【本当は怖い絵画】血族結婚がもたらした悲劇、ラスメニーナスの王女マルガリータ

呪われた王室

『陽の沈まぬ帝国』オーストリアを凌ぐと言われながら、僅か5代で滅亡したスペインハプスブルク家。そして1960年前後、バロック期スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表する画家ベラスケスと、彼が描いた大作ラス・メニーナス』。

ラス・メニーナス (ディエゴ・ベラスケス)

この記事では、この絵の中心に描かれた愛くるしいマルガリータ王女に焦点をあて、中世ヨーロッパの歴史を紐解いていきたいとおもいます。

この記事のポイント
  • 同家では、狭いサークル内において婚姻が重ねられていた
  • 近親婚の弊害により、生まれる子供は病弱で夭逝することが多くなる
  • 遺伝子的な無理が積み重なり、一族は衰退の一途を辿ることとなった
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高貴な青い血

陽の沈まぬ帝国と言われオーストリアを凌ぐと言われながら、僅か5代で滅亡したスペインハプスブルク家。ハプルブルク家は「高貴なる青い血」を守るために近親婚を繰り返していました。

異常とまで言える血統主義を貫き、悲劇的な終末を迎え歴史にその存在を残した王家でもあります。そんな宮廷の宿命を一挙に背負うことになったのが、ハプスブルク家の子女。ここからは、断絶間近の王家に生まれた王女「マルガリータ」に至るまで、近親交配がどのように繰り返されてきたかをみていきましょう。

マルガリータに至るまでの家系図

それまでも一族内での結婚はみられていたわけですが、近親交配が顕著にみられるようになったのは、フェリペ2世の時代です。フェリペ2世はマルガリータからさかのぼること4代、曽祖父にあたる人物でありました。

時は大航海時代、初代王カール5世 (マルガリータの高祖父) は次々と領地を開拓し、世界最大の植民地帝国を築きました。いわば、スペインの最盛期です。そしてスペインハプスブルク家は、2代目となる、フェリペ2世のときに黄金期を迎えることになります。しかし、そんな絶好調にみえる王もある悩みを抱えていました。王家断絶に直結しえない「お世継ぎ問題」です。

 (引用元:スペインハプスブルク家 家系図)

曽祖父は姪と結婚

フェリペ2世は3度結婚したものの、子供は次々早逝し、41歳になっても世継ぎが出来ませんでした。宗教上の問題で一夫多妻制は許されず、『カトリックの王妃との子供だけが世継ぎ』と認められる世の中でした。

正当な世継ぎを残すため苦渋の決断に迫られたフェリペ2世は、妹の娘アナと結婚することになりました。これは叔父姪婚となるため、ローマ教皇は反対しましたが、フェリペ2世の権力が強く、結婚にいたり4人の息子と1女をもうけました。しかし血が濃いためか子供たちは次々と早逝、「フェリぺ3世 (マルガリータの祖父)」だけが成長したのです。

フェリペ2世 (スペインハプスブルク)

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オーストリア家と結婚した祖父

そうした生まれたフェリペ3世は生まれつき病弱で、老いてゆくフェリペ2世も息子の将来に不安を抱いていました。「怠惰王」と呼ばれたフェリペ3世、23年に及ぶ治世を取り仕切ったのは、首席大臣のレルマ公爵あるいはウセダ公爵でしたが、彼らはこの大帝国の国政を担うにはいささか力不足であり、フェリペ2世が残した世界帝国は衰退への道を歩み始めることとなります。

そして叔父姪結婚で生まれたェリペ3世 (マルガリータの祖父)も、近しい血統にあるオーストリアハプルブルク家の「マルガレーテ」と結婚。相手はカトリック教徒と限られているばかりか、名門スペイン王室として、臣下や格下の諸侯との結婚などありえなかったのでしょう。

(フェリペ3世 肖像画)

父フェリペ4世も姪と結婚して

狭いサークル内での結婚が、淡々と繰り返されていくハプスブルク家。

フェリペ3世の子供として生まれたのがフェリペ4世、こちらがマルガリータのお父さんですね。「無能王」と称された人物で、政治は家臣へと丸投げ、女遊びや娯楽に夢中になっていたといいます。度重なる近親婚のためか8人の子供は亡くなり、また妻もが出産で亡くなってしまいました。

フェリペ4世は世継ぎ問題に悩まされ、結果として妹の娘「マリアナ」と結婚することになります。こちらも叔父姪の間柄での結婚でありました。この2人の間に生まれたのが、あの愛くるしい「マルガリータ王女」です。

(薔薇色のドレスの王女 ベラスケス画)

高くなった近親係数

マルガリータは父帝の大のお気に入りで、ベラスケスら宮廷画家たちに彼女の多くの肖像画を書かせました。弟カルロス2世とは違い、近親婚の大きな影響は見られなかった、と言われていますが、スペイン大学の研究によると、マルガリータの近交係数(近親交配の度合いを表す数値)は、親子間、兄弟間ででる数値の4倍だったことがわかっています。

マルガリータが嫁いだのは、実母の弟であり11歳年上のレオポルト1世でした。

「叔父姪結婚」で生まれてきたマルガリータ王女もまた、叔父と結婚することになったのです。マルガリータは彼をおじさまと呼んで慕い宮廷生活のなかでは比較的幸福で平和な結婚だったといいます。そしてマルガリータは、16歳という若さで男児を出産することに成功します。

(マルガリータテレサ皇后と娘のマリアアントニア)

マルガリータは6年間で6人の子供をもうけますが、最期の子を出産する際、子供と共に亡くなってしまいます享年21歳、若くして度重なる妊娠に身体はすっかり弱ってしまっていたのでした。ちなみにマルガリータの子供は長女のマリアのみが成人し、他の子供たちは幼くして亡くなりました。

スペインハプスブルクの没落

宮廷人という宿命を背負って、命を全うしたマルガリータ王女

領地と権力を守るために、幾度も重ねた血族結婚の果てに生まれた、美しく愛くるしい子供たち。4歳にして皇帝の座についたカルロス2世は、幼少期には衣服を身につけた動物のようで、教育を施すことも困難であったと言われています。

結局カルロス2世は皇帝位につくものの子を残すことはできず、スペインハプスブルク家は彼の代で終焉を迎えることとなったのでした。

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まとめ

海外植民地を含めて「日の沈まぬ帝国」と呼ばれたスペインハプスブルク家狭いサークル内で繰り返された婚姻により、やがて一族の血は弱りスペイン家は断絶をよぎなくされたのでした。

絵画の面白さは、400年近く前に懸命に生きただろう、人々の生き様が生々しくリアルに、そして悍ましいほど美しく切り取られキャンバスの中に静かに眠っていることです。そんな名画『ラス・メニーナス』は、500年近くたつ今も、スペイン・マドリードにて人々を魅了し続けているのでした。

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