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【カルロス2世とスペイン宮廷】に纏わる奇妙な逸話5つ

 
カルロス2世
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

身体的精神的にさまざまな症状にみまわれたカルロス2世は、病気と政情不安、そして2人の妻の死を経て、1700年38歳にて亡くなりました。一族に受け継がれた『濃すぎる血』は子孫の弱体化をまねき結果スペイン王は子供を遺すことはできずアンジュー公フィリップ (母方のいとこ)を王位継承者として指名しますがそれはスペイン帝国を混乱に陥れ、スペイン継承戦争に突入することになりました。この記事ではスペイン宮廷とカルロス2世に纏わる奇妙な逸話5つをご紹介します。

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カルロス2世とスペイン宮廷に纏わる、5の奇妙な事実

① スペインは、『異端審問』が支配した

カルロス2世 (カルロス2世の肖像画)

カルロス2世は、精神的にも肉体的にも統治するには不向きであり宮廷は国王の状態を公衆から隠すことを望みました。その結果、王の代わりに摂政その他の機関が統治することになったのですが、カルロス2世の治世に、スペインを支配した事実上の権威は『異端審問』でしたその結果、多くの人々が異端者として亡くなったのでした。(※ 異端審問とは 中世以降のカトリック教会において、正統信仰に反する教えを持つという疑いを受けた者を裁判するために設けられたシステム)

 

② 同じ近交係数であれど、姉マルガリータは普通だった

青いドレスの王女「マルガリータ」 (参考:怖い絵画【青いドレスの王女マルガリータが背負った 宮廷人の宿命】)

同じ近交係数を持つ姉マルガリータは病弱ではあれど、カルロス2世ほど顕著な影響はみられませんでした。カルロス2世には色々な問題があったため、姉であるマルガリータ王女の結婚は慎重に勧められました。女児であれど王位継承者が他にもいることを宮廷は示しておきたかったのです。(ハプスブルク家の断絶危機はヨーロッパ中が知るところで、スペイン王の座を狙うものはたくさんいた)

 

③ 姉マルガリータ王女は、また近親結婚の道へ

マルガリータ・テレサ

結果として、マルガリータは代々受け継がれてきたように、また近親結婚に走ることになりました。相手は神聖ローマ帝国の皇帝レオポルド1世出身はオーストリアハプスブルク家であり、父方のいとこは、彼女の母方の叔父でもありました。

マルガリータは弟カルロスほどではなくとも、ある程度の健康問題は抱えていました。王妃となった彼女にまわりは世継ぎを期待しましたが、彼女は2回の流産を経験、それでも6人の子供を出産しましたが、乳児期を生き残ったのは1人だけでした。若くして多くの出産を経験したマルガリータ王女、7回目の妊娠で命を落としました

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④ ポルトガルはカルロス2世の治世のうちに、独立した

ブラガンサ王朝

カルロス2世が王位についたとき、スペインは相当に疲弊して衰退へ向かっていました当時のスペイン経済は停滞しており、土地も痩せていたために飢饉も頻発していた。地方領主の力も非常に弱くなっていた。カルロス2世の不適当なスペイン支配はしばしば諸外国に影響を与えました。スペインがポルトガルを手放したのも、彼の治世中のお話しでした。こうして誕生した『ポルトガル王国』は、ハプスブルク家より (精神的にも肉体的にも財政的にも) はるかに健康的なブラガンサ家によって支配されることになったのです。

 

⑤ カルロス2世の解剖初見 (不妊症編)

解剖初見

カルロス2世は、結果として2人の王妃をめとりましたが彼女たちに子供はできませんでした。死亡後行われた解剖では、彼の睾丸は1つしかなくそれも縮んでいたことが判明しました。人々はカルロス2世の健康状態をあれこれ噂するのが大好きで、『呪われた子』『奇形』といった原因についてはたくさんの憶測が出回りました

解剖初見には、『王の体に血液がなかったこと彼の腸が腐っていたこと彼の脳が浸水していることそして彼がたった一つの縮れた睾丸しか持っていなかったこと』などが記されていました。(詳細についてはこちら【スペインハプスブルク家の黒い歴史】カルロス2世の解剖所見 にまとめております)

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あとがきにかえて

フェリペ4世 家系図(参考:【ハプスブルク家の家系図まとめ】華麗なる一族 650年の歴史)

カルロス2世の父親はスペイン王だったフェリペ4世、母親はマリアナでした。2人もまた叔父姪結婚でありました。38歳にて没したカルロス2世、彼の死はスペインでのハプスブルク家支配を終わらせ、またハプスブルク帝国の終焉の始まりともなりました。彼らはオーストリアと神聖ローマ帝国(神聖でもローマでも帝国でもなかったが)を数十年保持し続けましたが2度と同じ権力と威信を持つことはありませんでした

ピウス5世

それにしても一族の威厳をたやすまいとして、せまいサークルのなかで重ねた近親交配が一家を破滅に導いたとは皮肉なものです。ときのローマ教皇は、最初に近親婚に踏み出した時に「それはいけない」と止めたそうですが、『日の沈まぬ帝国』と呼ばれたスペインの勢いには敵わず、意見は聞き入れられることはありませんでした。権力をもつほどに『意見する人』というのは少なくなるものですが、本当に長く繁栄させることを望むのであれば、ときに謙虚に必要な意見も取り入れていく必要があるのかもしれません。

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参考文献

  • History Collection
  • 40 Odd Facts About the Inbred King Charles II of Spain

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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