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【本当は怖いマリリン・モンローの最後】都市伝説にまみれた怪死事件

2021/04/04
 
マリリンモンローの最後
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謎の女性。歴史の中の人物像を徹底的に知りたがる世界史オタク。絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

20世紀の大女優であり、女性としてのシンボルでもあったマリリン・モンロー彼女が自宅のベットで全裸死体となり発見されたのは、196285日未明のことでした。当時のマリリン・モンローは当時ひどい鬱状態で、神経過敏で睡眠薬を常用していたといいますが、結局この大女優の死因は何だったのでしょうか。この記事では、マリリン・モンローの不可解な最後をみていきます。

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大女優マリリン・モンローの不可解な死

撮影にまで影響したうつ病

マリリンモンローの最後

マリリン・モンローが死体となり発見される4ヶ月前、新作『女房は生きていた』の撮影が始まっていました。しかし35日の撮影期間中、マリリンが撮影に参加したのはたったの12日だけ。

病気を理由として撮影所に出て来なくなったとおもったら、518日には突然ハリウッドからニューヨークに飛ぶこともありました。理由はケネディ大統領の誕生パーティに出席し、何千人という徴収の前で『ハッピー・バースデイ』を歌うため。痺れを切らした20世紀フォックス社は翌月8日にマリリンの降板を決め、彼女には50万ドルもの損害賠償訴訟をおこしたのでした。マリリン・モンローが帰らぬ人となるのは、その2ヶ月後のことでした。

 

ロスの自宅で発見された死体

マリリンモンローの最後

マリリン・モンローが発見されたのは、ロスにある自宅のベッドでした。発見したのは家政婦のマレー夫人、マリリンは何も着ていない状態で、受話器を握って亡くなっていたのです。

死後、毒物検査から常用の10倍近い、つまり50錠近くの睡眠薬を摂取していたことが判明しました。これは、睡眠薬を呑みすぎたというよりは、自殺しようとした可能性が高いというのが警察の見解でした。

マリリンモンローの最後

その後の調査でも、マリリンがそれまでにもなどか自殺をはかっており、そのたびに友人へ電話していたことも判明しました。この度はまた、同じような状況とはいえど、しかし助かるためにはタイミングが悪かったのでしょうか

 

マリリン・モンローの死体に関する不可解な点

マリリンモンローの最後

否、彼女の死体には怪しい点がいくつかあったのです。大量の睡眠薬を服用していたマリリン・モンローですが、胃の中からは残留しているはずのカプセルは発見されませんでした

そして、50錠もの睡眠薬を呑んだにもかかわらず、遺体のそばには水をいれたコップのようなものもいっさいみつからなっかったのです。半世紀以上にわたり、100冊以上の伝記が書かれ、さまざまな仮説がたてられました。中でも人々の関心をひいたのは、ジョン・F・ケネディ大統領やその弟ロバート・ケネディ司法長官との情事もつれ説です。

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ケネディ兄弟とマリリンの危ない関係

マリリンモンローの最後

マリリン・モンローとケネディ兄弟の関係は、ジョン・F・ケネディがまだ上院議員であったころにはじまったとされています。橋渡し役となったのは、ケネディ家の義理弟にあたる、俳優のピーター・フォードでした。

ロスにあったローフォードの別荘でひらかれたパーティで、マリリンはケネディ氏と出会いました。そして氏がニューヨークに滞在するときに逢引きできるよう、マリリンが近くにアパートをかり人目を忍んでケネディ氏が定宿していたホテルへと通う生活が続きました。

マリリンモンローの最後

この情事にはケネディ夫人も気づいており、「再婚するおつもりなら、ファーストレディになる準備はできていて?」と電話で牽制したこともあったとか。

 

次第に歪んでいった、マリリンとケネディ兄弟の関係

マリリンモンローの最後

19611月、ジョン・F・ケネディが大統領へと就任すると、風向きがまた変わっていきます。新大統領として重要な責務の一部であったのがマフィアの撲滅であり、指揮にあたったのが弟ロバート・ケネディ司法長官でありました。しかしそのマフィアが、大統領とマリリンの関係を嗅ぎつけ脅迫のネタにしようとしているといった情報がはいり、兄ジョンは急いでマリリンから手を引ます。

納得できないマリリンはホワイトハウスに繰り返し電話をかけ、マスコミにバラすとしてケネディ氏を息巻きました。

マリリンモンローの最後

そんなマリリンを宥めたのが、弟ロバート・ケネディです。このころマリリンはメキシコで中絶手術を受けており、それは彼の子ではないか、といわれています。また嫉妬深く執拗なマリリン・モンローに疲れ果て、彼女に別れ話をもちかけたのは、死体が発見される一月ほどまえのことでした。

 

マリリン・モンローの死とケネディ氏らの関係

マリリンモンローの最後

小さいころに里子に出され、厄介払いのように16歳で嫁にだされたマリリン・モンロー。その美貌は抜群でも、常に知的コンプレックスに苛まれていたといいます。そんな彼女にとって、未来の大統領候補と結婚するという手札は、簡単に手放せるものではなかったのでしょう。

「これ以上拒否するのなら、洗いざらい話してやる」と友人に語っていたマリリンが変わり果てた姿で発見されたのは、196285日午前のことでした。その後マリリンの近所の人の証言などで、彼女が亡くなった当日、ロバートが自家用ヘリコプターでマリリンの家を訪れていたらしいことが判明しました。またふたりの間で激しい口論が繰り広げられ、その証拠のテープがあることも発覚しました。しかしケネディ氏らが関連する品々は、不思議なことにそっくりなくなっていたそうです。

 

マリリン・モンローの死に関する定説

マリリンモンローの最後 (マリリン・モンロー)

マリリン・モンローの死因に関しては、「自殺」ではなく「他殺説」など陰謀めいた仮説が多くたてられています。ひとつの有力な説には、ロバートとの口論のあと、マリリンが大量の睡眠薬を呑んでケネディ家の誰かに電話をかけた、というものもあります。それは助けを求めるものだったのか、見せ閉めだったのか。結果として、ケネディ氏ら関係者が事件邸宅から自らに関する証拠をすべて隠したというのです。

実は1983年に行われた再調査で、事件当夜、マリリンの家にひそかに救急車が呼ばれていたというショッキングな事実も判明しています。しかし何者かが情報操作を行ったのか、結局何が本当で嘘なのかは闇に葬られてしまったのでした。そのためか、ケネディ家からマリリンに国家機密を漏らしたためCIAにより殺されたなど物騒な説も出回りました。

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あとがきにかえて

ケネディ大統領の暗殺とジャッキーのピンクのスーツ

ちなみにマリリン・モンローが亡くなって1年後の1963年、ケネディ大統領はダラスで暗殺され、その5年後には弟ロバート・ケネディも暗殺されています。これを偶然として片付けるには、あまりに偶然が重なりすぎているようにも見受けられます。もしかしたら囁かれている都市伝説は一部事実などが混在し、世の中には知らなくていいこともあると象徴する事件だったのかもしれません。

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参考文献

  • https://en.wikipedia.org/wiki/Marilyn_Monroe
  • https://people.com/politics/marilyn-monroe-affair-john-f-kennedy-robert-f-kennedy/
  • https://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/northamerica/usa/10221582/How-Jackie-Kennedy-could-not-ignore-Marilyn-Monroe.html

 

  • https://nypost.com/2017/10/27/rfk-fbi-were-warned-about-book-detailing-marilyn-fling/
  • https://historycollection.com/10-historic-presidential-scandals/9/

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