年から1963年まで在任し米国で最もエネルギッシュな政治家ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された後、衝撃を受けた国家の強さを象徴する象徴でした。

1953年にジョン・F・ケネディと結婚し、1961年にファーストレディーになった時、ホワイトハウスに元の優雅さを取り戻しその蔵書を守るために活動しました。1963年に夫が暗殺されたあとは、ニューヨーク市に移り住み、1968年に「20世紀最大の海運王」といわれたギリシャのアリストテル・オナシスと結婚、1994年に癌のため亡くなりました。

 

世界を虜にした女性の生い立ち

ケネディ大統領の妻 ジャッキー

ジャッキーは1929年7月28日、ニューヨーク州サウサンプトンで生まれました。彼女の父、ジョン・ブービエは裕福なニューヨークのフランスカトリック系の株式仲買人で、彼女の母、ジャネットはアイルランドカトリックの遺産を持つ馬術の名手でした。

聡明で好奇心が強く時にはいたずら好き、彼女の小学校の先生の一人は彼女を「一番かわいい女の子、とても利口で芸術的でまるでかわいらしい小悪魔のよう」と表現し、別の先生は「地理のクラスでの彼女の不穏な振る舞いは、目に余る物だった」としてときに部屋から締め出すこともあったと語りました。子供の頃にはメトロポリタン歌劇場でバレエを、12歳からフランス語を習い始め恵まれた幼少期を過ごしました。

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フランス留学への留学

ケネディ大統領の妻 ジャッキー

ジャッキーは、コネチカット州にある名門の全寮制学校に通っていました。そこでは厳格な学問だけでなく、礼儀作法や会話術も重視されました。高校3年生のときには、学校新聞に頻繁にエッセイや詩を書き、最優秀文学賞を受賞するなど学生としての才能を発揮し、彼女は卒業アルバムで人生の目標について「主婦にはなれません」と書いています。

学校を卒業後ニューヨークのバッサー大学に入学し、歴史、文学、美術、フランス語を勉強しました。3年生でパリに留学し、のちにこれが「生涯で一番愛おしい時間だった」と書いています。

ケネディ大統領の妻 ジャッキー

家を離れて、色々と考え方が変わりました知識を渇望することはけして恥ではないことがわかりました。それは私がいつも隠そうとしてきたものだったのです。そして、私はここで再びここへ戻ることを嬉しく思いながらも、消して忘れることのないヨーロッパへの愛を持って帰ってきました

“Being away from home gave me a chance to look at myself with a jaundiced eye. I learned not to be ashamed of a real hunger for knowledge, something that I had always tried to hide, and I came home glad to start in here again but with a love for Europe that I am afraid will never leave me.”

 

ワシントン・タイムズ紙への就職

ケネディ大統領の妻 ジャッキー

パリから帰国したジャッキーは、ワシントンD.C.のジョージ・ワシントン大学に移り、1951年にフランス文学士号を取得しました。1951年に大学を卒業すると、ワシントン・タイムズ・ヘラルド紙に「カメラガール」として就職しました。彼女の仕事は、さまざまなワシントン住民の写真を撮り、インタビューをした後、それらの写真と反応を彼女のコラムに織り込むことでした。

彼女がとくに注目した話題には、リチャード・ニクソンとのインタビュー、ドワイト・アイゼンハワー大統領の就任式の報道、エリザベス2世女王の戴冠式などがあります。

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ジョン・F・ケネディとの結婚

ケネディ大統領の妻 ジャッキー

ジャッキーがジョン・F・ケネディというマサチューセッツ州選出の若く颯爽とした議員に出会ったのは1952年の晩餐会の席でした。その1年後の1953年9月に2人は結婚。4年後にジャッキーは第一子キャロライン・ケネディを出産しました。彼の執筆活動を手伝ったりもしていました。

1960年1月、ジョン・F・ケネディは米国大統領への立候補を発表しました。ジャッキーは当時妊娠中のため遊説には参加できませんでしたが、自宅から精力的に選挙活動を行いました。彼女は手紙に返事を書き、インタビューを行い、コマーシャルを録画し、毎週配信される新聞のコラム「キャンペーン・ワイフ」を書きました。

 

アメリカのファーストレディーへ

ケネディ大統領の妻 ジャッキー

1960年11月8日、ケネディは、ほんのわずかの差でリチャード・ニクソンを破り、米国の第35代大統領となります。ファーストレディとしてのケネディ夫人の誕生です。それから3週間も経たないうちに、ジャッキーは第二子のジョン・フィッツジェラルド・ケネディJrを出産しました。

ジャッキーは大統領同行のみならず海外旅行も頻繁に行っており、海外の文化や言語にも長けており(彼女はフランス語、スペイン語、イタリア語を流暢に話した)、諸外国からの印象も好意的なものでした。彼女がフランスであまりにも受けが良くケネディ大統領は自分のことを「今日はジャクリーンの同行でまいりました」と紹介するほどでした。

 

ケネディ大統領の暗殺

ケネディ大統領の妻 ジャッキー

1963年11月22日、ジャッキーはテキサス州ダラスで群衆に向け演説する夫に付き添い、リンカーンコンチネンタルのコンバーチブルの後部座席に座っていました。ケネディ大統領がオズワルドに撃たれたのは一瞬のことでした。

ケネディ大統領の妻 ジャッキー

大統領夫人の落ち着いたピンクの背広姿は、国の喪の象徴となりました。

ケネディ大統領の暗殺とジャッキーのピンクのスーツ

ジャッキーは加害者への見せしめのように、しばらくは血まみれのスーツを着たままでいました。ジャッキーは夫の棺の隣に座り、車で大統領になったジョンソンと妻が搭乗していたエアフォースワンに向かいました飛行機の中で、周りの人々が彼女に着替えを勧めました。彼女は顔を拭いましたが、頑として着替えることはありませんでした

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海運王との再婚と第二の人生

ケネディ大統領の妻 ジャッキー

ジョン・F・ケネディの死から5年後の1968年、ジャッキーはギリシャの海運王アリストテル・オナシスと結婚しました。歳の差がある2人の結婚は波紋をよび、マスコミはジャッキーがお金のために結婚したのではないか、と憶測を立てました。しかし実際近くにいる人は当時39歳のジャッキーがなぜパートナーを切望していたのかを理解していたといいます。

当時の彼女の個人秘書であるキャシーは、ジャッキーの姿をこう語っています。 「彼女は夜一人でいました、そして私は彼女がとても孤独だったと思います。そして彼女は自分の子供たちのことを考えていました。 彼はジョンとキャロラインの良い父親でした」彼は一緒に食堂のテーブルに座って、学校はどうだったのかと尋ねました。歳の差はありましたが、お互い敬意を払い彼らを家族を愛していたのです。しかし、わずか7年後の1975年に死去し、ジャッキーは二度目の未亡人となりました。

 

元大統領夫人の最後

ケネディ大統領の妻 ジャッキー

2番目の夫の死の後、ジャッキーはケネディと結婚したときに辞めた仕事に復帰しました。ニューヨークのバイキング・プレスで編集者として働きその後ダブルデーに移り上級編集者を務めました。

1994年5月19日、64歳癌のために死去したジャクリーン・ブビエル・ケネディ・オナシスは、不滅の火が残るアーリントン国立墓地のジョン・F・ケネディ大統領の墓のそばに葬られています。彼女は生涯を通じて、世界で最も尊敬される女性のリストに名を連ねていました。聡明で美しく上品なジャッキーの存在は、アメリカ文化の一時代を象徴するようになりました。

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まとめ

ザクラウン ケネディ夫人とエリザベス女王

お嬢様育ちのケネディ夫人、愛らしいキャラクターと容姿に好奇心が拍車をかけ勉学にも励んだ結果が、ケネディ(元議員)との出会いだったのでしょうか。フランスへ留学していた経験から、大統領の外遊同行で自分なりの役目を果たすなど、第二次世界大戦後の時代のエレガンスを象徴する存在だったジャッキーアメリカ史上最も愛され、象徴的なファーストレディーの1人として語られ続けています。

NETFLIXオリジナルドラマ『ザ・クラウン』の第二シーズンでは、女優ジョディ・バルフォアが演じるケネディ夫人がエリザベス女王へ謁見する姿が繊細に描かれていました。

再婚は波紋を呼びましたが、夫を隣で殺されるという突然の悲劇から立ち直るためにも、博学で教養を備えた彼女にとってナオシスの存在は掛け替えのないものだったのかもしれません。大統領暗殺事件についてはこちらの記事【ケネディ大統領 暗殺事件】ジャッキーが血塗れのスーツを脱がなかった理由でもふれております。アメリカの人時代を彩った女の意思や嗜好は今もホワイトハウスや、アメリカ文化の中にさり気なく反映されているのでした。

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参考文献

  • https://www.whitehouse.gov/about-the-white-house/first-ladies/jacqueline-lee-bouvier-kennedy/
  • https://www.biography.com/us-first-lady/jacqueline-kennedy-onassis
  • https://www.washingtonpost.com/history/2018/10/20/how-could-you-day-jackie-kennedy-became-jackie-onassis/
  • https://www.belfasttelegraph.co.uk/woman/life/jackie-kennedy-the-truth-behind-the-myth-28664788.html
  • https://www.biography.com/news/john-k-kennedy-jackie-wedding
  • https://thriftstorescans.tumblr.com/post/58462011563/washington-times-herald-inquiring-photographer

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