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【お嫁にいく日】幸せなのに、なぜこんなに切ないのか

2020/05/26
 
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

アラサーになると周りは結婚をしている人も多く、子供がいる人も増えてきて、どちらかというと私は行き損ねたほうだった。ギリギリまで実家にいたからかもしれない。

桃の缶詰

ちびまるこちゃんの作者、さくらももこさんがお嫁にいったあと実母から「そんなに帰ってくるんじゃないよ、あんたは嫁にいったんだからね」と言われた、という一文を思い出す。いつまでも私はお母さんの娘なのに、と。大きな節目、大きな幸せ、おめでたい門出、なのに、なぜこんなに泣けてくるのだろうかここに記すのは、甘えたがりの娘の、両親への心からの感謝と幸せになるという覚悟である。

 

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家を出ることになり、ようやく気づいた5つのこと

① 「両親仲が良い」ほど幸せなことはない

家族

両親は喧嘩しながらも「助け合っていた」「お互いを大切にしていた」。夫婦といえど他人同士なわけで、その絆を紡いでいくのはそんなに簡単なことじゃなく、「たのしいだけ」を共有するのでなく「苦楽」を共にしていくわけで、お金のことや将来のこと、気まずいことだって時には話し合わなければいけない。我慢してばかりだと不満はたまるし、かといって言わなきゃならない場面だってある

彼と色々話していくなかで、両親が仲良いことは『それだけで幸せなこと』に気づいた。平穏で笑いがあって、喧嘩もして、それ以上の幸せがあるのだろうか。

 

② どれだけ愛されて、大人になったのか

親子

家を出ることが決まった時、母がレシピ本と母子手帳をくれたそれと私が大好きなお花に2人で2人にという言葉が添えてあった。父母に見送られてメッセージをよんで、旦那の前で泣き崩れた。母とはよく「結婚する、しない」問題でよく喧嘩になったのだ。

「お母さんの時代とは違うんだよ」と何度いったことか。もちろん思うように結婚がかなわなかったことに対する苛立ちもあってだが、婚活しても実らないのにこれ以上どうしようとという自分本意な考えで反抗していた。もちろん相手が外国の人とのことで「ほんとにやっていけるのか」という父母の心配も痛いほど感じていた。(し、実際言われたし) でもいまおもうと、全部愛情だった母子手帳には、幼い頃の私の様子が細かに書いてあって、どれだけ大切に育てられたかを思い涙が止まらなくなった

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③ 年を取っていく両親をみて

mom

何の因果か、家を出る前にたっぷりと両親と過ごす時間があった。偶然仕事がひと段落したときで、おだやかで楽しくて「神様がくれた時間だね」と愛しんで過ごした。昔から物理が好きだった弟はずいぶん前から違うところに住んでいて、研究に没頭しているのでたまに遊びにくるくらいだった。

父母と私の時間、4年さきに大学に出た私に取ってはとても貴重なものだった。でも同時に感じることもあった、歳を取っていく父と母。もちろん子育てから解き放たれて、家のローンも払い終わった父は余裕ができたようで、「シニア割引」を存分に利用して、ゴルフにギターに趣味に明け暮れウキウキだった。そんな姿をみて嬉しいのと同時に、「父母はいつまで元気でいてくれるのだろう」と思うと胸が締め付けられるいつまでも「このまま」でいたいけど、私が歳をとっていくのと同時に父母も老いていくのだ。(こんなことをいうと、うちのスーパーばあちゃんにぶっとばされそうだが)

 

⑤ 変わっていく時代のなかで

family

おじいちゃんが亡くなって、いとこの子供がうまれて世代交代というか「確実に時が流れている」ことを感じ、「自分も踏み出さなければならない」ときがきたなとおもうのだ。両親のもとにいることは楽だしとても楽しいけれど、弟だっていつかお嫁さんを迎えるわけで。わたしも「自分の家族を作っていく」ステージにはいったんだとしみじみと感じるのである。もちろんイチからではなく、増やしていくというイメージなのだけど。

というのも、彼との生活は両親とも、友達とのルームシェアともまったくちがうのだ。「共に人生を歩む」というか、なんというか、つまり本当に経験したことがないようなものばかりなのだ(もちろん彼がアメリカ人であることも大いにあるとおもう) ほんとに手探りで、新緑の季節のように真新しいことだらけなのである。ワクワクもあるけど、わからないからのこわさも同じくらいあるのだ。

 

④ 「幸せになる覚悟」をもて

baby

いままで「家を出ること」をそんなに重く考えていなかった。「まあ、うまくいかなかったら戻ればいいや」くらいに思っていたのだ。でも両親のもとを離れて、不思議と違う感情が湧いてきた。もちろん執着するのも疲れるので、そのくらい余裕をもって考えるのも大切なのだけど、「幸せになる覚悟」を持たなければいけないのだなとおもった。

誰かが幸せにしてくれるわけではなくて、ある日いきなり「Happy」になれるわけでもなくって、「自分がこの道を選んだ」ことをちゃんと自覚して投げやりにならずに「お互いが心地よい道」をいっしょに作っていく必要があるのだ。「白馬の王子様」はあらわれない、でも居心地のよいカボチャの馬車はふたりでならつくれるかもしれない。

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あとがきにかえて

なぜだろうか、正直いまは嬉しさとか幸せよりも、よくわからない「寂しさ」のほうが強いのだ。そんな時に私は父方の祖母のことを思い出す。誰よりやさしくて、誰より大好きだったおばあちゃんのことを。お金のある大きなお家で末っ子で生まれた祖母は箱入り娘で、お見合いで祖父の元へお嫁にいくことになった。戦争がおわったばかりのことで、いっきに高度成長期にはいってバタバタしていた時代だ。

さていざお嫁にと祝言をあげたその日に、祖母は寂しくなって「帰りたい」と泣き出してしまったというのだ。それを思い出すと私は心がポカポカしてくる、なぜかって、大好きな祖母の血が流れていることを感じるのだ。大好きだった両方の祖母と両親、やさしくてあたたかくて強い家族 … そんな祖母が強く生き、「こんなにあたたかい家庭を築いたのだから、わたしにもできるだろう」となんだか力が湧いてくるのだ。

婚活ブームで「結婚」があたかもゴールのように、幸せの結果のようにCMされているが実際にそんなに綺麗事だけですまない問題がたくさんある。それでも「結婚」は、自分がいま生きていること、大切な人たちにどれだけ愛されてきたのかを思い返す、とても貴重な節目であるとおもう。ここに「私は幸せになる」ことを宣言するとともに、また「両親への感謝」「家族の愛情」を今度は次の世代へ渡していくことをここに誓いたい (5月23日 筆)

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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