ヴィクトリア朝は1820年から1914年の間、ヴィクトリア女王の治世 とほぼ同じ時期にイギリスに存在した王朝です。「国王は君臨するけれども統治せず」の原則のとおり、議会政治がよく機能し、ヨーロッパ各王室と強いつながりをもち、大英帝国繁栄をもたらしました。この記事では、ヴィクトリア朝とはどんな時代だったのか、階級制度や、社会や国政の特徴を中心にご紹介していきます。
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ヴィクトリア朝とは
ヴィクトリア朝の時代、英国は豊かな文化を持つ強大な国でした。安定した政府、繁栄を続ける州、拡大する独占権。インドを含む大帝国を支配しており、さらには人口の3/4以上が労働者階級であったにもかかわらず国は富んでいました。後半になると、イギリスは他の主要国とくに米国と比べて、世界的な政治経済力は衰退しはじめましたが、それでもヴィクトリア朝は英国最大の繁栄をほこった王朝として知られています。
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社会における階級制度とジェンダー
顕著な階級社会のなかで
ヴィクトリア朝の社会の特徴としては、国民は階級で組織されていたことがあげられます。人種、宗教、地域、職業はすべてアイデンティティと地位の重要な要素を決めていましたが、ヴィクトリア朝の社会は、はジェンダー(性別)と階級に基づき構成されていました。
ヴィクトリア朝のイデオロギーでは、男女は異なる性質を備えるものと意味づけられていました。例えば、男性は体力があるが、女性は弱い男性は政治や労働など公的な職務につき、女性は家で家族の面倒をみるなどです。女性が働きづらい世の中ではありましたが、女性たちは男性よりも信仰心があつく道徳的にも優れている、とも考えられていました。労働者階級の家族は、男性ひとりの給与では生きていけないので、必ずしも「女性が家庭にはいる」ことが徹底されたわけではありませんが、このイデオロギーはすべての階級に影響を及ぼしました。
3つの階級は、具体的にどう違うのか
階級は所得をはじめとして、職業、教育、家族構成、政治、余暇の過ごし方など、経済的にも文化的にも影響を与えました。労働者階級は人口の約70-80%で、収入のメインは『賃金』。世帯収入は通常年間100ポンド以下(※当時の年収) でした。一方、給料と利益で収入 (年間100-1,000ポンド) を得ていた中流階級は、19世紀に急速に成長し、人口の25%以上まで達します。19世紀には、中流階級の人々は社会の道徳的指導者であり政治的な力も得ていました。
裕福な上流階級は資産や家賃、利子から収入を得ており(年間1,000ポンドかそれ以上の金額)、肩書き、財産、土地、あるいはこれら3つすべてを持っていました。また英国の土地の大部分を所有しており、地方政治、国家政治、帝国政治などを支配する力をもっていたのも上流階級です。
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ヴィクトリア朝の宗教と科学
宗教の多様性
(参考:【アン・ブーリンの生涯】彼女は悲劇の王妃か、狡猾な魔女か)
ヴィクトリア朝時代、英国人のほとんどはキリスト教徒でした。イングランド、ウェールズ、アイルランドのイングランド国教会は州の教会であり、(ウェールズ人とアイルランド人の大多数は他の教会のメンバーだったにもかかわらず) 宗教的景観の大部分を占めていました。スコットランド教会は長老派 (プロテスタント)でした。
他にもイングランド国教徒ではない、プロテスタント(特にメソジスト派)、ローマカトリック教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒、その他(その期間の終わりには、若干の無神論者さえいた)がおり、英国には宗教的な多様性もありました。
科学や思想の発展
信仰と並行して、ヴィクトリアは科学を発展させたことでも高評価を得ています。この時代の科学的発展で、最もよく知られているのは進化論です。
進化路とは
「生物は不変のものではなく長期間かけて次第に変化してきた」という仮説に基づいて、「現在見られる様々な生物は全てその過程のなかで生まれてきた」とする理論である。ーなお、生物学における「進化」は純粋に「変化」を意味するものであって「進歩」を意味せず、価値判断について中立的である。(引用元:https://nl.wikipedia.org/wiki/Evolutietheorie)
主にチャールズ・ダーウィンの功績とされていますが、そのいくつかは初期の思想家によっても発展されており、優生学の擬似科学(生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動) は、ヴィクトリア朝進化論における負の副産物でありました。またヴィクトリア朝時代の人々は心理学やエネルギー物理学の新しい分野にも魅了されていました。
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ヴィクトリア朝の政府と政治
ヴィクトリア時代の政治システム
(参考:【ヴィクトリア女王と血友病】家系図でみる、恐怖の王室病)
ヴィクトリア朝の政治体制は正式には立憲君主制ですが、実際には貴族が支配していました。英国の憲法は書かれておらず(そして現在も)、成文法と慣習の組み合わせで構成されています。政府は君主と2つの国会、上院と下院から構成されていました。この時代の君主はヴィクトリア女王で、ジョージ4世(1820–30)とウィリアム4世が続き、エドワード7世とジョージ5世が続きます。
当時の議会システム
ヴィクトリア朝時代には下院が政府の中心となり、上院は権力を失い(1911年の議会法が制定されるまで影響力を持っていたが)、君主制は国家の象徴へと変わっていました。下院はイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドのカウンティと区を代表する議員に選出された国会議員 (MP) と呼ばれる約600人で構成されていました。英国は他の3カ国よりも多くの代表者を擁していましたが、それはこれら4つの国の中で最初の国としての地位、つまり伝統の産物であると同時に大きな政治力と富を持っていたからです。上院は貴族院で、主に終身在職権を持つ数百人の貴族が住んでいました。
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ヴィクトリア時代の重要な出来事
奴隷制の廃止と、教育・労働環境の整備
この期間の重要な政治的出来事のひとつに、大英帝国における奴隷制の廃止があります。独占権の拡大、労働者階級の政治活動(とくに選挙法改正と社会の変革要求)。特に中産階級の支配的な政治イデオロギーとしての自由主義の台頭。そして保守党と自由党の国家化(そして1906年のイギリス労働党の出現)。
州が介入して工場労働者と鉱山労働者の労働時間を制限し、公衆衛生法の制定がおこなわれ初等教育の提供も行われました。アイルランドと英国の間の政治的対立と、アイルランドのナショナリズムの台頭も時代の特徴であり、女性の権利活動も同様でありました。
ヴィクトリア女王と、大英帝国
帝国の劇的な拡大は、ありとあらゆる商品が世界中からイギリスにもたらされることを意味しました。1820年から1870年の間に帝国は左へと拡大し、多くの国や人が支配下におかれました。拡大の多くは暴力的なもので、インド暴動、ジャマイカのモラント湾反乱、中国のアヘン戦争、ニュージーランドのタラナキ戦争が含まれます。
『インド』は英国の地位と富の中心となりました。そしてオーストラリアとニュージーランドを植民地とし、その後はカナダと南アフリカへも多くの人々が移住しました。1870年から1914年にかけては、鉄道や電信などの新技術を用い、積極的な拡張 (いわゆるアフリカ分割への英国の参加を含む)が行われました。英国はアフリカの大部分(エジプト、スーダン、ケニアを含む)を支配下に置きました。
ヴィクトリア朝はたしかに最盛期を迎えましたが、インドなどにおける英国支配からの解放を求める反植民地主義運動はこの時期に始まっています。これらは最終的に、第二次世界大戦後の脱植民地化につながりました。
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あとがきにかえて
世界政治権力として英国の地位を強化したこの半世紀、英国は『世界で最も豊かな国』と呼ばれました。しかし裏では、植民地を含み、多くの人々が過酷な環境で長時間労働を強いられていました。しかし、全体的に生活水準は上昇していました。1840年代は労働者と貧困層にとってつらい時期でありましたが、全体的に見れば生活水準はあがっていました。ほとんどの家族は家を持ち、十分に食事をしただけでなく、酒、タバコ、さらには田舎や海辺への余暇時間をもつこともできたのです。
もちろん豊かな時代もあれば、貧しい時代もありました。この時期は、英国において、商人だけでなく買い物客(百貨店が世紀半ばから台頭してきたことで、ショッピング体験が変わってきている)も増えたことからも繁栄がみられます。1870年以降の賃金上昇を含む富の増加は、労働者階級の人々でさえも自由に購入できることを意味しました。大量生産により、ほとんどすべての人が衣服、お土産、新聞などを手頃な価格で購入できました。ヴィクトリア時代の文化や流行についてはこちらの記事 (写真でみる【ヴィクトリア朝の芸術とファッションまとめ】) にまとめております。
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参考文献
- https://majorbarbarabsu.weebly.com/rehearsal-blog/upper-class-women-lady-britomart-barbara-and-sarah
- https://www.britannica.com/event/Victorian-era
- https://es.wikipedia.org/wiki/%C3%89poca_victoriana
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