EVER UPWARD. WE CAN DO IT.

【マリッジブルーを乗り越えろ】心の平穏は、悩んだ先に必ずある

2020/01/10
 
マリッジブルーを乗り越えろ
この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

若い日の夢「マリッジブルーになってみたい」

マリッジブルーを乗り越えろ

20代になったばかりの頃いってみたいセリフがあったそれは言わずと知れた花嫁さんのセリフ「わたしいまマリッジブルーかも」恋愛もうまくいかず将来に保証もなかったあの頃のわたしにとって「結婚」はまるで別世界にあるようで、「憧れそのもの」でもあった。結婚すればこの退屈な人生が変わるかも、とおもっていて、「もう別れることを心配しなくてもいい」「ひとりで稼がなくてもいい」と、「なぞの安定感」を感じさせるものでもあった。

実際はそんなことはない。「結婚の先」にあるのは、変わらぬ「日々の生活」で、実際は住居や環境は変われど、そんなに「人生をかえるなにか」でないことを今は思うそんな私ももうじき30になる、結婚することになった。そこであんなにいってみたかったセリフを、ついに言えるようになった。私はいま、マリッジブルーだ

 

想像と違った色々なこと

マリッジブルーを乗り越えろ

しかし想定外だったのは、それが「幸せ」とか「キラキラ」したものではけしてなかったことだ。「花嫁がこれからの大きな変化を恐れて本当にこれでいいのか迷うことだとは知っていた。色々かんがえても結局本質はシンプルで、「変化がこわい」だけなのだけど。でもそれだけじゃなくって、なんだか、妙に情緒が不安定なのだ。ちょっとしたことで彼にイライラしたり、「これでいいのか」と思ったり

何しろ人は「いきなりやってきた幸福にナーバスになる」ものだそうで、「変わらないということに安心を感じる」生き物だそうだ。どうしよう、これはつらい、彼の両親も、私の両親もとても喜んでくれている。でも確実に周りが、「二人の結婚を祝福モード」にはいっているなかで、私は焦っている。よくわからない何かにおわれるように、もういっそ逃げ出すためにフライングで「婚姻届」を出してしまおうか

スポンサーリンク

 

 

悩んだ先に見えてきたもの

マリッジブルーを乗り越えろ

でもそんなことをグジグジ悩んでいて思ったのだ。「幸せにしてもらえる」とおもい、「経済的にも誰かに依存」していたら、この感情はなかっただろうなと実際昔のわたしは「相手に幸せをにしてもらう」のが当然だとおもっていたでも実際はどうかというと、そんな気は20代のうちに強風でどっかにかっさらわれた。よくいう「白馬の王子様はあらわれない」ことに気が付いたのだ。

彼はスペイン系のアメリカ人だが、たぶん普通の日本人家庭とはちょっとちがう。「きっちり割る」のが普通だし、「家事」やなんやかんやもきっちり分けられている。むしろ私は家庭のあれこれより仕事のほうが好きなので、落ち着くべきところに落ち着いたなとおもう。稼ぎはきっちり半分こになるが、家事も子育てもお互いがやることになるのだから、win-winともいえる依存しているわけではないが彼の存在は「安心」であり「励み」でもあり、心地よい距離感で、お互いがお互いを支えっているのだ。

 

こうすれば幸せ、なんて夢物語はない

マリッジブルーを乗り越えろ

結婚となると「恋愛」のときなら気にならないような小さなことも気になってくる。「これが一生続くのはきついな」と考えすぎてしまったりもする。しかし人間そもそも「違って当たり前なのだ」。相手にあわせていると自分がなくなるし、我を通してもいいことはなくて。だからときにぶつかったとしても、ふたりで、お互いが心地よい道をつくっていくってそんな感じなのだ。「毎日がキラキラしている」とか、「幸せすぎて、隕石が降ってくるんじゃないか」なんてことは全く思わないけどそのかわり、朝いっしょに飲むコーヒーとか、休日にいくトランポリンのあとのご飯のおいしさとか彼の親が愛おしんでくれることとか、そういう小さなことで心があたたかくなることは増えた。

スポンサーリンク

マリッジブルーって、成長のために必要なステップ

マリッジブルーを乗り越えろ

そう見ていくと「マリッジブルー」って、「人間の成長のひとつ」なのではないか、ともおもう人は成人したら物理的にか、精神的にか、金銭的にか、親元から離れて自立していく。自分で稼ぐことの大変さを知り、最初の安い給与のなかでなんとかやりくりをして、社会の荒波に揉まれながら、「生きていく術」を身をもって学んでいく。でも自分も兄弟も年をとっていくのと同時に、当然ながら親も年をとっていく一人で気ままに「実家」にいることは楽なのだけど、それがいつまで続くかって、誰にも、わからないことなのだ。

 

結婚すべき、せぬべき、とかそんなことはどうでもいい

マリッジブルーを乗り越えろ

ただ「伴侶とともに歩んでいく道」というのをわたしは人生で経験してみたい、とおもったそれは自分の選択であり、誰に求められるわけでもない。「自分が決める」ことだ。マリッジブルーってまとめるけど、要するに私はこわいのだ。「幸せになれるか」とか、「子供ができたときにきちんと育てられるか」とか、「金銭的に苦しくなるんじゃないか」とか。うちの両親がわたしにしてくれたように、子供に不自由のない暮らしをおくらせてあげられるのか、とか。わからないことが多すぎて、「なにが怖いかわからない」ほど、何かがこわくてしかたがないのだ。

スポンサーリンク

頂上の景色の美しさを知るのは、登った人だけ

マリッジブルーを乗り越えろ

3月のライオンの最新刊にぐっとくる言葉があった。「できない」は二つにわけられると。「(できるのにめんどうくさくて)したくないこと」「物理的にできないこと」。そして大抵、光は「できるのに面倒臭くてしたくない」ことの先にあるのだと。富士山に登るのは誰にとっても大変だ。下からみているとさらに「なぜこんなに苦しい思いをわざわざ..」とおもってしまうが、登った頂上の美しさや、達成感、得られるものは登った人にしかわからないのだろう。

 

なにより、大切なひとがいるってあたたかい

マリッジブルーを乗り越えろ

堂々巡りになったときは原点に立ち戻るのがいい。そもそも「大切なひとがいる」ってすごくあたたかいことなのだ一緒にいてほっとしたり、励まされたり夫婦ってただ「お互いのことが大切」という前提があり。その絆を大切にしながらふたりで社会の荒波をこえてくマリッジブルーになったときは旦那ではなく「いちばん信頼のできるパートナー」と言い換えると見方が少し変わってくる気がする。

もちろん人間だから、ときにぶつかったり、イラッとすることもあるかもしれないけど、喜怒哀楽に溢れた社会のなかで、「一緒に生きていく」いちばんの味方がいるって、ほんとうに幸せなことなのだ。そもそも人間はひとりでうまれて、ひとりで死んでいくのだから。マリッジブルーになったり、「先」の不安に取り込まれそうな時こそ、「周りにひとがいてくれているこそは、あたりまえじゃなく凄く尊いこと」を思い出したい

スポンサーリンク

 

 

あとがきにかえて

マリッジブルーを乗り越えろ

「マリッジブルー」って全く悪いことではなく、むしろ正常なことだ。「覚悟」を決める時間であり、「親」と話す時間であり、「幸せになる決意」を持つ時間であり。そのなかに「育ててくれたことへの感謝」とか、「大切な人が、自分の親とか大切ね人をおもってくれることのあたたかさ」をみていろんなものに気づいていくのだから。

ひとりでいても幸せ、でもふたりでいたらもっと幸せ」。それならば、マリッジブルーというのは、自分の幸せに責任を持っているから、感じるものであって、決して悪いものじゃなくって、「いままでの生活」から出て「新しい生活」をはじめるために頭と心の中の整理のための時間なんじゃないか。そうこれもすべて「自分」が「自分」になるための必要なプロセスなのだ。自分も自身大器晩成型だと励ましながら、これからも歩をすすめていきければいいなとおもう。光はいつだって、「面倒臭いこと」の先にあるのだから。

この記事を読んだ人へお勧めの記事

スポンサーリンク

この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です