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【本当は怖い絵画】ラスメニーナスに描かれた王女、マルガリータ|血族結婚がもたらした悲劇

2019/11/01
 
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

陽の沈まぬ帝国と言われ、オーストリアを凌ぐと言われながら、僅か5代で滅亡したスペインハプスブルク家そして1960年前後、バロック期スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表する画家ベラスケスと、彼が描いた大作「ラス・メニーナス(侍女たち)」。今日はこの絵の中心に描かれた愛くるしい少女・マルガリータ王女に焦点をあて、中世ヨーロッパの歴史を紐解いていきたいとおもいます。

『ラス・メニーナス ベラスケス画』

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「高貴な青い血」に取り憑かれた、スペインハプルブルク家

『マリア・テレジア Archduchess Maria Theresa, by Andreas Möller』

陽の沈まぬ帝国と言われ、オーストリアを凌ぐと言われながら、僅か5代で滅亡したスペインハプスブルク家。ハプルブルク家は、「高貴なる青い血」を守るために近親婚を繰り返していました異常とまで言える、血統主義を貫き、悲劇的な終末をし歴史にその存在を残した王家。そんな宮廷の宿命を一挙に背負った、ハプスブルク家王女、マルガリータの誕生までを時系列で追っていきます

 

断絶の原因を作った血族結婚は「苦渋の決断」だった

(スペイン国王カルロス1世 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ画 1548年)

時は大航海時代、初代王カルロス1世は次々と領地を開拓し、世界最大の植民地帝国を築いたともいわれています。そして、一家は2代目フェリペ2世のときに黄金期を迎えますしかし、そんな絶好調にみえる王もある悩みを抱えていました宮廷断絶に直結する『世継ぎ問題』です。3度結婚したものの、3人の妻と子供は次々となくなり、41歳になっても世継ぎができなかったフェリペ2世

(フェリペ2世)

宗教上の問題で一夫多妻制は許されず、「カトリックの王妃」との子供だけが、「世継ぎ」と認められる世の中でした。そこで「正当な世継ぎ」を残すため苦渋の決断に迫られた王は、実の妹の娘であるアナと結婚します。2人は叔父と姪の結婚となるため、ローマ教皇は反対したようですが、フェリペ2世の権力が強く、結婚にいたり4人の息子と1女をもうけました。しかし血が濃いためか子供たちは次々となくなり、「フェリぺ (のちのフェリペ3世であり、マルガリータの祖父) 」だけが成長します(参考記事: 誰でもわかる【肖像画でみるハプスブルク家系図 )

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病弱で怠惰王と呼ばれたフェリペ3世も、世継ぎ問題に苦しむことに

(フェリペ3世 肖像画)

そうした生まれたフェリペ3世ですが、生まれつき病弱であったため、年老いてゆく父も、息子の将来に不安を抱いていました。「怠惰王」と呼ばれたフェリペ3世の23年に及ぶ治世を取り仕切ったのは、首席大臣のレルマ公爵あるいはウセダ公爵でしたが、彼らはこの大帝国の国政を担うにはいささか力不足であり、フェリペ2世が残した世界帝国は衰退への道を歩み始めることとなります。

そして叔父姪結婚で生まれたフェリペ3世 (マルガリータの祖父) も、オーストリア・ハプルブルク家と近親結婚することになります。名門スペイン王室として、臣下や格下の諸侯との結婚などありえなかった。高貴な青い血を守るため、血族血結婚を繰り返すハプスブルク家、高貴な血を守ること、プライドは、王家断絶より重要なことだったのでしょうか。

 

マルガリータ王女の父、フェリペ4世も近親婚で生まれた

(フェリペ4世 ベラスケス画)

近親婚が淡々と繰り返されていくハプスブルク家マルガリータの父フェリペ4世は「無能王」と称され、家臣に政治を丸投げして、女遊びや娯楽に夢中になっていたといいます。ただし宮廷画家にベラスケスを登用するほど、唯一芸術には見る目があったと言われています。(参考記事:【ラス・メニーナス】ベラスケスの胸に描かれた、赤い十字の謎)

度重なる近親婚のためか、8人の子供は亡くなり、また妻をも出産が原因で失くしてしまったフェリペ4世。彼も世継ぎ問題には苦労をし、結果として妹マリア・アンナの娘、マリアナ・デ・アウストリアと、近親婚(叔父姪結婚をしますこの2人の間に生まれたのが、あの愛くるしい「マルガリータ王女」です。

(薔薇色のドレスの王女 ベラスケス画)

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マルガリータ王女が背負った、宮廷人の宿命

(左) 2歳ごろの王女(ルーブル美術館収蔵)(右) 青いドレスの王女(8歳、美術史美術館収蔵)

マルガリータは王の大のお気に入りで、ベラスケスら宮廷画家たちに彼女の多くの肖像画を書かせたそうです。弟カルロス2世とは違い、近親婚の大きな影響は見られなかった、と言われていますが、スペイン大学の研究によると、マルガリータの近交係数(近親交配の度合いを表す数値)は、親子間、兄弟間ででる数値の4倍だったことがわかっています。男児が生まれず、一時は「スペイン女王に」と名前があがったマルガリータ。しかし弟(カルロス2世)の誕生で、スペイン女王になることがなくなったマルガリータはウィーンへと嫁ぐことになります。

 

王女マルガリータは16歳でウイーンへ

婚礼を前に、父王の喪に服す王女(15歳、デル・マソ画、プラド美術館収蔵)

これは、マルガリータが15歳のときにデル・マソが描いた作品「婚礼を前に、父王の喪に服す王女」です。愛くるしい少女だったマルガリータも美しい女性へ変貌を遂げています。この絵が描かれたのは父フェリペ4世が亡くなった直後でしょうか悲しさが表情から伝わってきますね。

 

またもや繰り返される近親婚

(イーペレン画、1667年 マルガレーテ・テレジア Margarete Theresia)

マルガリータの旦那は、まさかの実の母の弟、11歳年上のレオポルト1世でした。マルガリータは彼をおじさまと呼んで慕い、宮廷生活のなかでは比較的幸福で、平和な結婚だったようです。そして16歳という若さで、男児を出産することに成功します。そして6年間の結婚生活で、6人の子供をもうけますが、第6子を出産する時に子供と一緒に亡くなってしまいます若くして度重なる妊娠、身体はすっかり弱ってしまっていた、といいます。ちなみにマルガリータの子供は長女のマリアのみが成人し、他は幼いうちに亡くなっています。

 

(裏話) スペインハプスブルク家の王朝の最後

(フェリペ・プロスペロ王子、ベラスケス画、1659年)

マルガリータ王女には、愛くるしい弟がおりましたこちらはベラスケス最期の肖像画といわれる絵、身体が弱く、この世の人とは思えないほど、純粋無垢で美しいフェリペ・プロスペロ皇子です。生まれながらに病弱であったことが、この絵画にも反映されています。もしかしたら、立っているのすら辛いほどだったのかもしれません。弟カルロス2世誕生の数日前に、わずか4歳でこの世を去りました。(参考記事:【ベラスケス最後の肖像画】儚く美しいマルガリータの弟、フェリペ王子)

(カルロス2世 Carlos II)

こちらはマルガリータと、プロスペロ王子の弟として生まれたカルロス(のちのカルロス2世)です。39歳まで生き抜いたものの、度重なる近親婚の果てを表したように、病弱でいくつか病気を抱えていました。彼には子供ができず、世継ぎがいなかったため、「日の沈まぬ帝国」と呼ばれたスペインハプスブルク家はわずか5代で断絶にいたりました。カルロス2世起きた近親婚の弊害については、こちらの記事【ハプスブルク家と高貴な青い血| 顎と下唇にみえる禁断の歴史】にまとめております。

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あとがきにかえて

『ピンクのドレスの王女』(10歳、プラド美術館収蔵)

宮廷人という宿命を背負って、命を全うしたマルガリータ王女領地と権力を守るために、幾度も重ねた血族結婚の果てに生まれた、美しく、愛くるしい子供たち4歳にして最後の皇帝の座についたカルロス2世は、幼少期には衣服を身につけた動物のようであり、教育らしい教育をすることも困難であったと言われています。1580年から1640年まで、海外植民地を含めて「日の沈まぬ帝国」と呼ばれたスペインハプスブルク家。絵画の面白さは、400年近く前に懸命に生きただろう、人々の生き様が、生々しくリアルに、そして悍ましいほど美しく切り取られ、キャンバスの中に静かに眠っていいること、そんなラス・メニーナスは、500年近くたつ今も、スペイン・マドリードにて人々を魅了し続けているのでした。

ハプスブルク家シリーズの続編はこちら

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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