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肖像画付き家系図で【テューダー朝をわかりやすく解説】

2020/04/10
 
テューダー朝のはじまり
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

中世薔薇戦争が終わり誕生したチューダー朝。ヘンリー8世の好色、宗教改革などでゴタゴタが続いたことでも有名ですが、イングランド国教会が設立されたり、初の女王が誕生したり大英帝国時代へつながる繁栄の礎が築かれた時代でもありました。本日はそんなテューダー朝を、肖像画付きの家系図でおっていきたいとおもいます。

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テューダー朝のはじまり

薔薇戦争の終わりが、新しい王朝の幕開け

薔薇戦争をわかりやすく解説

1455年から始まった薔薇戦争、この終焉こそ新たな時代の幕開けです。『薔薇戦争』とはかんたんにいうと、ランカスター家と、ヨーク家の権威をとりあう争いでありました。この戦争に勝ったのが、 (ランカスター家の女系の血を引く) ヘンリー・テューダー。

テューダー朝の創設者 ヘンリー7世

そして彼こそがテューダー朝の創始者となる、ヘンリー7世です。

 

敵家から王妃をめとり、テューダー朝をひらいた

テューダー朝 創設者 (テューダー朝 最初の家系図)

ヘンリー7世は敵対していたヨーク家のエリザベスと結婚して、テューダー朝をひらきました

テューダーローズ

そして王妃との間に2人の男児を授かります。兄のアーサーは早逝しましたが弟のヘンリー8世はインテリなことと、また6人も妃を変えた好色でも有名ですね。

 

王位継承権とは程遠かったヘンリー、ゆらぐ王位

ヘンリー7世と、エリザベス・オブ・ヨーク

と、テューダー朝を開いたまではよかった.……のですが、ヘンリー7世の血統は父母どちらの家系をと取っても血統的に『王位継承』の根拠がなく、王位とは無縁な人物でありました。

ヘンリー7世の出自 (テューダー朝の創設者) (テューダー朝創始者 ヘンリー7世の出自)

どういうことかというと、ヘンリーの血統では「王朝を安定させるための権威」がとても弱かったのですね。なので世継ぎとなるべき康で強い男児を求めたのも、王権を強化したのも「王朝の存続」のためでありました。

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テューダー朝は、どんな王朝だったのか

不安定な治世に、苦心した時代

テューダー朝家系図 (ヘンリー8世) (テューダー朝家系図  ヘンリー8世周辺)

王朝を安定させるという課題を背負ったのは、息子のヘンリー8世も同じでしたヘンリー8世が在位中に6人の女性と結婚を繰り返したのも「継承者が女性では物たりない」と、世継ぎを渇望したのもそのためだった、といわれています。

 

ローマ カトリックとの断絶し、国教会が設立された

イングランド国教会の設立 (カトリックとの断絶)

最初の妻に男児がもはやできない、とわかったヘンリー8世は、若く子供が埋めそうなアンを王妃にすえようと奔走しました。

テューダ朝家系図 アンブーリン (テューダー朝 宗教改革前後の家系図)

敬虔なカトリックだった妻キャサリンと離婚するために、カトリック教会と断絶自らを長として、イングランド国教会を設立しました。

ポイント

そこまでしてアンを王妃にしようとした理由は、もし彼女に子供ができた場合でも「王妃の子でないと、庶子とされてしまう 」からです。庶子 (愛人の子供) に、王位継承権は基本的につきませんので….

 

はじめて、女性君主が誕生した

ヘンリー8世 子女 王位継承権

ヘンリーが残した子女は3人。ヘンリー8世が望んだように「強く健康な男の子」による王位継承は実現しませんでしたが、それぞれ苦難にみまわれながらも強く生き延び、レディ・ジェーン (在位9日間の女王)をのぞいて、順番に王位継承をしていきました

テューダー朝 (メアリー1世周辺の家系図) (テューダー朝家系図 番号は王位継承順))

 

宗教的にはゴタゴタしていた

イングランド国教会の設立

プロテスタントのエドワードの影響で宗教改革が進んだイングランド。しかしその跡を継いだのはカトリックのメアリー。彼女の治世ではプロテスタントであり、反逆者となった300人が処刑されるなど、たくさんの血が流れました。

そのあとを継いだエリザベスはプロテスタント、彼女は中立な姿勢を貫き平穏な方向へ進みましたが、テューダー朝は、宗教的な混乱や対立に振り回された時代でもありました。

 

スペインに攻め込まれるが、国土を守り抜く

アン・ブーリンとエリザベス1世

メアリー亡き後イングランド女王となったのは、エリザベス1世。そして彼女の治世中、イングランドにスペインが攻め込んできます。当時のスペインは世界中に植民地を持ち、まさに文字通り「日の沈まない王国」と呼ばれるほどの強国でした。

アルマダの海戦

しかし無敵といわれたスペイン艦隊でしたが、深夜にイングランド艦隊からの攻撃を受け痛手を追い撤退。エリザベスは、小国といえど、無敵といわれたスペインから国土を守ったのでした。

 

テューダー朝の終焉

最後の女王、エリザベス1世

エリザベス1世 (参考:【アンブーリンの娘 エリザベス1世】イングランド発展の礎を築いた女王の素顔 )

テューダー朝最後の女王はエリザベス1世。母が冤罪をきせられ、父に処刑されたりとゴタゴタがあったからか、彼女は生涯独身を貫きました。ヴァージンクイーンの異名を持つエリザベスには子供がおらず、ここでテューダー朝は終焉を迎えることになります。

テューダー朝の家系図

テューダー朝 家系図

 

テューダー朝の跡を継いだのは……..

ステュアート朝の創設者 (ジェームズ6世)

宗教改革などでゴタゴタが続いたテューダー朝。貧民の増加による諸々の問題への対応に努めましたが、エリザベス1世は、最後まで後継者の指名を行わないまま16033月にくなりました後継として、血統的にも最有力候補であったスコットランド王ジェームズ6世が、イングランド国王も兼ねることになりました。

 

ステューアート朝の幕開け

ジェームズ6世 家系図 (ヘンリー7世の血を引いたスコットランド王家の家系図)

いちばん上にいるのがヘンリー7世、一番下にいるのがジェームズ6世です。そしてジェームズ6世が、イングランド王ジェームズ1世として即位したことで、スコットランドとの同君連合が誕生することになったのです。(ちなみに同じ人物なのに名前が違うのは、国によって呼ばれ方が違うから)

終わりは、新たな始まり、テューダー朝は終焉したけれど、ジェームズ6世が『ステュアート朝』を開いたことでイングランドにまた新たな時代がやってきたのでした。

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まとめ

ハンプトンコート宮殿

さて、なかなかわかりにくテューダー朝のポイントをまとめてみました。

  • 薔薇戦争の終焉とともに、ひらかれたのがテューダー朝
  • 創始者がそもそも王位に遠かったため、権威づけするために世継ぎ作りに奔走
  • 焦った挙句、カトリック教会と断絶
  • イングランド国教会をひらくも、国内で宗教的な対立が勃発
  • しかし最後のエリザベスの治世で国は平穏な方向へ

また他国からの侵攻を防ぎ、国土を守ったのも特徴ですね。(一部唯一大陸にあったカリーは失っていますが…..)

もっとかんたんに言いますと、テューダー朝は「大英帝国繁栄の礎を作った王朝であった」といわれることも多いです。下記に君主として活躍した人々の記事をまとめましたので、興味深い人物がおりましたら、ぜひご覧になってみてください。

テューダー朝時代に活躍した人々の記事

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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