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3分でわかる【テューダー朝 肖像画でみる家系図】

2020/04/02
 
肖像画でみるテューダー朝
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

テューダー朝は中世に存在した王朝。好色の『ヘンリー8世』による宗教改革、イングランド国教会の設立などが有名ですね。メアリー1世をはじめとして女性君主が誕生し、また大英帝国繁栄の礎を築いた王朝でもあります。今日この「テューダー朝」を肖像画とあわせて、わかりやすくご紹介します。

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テューダー朝のはじまりは、薔薇戦争の終焉

(バーネットの戦い(1471年)画像引用元:Wikipedia)

薔薇戦争』はイングランド中世封建諸侯による内乱と言われていますが簡単にいってしまえば「ランカスター家とヨーク家による、王座をかけた30年に及ぶ権力闘争」です。両家はともにエドワード3世の血を引く家柄でした。

(1327年から50年間イギリスを統治したエドワード3世)

 

薔薇戦争の由来

ランカスター家が赤薔薇ヨーク家が白薔薇を紋章としていたため『薔薇戦争』と呼ばれています。

最終的にはランカスター家の女系の血筋を引くヘンリー7世が武力でヨーク家を倒しテューダー家のヘンリー7世と、ヨーク家のエリザベス王女が結婚対立していた両家がひとつになり、テューダー朝をひらくことで、「薔薇戦争」はようやく終焉を迎えたのでした。

テューダー朝 家系図(テューダー朝 初期の家系図)

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テューダー王朝の特徴

この2人の結婚により、長年王座を争っていた両家は「テューダー朝」として統一されました。

両家の統一は紋章のテューダーローズ (白薔薇と、赤薔薇の組み合わせ)」にもあらわれています。テューダー朝は百年戦争、薔薇戦争で疲れはてた諸侯を抑圧して、絶対王政を推進し、また海外進出にも積極的でした。

テューダ朝家系図 ヘンリー8世(テューダー朝家系図 ヘンリー8世の周辺)

政策は好色で名を馳せたヘンリー8世、また彼が残した3人の子供達にも受け継がれ、テューダー朝の全盛期を築きました(参考記事:【イギリス王宮の歴史】ヘンリー8世が残した、3人の子女たち)

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テューダ朝時代にあった主な出来事

ヘンリー8世の宗教改革、ローマ カトリック教会との断絶

(テューダー朝 2代目当主 ヘンリー8世の肖像画)

テューダー朝の時代を代表的する政策としては、ヘンリー8世の『宗教政策』があります。

簡単にいうと、ヘンリー8世が正式な世継ぎとなる男児をもうけるため、男児が産めない最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンと離婚をくわだてたのですが、キャサリンは敬虔なカトリックだったことにくわえ、ローマ教皇は離婚に大反対

イングランドの宗教改革

  • それでも離婚を推し進めたかったヘンリー8世は、
  • ローマカトリック教会の支配から逃れるためにローマと断絶し、
  • 自らが長をつとめるイギリス国教会をつくった

のですね。

テューダ朝家系図 アンブーリン (テューダー朝 宗教改革前後の家系図)

(参考記事:【アン・ブーリンの生涯】彼女は悲劇の王妃か、狡猾な魔女か)

 

プロテスタントと、カトリックの対立

(メアリー1世の肖像画)

ヘンリー8世の跡を継いだエドワード6世はプロテスタントを推進しましたが、その次のメアリー1世は『イングランドのカトリック復古』を目指してプロテスタントを容赦なく弾圧。300人以上が犠牲となり、「ブラッディメアリー(血だらけの女王) 」と呼ばれるなど、宗教的なゴタゴタが多くあった時代でもありました。(参考記事:メアリー1世【ブラッディマリーと呼ばれたイングランド女王】)

テューダー朝 (メアリー1世周辺の家系図) (テューダー朝  メアリー1世周辺の家系図)

またメアリー1世は、晩年にスペインハプスブルク家のフェリペ2世と結婚。弾圧は『カトリックの守護者』を自称する、フェリペの意を組んだものだともいわれています。これは国からよく思われておらず、のちにスペインが攻めてくる火種を作ったのでした。

 

スペイン艦隊の攻撃、女王が国土を守り抜く

(エリザベス1世の肖像画)

メアリー亡き後イングランド女王となったのは、エリザベス1世。彼女はカトリックとプロテスタント間の対立した国内で中立を保ちました。彼女の治世により、半世紀の平穏がもたらされたイングランドでしたが、当時黄金期を迎えていたスペインがイングランドに攻め込んでくる、といった自体にも遭遇アルマダの海戦

これが世にいう『アルマダ (無敵艦隊) の海戦』ですね。しかし無敵といわれたスペイン艦隊でしたが、深夜にイングランド艦隊からの攻撃を受け痛手を追い撤退。エリザベスは、小国といえど、無敵といわれたスペインから国土を守ったのでした。(参考記事:【血まみれの王室】スペイン フェリペ2世に狙われた、イングランド女王たち)

 

テューダー朝は、118年で終焉

アン・ブーリンとエリザベス1世

テューダー朝における、最後の女王は生涯独身を貫いたエリザベス1世。エリザベスの死によりヘンリー8世の血筋が絶えたため、最有力候補とされていたヘンリー7世の血を引くスコットランド王ジェームズ6世が『イングランド王位』を注ぎました(一番下のピンクの部分ですね)

 

テューダー朝 家系図 (創始者から終焉まで)

 

テューダー朝 家系図(テューダー朝の家系図)

そして彼がステュアート朝を開いたことで、テューダー朝は118年の幕を閉じることとなりました。この時代ひとりが、いくつもの国の「王」を併任することが多く、その国々によって名前が違うのがややこしいところですね。

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あとがきにかえて

ハンプトンコート宮殿

テューダー朝の宮殿 ハンプトン・コートの歓楽街には、音楽家であふれていたといいます。ヘンリー自身も才能のある作曲家であり、楽器を演奏したり歌うことができることは、宮廷人にとって非常に望ましい属性であると考えられていたのです。(しかしそんな豪華絢爛な生活の裏で支出がかさみ、ヘンリー8世が亡くなるころは借金地獄だったともいわれていますが….)

様々な陰謀が渦巻いたこの時代、調べ出すと興味がつきません。そしてなにより興味深いのは、ヘンリー8世に翻弄された女性たちの物語。興味のある方は (【処刑された王妃 アンブーリン】とヘンリー8世の秘された物語)のぞいてみてはいかがでしょうか。

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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