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【猫でもわかるレオナルド・ダ・ヴィンチ】代表作品をわかりやすく解説

 
レオナルド・ダ・ヴィンチ
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

『モナリザ』で知られるレオナルド・ダ・ヴィンチは、イタリアの芸術家絵画だけでなく、文学、建築、化学分野でも秀でており傑出した発明をするなど、多才多芸な人物でもありました。この記事では『万能の天才』と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチと、彼の作品の特徴をご紹介します。

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レオナルド・ダ・ヴィンチとは

絵画だけでなく、彫刻、建築などにも秀でた万能の天才

レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年4月から1519年5月までこの世界を彩った真の天才であり、芸術だけでなく科学にも大きな遺産を残した人物です。リアの画家であり、そのほかにも製図、彫刻、建築、技術にも長け、分野をまたいで活躍した、歴史上最も影響力のある芸術家のひとりです。

ダ・ヴィンチは、ラファエロやミケランジェロと同時代にうまれ『創造性』の黄金時代を築き、彼が触れるものすべてに彼のユニークな才能を発揮しました。ペリクレス時代のアテネと同様、ルネッサンス・イタリアは人類史の頂点とされており、現在ルネサンス時代を象徴する名前としてレオナルド・ダ・ヴィンチ以上にふさわしいものはない、ともいわれています。

 

14歳で、ヴェロッキオに弟子入り

Toscana

レオナルド・ダ・ヴィンチは、ヴィンチ村の近くにあるトスカーナの小集落で生まれましたそして14歳のときに、当時もっとも人気を集めていたヴェロッキオに弟子入りします。多忙を極めていたヴェロッキオの工房で、若きレオナルドはドメニコ・ギルランダイオ、ピエトロ・ペルジーノ、ロレンツォ・ディ・クレディといった見習い仲間とともに働きながら、絵の具を混ぜたりする短調な作業から表面を整えたりする作業まで様々な工程を学んでいきましたそして最終的には模写だけでなく、他の弟子たちと一緒に、ヴェロッキオの作品製作を手伝うまでに至りました。

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天才たちのなかで

逸材に囲まれて、様々な知識を習得

https://en.wikipedia.org/wiki/Andrea_del_Verrocchio

ヴェロッキオは、ドナテッロの師のもとで工芸を学び、この時代にイタリアを統治していたメディチ家に正式に認められた彫刻家でした。またもうひとつ興味深いのはフィレンツェの芸術家としてだけでなく、教育家としても第一人者であったことです。それ故工房には前途有望な若い芸術家たちが大勢集まることなりました。実際ペルジーノは後に弟子としてラファエロを、ギルランダイオはミケランジェロを迎えています。

Verrocchio Disciple

レオナルドは見習い期間中に工房やその周辺で働く人々を通じて、絵や彫刻の技術だけでなく、、機械工、大工、冶金、建築製図、化学など、さまざまな分野の知識を身につけました

 

レオナルドの代表的な作品

『受胎告知』レオナルド・ダ・ヴィンチ

ヴェロッキオの工房で修行していた頃の作品には『受胎告知』があります。この静かな作品は、空気の存在が感じられる背景のなかに描かれたもので、レオナルドは下準備に手間をかけ、色を入れる前に、単色で下描きする革新的な方法をとっていました。

Leonardo da Vinci

ヴェロッキオの元を離れて自分の工房を立ち上げた後、レオナルドは初期の芸術作品を生み出していきます。彼は同時代の芸術家のように宗教的に焦点を当てていましたが、肖像画の依頼も受けていました。その後5年ほどの間にカーネーションの聖母』『ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像』『ブノアの聖母』『マギーの礼拝』『荒野の聖ヒエロニムスなどの名画を制作していますが、後の2枚は未完成です。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ 作品の特徴

絵画作品にみられる技法

岩窟の聖母 (がんくつのせいぼ)

絵がより現実味を帯びるよう、輪郭の線をあいまいにする「スマフート効果」を生み出したのもレオナルドで、これはミラノ派の特徴となりました。レオナルドは1438年まではミラノのスフォルツァ家で活動し、そのときの最初の作品が岩窟の生母』、幻想的な風景のなかに神秘的な光を浴びた聖像が描かれています。

『最後の晩餐』 L'Ultima Cena

またミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂にある『最後の晩餐』は、後世にもっとも大きな影響をあたえた作品で乾いたしっくいに油彩で描くという実験的な技法が用いられました。当時壁画には水彩が使われるのが一般的でしたが、この革新的な試みは幸か不幸かはがれやすく今作品がぼんやりとしか見えないのはダメージも起因しています。

 

晩年のレオナルドは、絵画以外に力を注いだ

スフォルツァ騎馬像 (レオナルド・ダヴィンチのスケッチ)

スフォルツァ騎馬像は、レオナルド・ダ・ヴィンチが製作に着手したものの未完成に終わった騎馬像です。製作が中断したため現物は存在しませんが、復元が試みられました。このあとフィレンツェに戻ったレオナルドが製作したのが『モナ・リザ』や 『聖アンナと聖母子』シリーズです。

モナリザと「聖アンナと聖母子」

レオナルドは晩年は忙しくローマとフィレンツェで過ごしましたが、最終的にはフランソワ1世の庇護のもとフランスで暮らし、絵はほとんど描かずかわりに様々な分野で活躍しました。とくに科学上の実験と精密な自然観察に没頭し、ウインザーの王立図書館に所蔵されている多くのノートやスケッチから、研究好きな精神と非凡な知性をみてとることができます

レオナルド・ダ・ヴィンチの研究

Leonardo da Vinci

彼の主要なテーマは解剖学でした。人体を解剖し、内臓器官をこまかく記録した資料がいまものこっています。ほかにも植物学、水の動き、河川の管理、兵器、飛行装置などを研究し、何世紀の前に独自の理論を持っていました兵器や飛行装置に発明の才はみられますが実際には実現不可能なものでありました。

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さいごに

Leonardo da Vinci

レオナルドは建築学にも秀でており、教会の設計を中心に建築を描くこともありました。レオナルド・ダヴィンチは当時の学問にたずさわらず、古典古代の文学にも文学にもほとんど興味がなかったといいます。典型的な人文主義者(ルネサンス期において、ギリシア・ローマの古典文芸や聖書原典の研究を元に、神や人間の本質を考察した知識人)ではありませんでしたが、その偉大なる名声ははかりしれず、その存在は、『知的な思索者としての芸術家』という概念を確率するのに大きな役割を果たしたのでした。

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参考文献

  • https://www.leonardodavinci.net/
  • https://en.wikipedia.org/wiki/Annunciation_(Leonardo)
  • かみのごときミケランジェロ 著:池上英洋
  • The panorama of the Renaissance  Aston, Margaret (訳: 樺山紘一)

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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