フェリペ2世の代で「陽の沈まぬ国」として最盛期を迎えたスペイン・ハプスブルク家。絶対的な権力をもった王の長男こそ、宮廷の悲劇の主人公として語り継がれていくドン・カルロスです。その振る舞いから狂気の子と呼ばれ無情な父に見限られ、自分の道を見つけようとネーデルランドに行こうとするも、反逆罪として逮捕され23歳にして牢死。一体スペイン宮廷では何が起きていたのか、この記事では悲運な死をとげた、ドン・カルロスの生涯をみていきます。
悲運の王子、ドン・カルロス
無情な王、フェリペ2世のもとに生まれて
スペイン・ハプスブルク家の最盛期を築いたフェリペ2世。世界各地に領地があり、1日のうちどこかでは必ず陽が昇っているという意味で、『陽の沈まぬ帝国』とも呼ばれました。そんな彼の元に生まれたのが、ドン・カルロス。偉大な父カルロス1世の命で結婚した、最初の妃 (ポルトガル王女マリア)との間に授かった男児でありました。
祖父の名前カルロスと名付けられるも、母マリアは出産が原因で早々に亡くなってしまいます。待望の男児でありましたが、ドン・カルロスは乳母の乳頭を噛み切ったり、3歳になっても喋ることができず、さらに異常な食欲を示したりと、明らかに普通ではない様相……18歳で妃を亡くし息子もこんな有様で失望したフェリペ2世は、イタリア、オーストリア、ドイツへと3年間もの遠征に出発します。
見限られて婚約者をとられた、息子のなげき
父は遠征から戻るも、今度はイングランド女王メアリーと結婚するためにイングランドへ。祖父カルロス1世の命令であり愛情はなかったものの、お金と領地獲得のためにフェリペ2世はなかなか戻ってこず。ドン・カルロスは父になかば放置される形で、幼少時代を過ごしました。
しかし11歳上の妃メアリーは、子ができないまま病死してしまいます。ドン・カルロスでは心許ないと世継ぎを渇望したフェリペ2世が、妃に迎えたのがフランスの王女イサベルです。
ここがオペラでも取り糺されたところで、この王女イザベルこそ、王子ドン・カルロスの婚約者でありました。半ば見限られて、婚約者まで奪われた王子ドン・カルロスの不満はつのるばかり。
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反逆罪として、父に捕らえられ監禁される
父から冷たい目でみられ活躍する場もなく、無き者としてあつかわれたドン・カルロス。自分の道を見つけようと暗中模索し旅に出ることを決めますが、それは父のカトリックとは真っ向から対立していたネーデルラントでした。
父フェリペはこれを許さず王子を捕らえ、「国家への反逆」として監禁してしまいます。それから半年後、慈悲なくドン・カルロスは牢死を遂げ、その3ヶ月後に王妃のイサベルもその生涯を閉じました。
フェリペ2世の後を継いだのは4番目の妃アナの息子フェリペ3世。最強の帝国をもったスペイン・ハプスブルク家は、フェリペ2世の代に最盛期をむかえその後徐々に衰退へと向かっていきます。
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あとがきにかえて
カルロスは肩の高さが違い、右足が左足より長く、頭が大きい。まるで子供のように愚かしい質問ばかりする。高尚なことに興味を示したことはなく、食べることにしか関心がない。よくいろいろな病気にかかり、顔色はひどく悪く長生きはできないだろう
当時のボヘミア大使の手紙にこう記されていたことから、長生きすること、君主となることを期待されていなかったことは確かなようですが、それにしても小さい時から見向きもされず、父帝に幽閉されその結果、命を落とすことほど悲しいことがあるでしょうか。
フェリペ2世は、偉大なる父カルロス1世に憧れと劣等感を持っていたともいわれていますが、だからこそ出来の悪い息子のことを認めたくなかったのか、強い君主を望んでいたのか。
スペイン・ハプスブルク家には近親婚の影響がつよくでたことは有名ですが、ドン・カルロスもまたその呪いを受けていたのではないかといわれています。この呪いはフェリペ3世に引き継がれ、もっとも顕著にあらわれたのは5代目皇帝カルロス2世でありました。華々しい歴史の裏には、いつも深く悲しい陰りがあるものかもしれません。その同家最後の国王カルロス2世についてはこちら (呪われた子と呼ばれたカルロス2世【スペインハプスブルク家の近親交配と没落】)にまとめております。
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参考文献
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