歴史上最も象徴的な君主の1人であるヴィクトリア女王 (1819年−1901年) は60年以上にわたり、王政に君臨しました。彼女は世界史上最大の帝国の君主であり、その名前は大英帝国を象徴するものでもあります。この記事では、ヴィクトリア女王をもっと知るための6つのことをご紹介します。
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ヴィクトリアが女王になるまで
ヴィクトリア女王は、生まれた時に王位継承順位5位で、女王になることは期待されていませんでした。しかし叔父ウィリアム4世の死後、彼らに生存している嫡子がいなかったことから18歳で王位を継承します。その治世は60年以上に及び、64年近くにわたって大英帝国の拡大を指揮したことで知られています。
① 女王になることを告げられた日
「私はひとりドレスガウンを着てはいり、彼らを見ました。それからカニンガム卿は、私のかわいそうな伯父であり王が深夜2時12分に息を引き取り、結局私が女王になったことを私に知らせてくれたのです」
ヴィクトリア女王は、自分の人生を永遠に変える瞬間をこのように思い浮かべたといいます。1837年6月20日 午前6時、幼かった彼女はベッドから起こされ、叔父のウィリアム4世が夜中に亡くなったことを知らされました。そして彼女は、わずか当時18歳でイギリス女王に即位したのです。
② はじめての枢密院会議にて、堂々たる振る舞い
とてもショックな出来事でしたが、ヴィクトリアはその知らせをとても冷静に受け止めました。若いのに、彼女は落ち着いていて家庭教師が彼女のために用意した気付け薬も必要としなかったそうです。そのわずか数時間後に開かれた枢密院での初会合で、閣僚たちがヴィクトリアの前に並びました。―ヴィクトリア女王の身長は、わずか4.11フィート (約149.86センチ)と小さく、彼女は高いプラットフォームに座る必要がありました。しかしビクトリアは身長に欠けていたものを、決意で補い、すぐに好意的な印象を与えました。
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③ ヴィクトリア誕生時の家系図
ヴィクトリア女王は、王室の責任を驚くべき自信を持って引き受けましたが、生まれた時から『王座』が運命づけられていたわけではありませんでした。1819年に王女が生まれたとき、彼女が女王になる可能性はとても低かったのです。ジョージ3世の4人目の息子、ケント公爵エドワードの唯一の子として、彼女の王位継承順位はには5番目でした。しかし、ビクトリアが10代になる頃には、父親や兄弟、その他の嫡出子の死によって、幼い王女の王位継承順位は時が経つうちに1位になっていたのです。
④ あまり幸福ではなかった少女時代
ビクトリアは1819年5月に生まれたケンジントン宮殿で形式的な生活を送りますが、いろいろな意味でこの宮殿はプリンセスの牢獄となっており、少女時代は決してバラ色とはいえませんでした。生後8ヵ月で父親が肺炎で亡くなると、母親であるケント公爵夫人と野心的な助言者のジョン・コンロイ卿がヴィクトリアの成長に大きく立ち入ってきました。
イギリスの軍人でありケント公爵家執事であるコンロイ卿は、ヴィクトリアの (公爵夫人) 母に大きな影響力をもっており、将来女王の背後に立つ権力者として地位を確立しようと王女を厳しく管理したのです。2人はヴィクトリアの叔父であるウィリアム国王と敵対関係にあったために幼いヴィクトリアは王室から孤立し、叔父の戴冠式に出席することさえできませんでした。
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⑤ ヴィクトリアが慕った、ガヴァナスのレーツェン
ヴィクトリアは母とコンロイ、コンロイの息のかかった者に囲まれて育ちましたが、自分の立場を理解するにつれて、コンロイの影響を脱したがるようになり、ケンジントン宮殿内で唯一コンロイの一味ではないルイーゼ・レーツェンを頼りにするようになりました。
レーツェンはヴィクトリアの性格に大きな影響を与えました。特にしがらみのある子供時代にくわえ、若い女王として、人生を生き抜く意思の強さは彼女から与えられたものでした。1837年にヴィクトリアが女王位についたときレーツェンは非公式ではあれど、秘書も務めていました。
⑥ アルバートと結婚して
1840年にアルバート王子と女王が結婚したことで、王室は大きく変わりました。アルバートとレーツェンはお互いに嫌悪し始めます。1841年にロイヤルベイビーが病気になった後レーツェンは解任されますが、女王との縁は途切れることなく、レーツェンは晩年寛大な年金をもらいハノーバーで穏やかな老後をおくりました。
レーツェンとアルバートの相性はよくありませんでしたが、ヴィクトリア女王にとってはとてつもなく大きな存在でした。元々ドイツ人の彼は、イギリスの政治や歴史を必死に勉強し、彼は良き伴侶として、よき助言者として常にヴィクトリアの側にいたのです。ふたりの間には、4男5女の9人がうまれ王室の仲睦まじい絵画は、イギリス中で人気を博しました。
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さいごに
ヴィクトリア女王は、後年になって幼少期をこう振り返ったそうです。「子供の時は、とても不幸な生活を送りました。幸せな家庭生活が何であるかを知りませんでした」 彼女は、コンロイ卿が自分の母親を操り、彼女に厳しい規則を課したことに対して根深い憎しみを持ち続け、後に彼を「悪魔の化身」と表現したのです。彼女と母親との関係は何年にもわたって縁遠く、疎遠なままであり、彼女は宮廷でコンロイの影響力を制限しました。
ちなみにヴィクトリアが女王に即位して2年後に彼は辞任し、恥とスキャンダルの渦中にイタリアへ向けて出発しました。強い意思で60年もの治世の間、帝国の頂点に君臨しつづけたヴィクトリア女王。幼少期のトラウマがどうであれ、周りの人と自分の意思次第で人生はいくらでも変えられるのかもしれません。彼女の生涯についてはこちらの記事 (【ヴィクトリア女王とは】大英帝国を築きあげた美しき君主) にまとめております。
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