怖い絵画【青いドレスの王女マルガリータが背負った 宮廷人の宿命】

青いドレスの王女 マルガリータ・テレサ 呪われた王室
この記事のポイント
1. ハプスブルク家は「高貴なる青い血」を守るため、近親婚を繰り返していた
2. マルガリータ王女の近交係数は親子間・兄弟間の4倍であった
3. 21歳で産褥により亡くなり、6人の子供のうち成人したのは1人だけであった

1580年から1640年まで、海外植民地を含めて「日の沈まぬ帝国」と呼ばれたスペインハプスブルク家。領地と権力を守るため、幾度も重ねた血族結婚の果てに生まれたはかなく愛くるしい子供たち。

(ラス・メニーナス 真ん中に描かれているのが王女マルガリータ

Supplied via Wikipedia)

この記事では、宮廷人という宿命を背負って命を全うした、マルガリータ王女の人生を絵画を通してみていきたいとおもいます。

近親婚の果てに

1580年から1640年の間、スペインは海外植民地を含めて広大な領地を支配し、「日の沈まぬ帝国」として君臨していました。しかし、この強大な帝国の裏には、血統を守るための異常な近親婚の歴史が隠されています。

ハプスブルク家は「高貴なる青い血」を守ることに執着し、そのために兄弟姉妹、親子間の結婚を繰り返してきました。この血統主義の結果、悲劇的な運命をたどる人物が数多く現れることとなったのです。

絵画に描かれた王女の運命

(青いドレスの王女マルガリータ Supplied via Wikipedia)

マルガリータ王女は、その象徴とも言える存在でした。彼女の近交係数(近親交配の度合いを表す数値)は、通常の親子間や兄弟間の4倍に達していました。

宮廷画家ベラスケスが描いたマルガリータ王女の肖像画は、彼女の運命を映し出しています。大人びた姿で描かれていますが、当時の彼女はわずか8歳に過ぎませんでした。

「青いドレスの王女」は特に有名ですが、「白いドレスの王女」「薔薇色のドレスの王女」「ピンクのドレスの王女」など、彼女のために描かれた多くの肖像画が存在しています。

(白いドレスのマリガリータ王女 Supplied via Wikipedia)

ベラスケスら宮廷画家たちは、フェリペ4世の寵愛を受けたマルガリータの姿を幾度となく描き、その美しさと愛らしさを表現しました。しかし、これらの肖像画は、彼女が背負った恐ろしい運命の証人でもあるのです。

恐怖の結婚

マルガリータは、「スペイン女王」となるかと思われたものの、奇跡的に弟カルロス2世が誕生したため、ウィーンの叔父レオポルト1世との結婚を余儀なくされました。

彼女は彼を「おじさま」と呼び、比較的幸福な結婚生活を送りましたが、実際には実叔父との結婚という恐ろしい運命に縛られていたのです。

宮廷の反発と孤立

ウィーンに移ったマルガリータは、スペインから連れてきた侍女や廷臣たちとともに生活を送りました。しかし、彼らの傲慢な態度やスペイン風の振る舞いはウィーン宮廷で反発を招きました。

宮廷内のスペイン嫌悪の感情は、若きマルガリータに向けられ、彼女は孤立していきます。この精神的な圧力も、彼女の健康に悪影響を与えたのではないかと考えられます。

悲劇的な出産と早すぎる死

結婚生活の中で、マルガリータ王女は短期間に6人の子供を産みましたが、成人まで生き延びたのは娘のマリアだけでした。これは、当時の医療技術の限界や彼女の健康状態の悪さに起因しています。

マルガリータは体が非常に華奢で、幼少期から甲状腺腫に苦しんでいました。彼女の体は度重なる妊娠と出産に耐えられず、21歳の若さで産褥熱により命を落とすことになりました。

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まとめ

マルガリータ王女の短い生涯は、近親婚の果てに生まれた悲劇の象徴とも見て取れます。

幼い頃からスペイン宮廷の期待を一身に背負い、その運命に従いながらも、短い間に多くの子供を産みましたが、その多くは夭折し、彼女自身も若くして命を落としたマルガリータ王女。

幼いうちから一国を支える「女王」の座につくことを期待され、弟が誕生すれば「高貴な青い血」を守るために叔父の元へと嫁がされる。宮廷人の宿命が投影されているかのごときマルガリータ王女の肖像画は、いまもオーストリアに展示されており、世紀をこえても多くの人々を魅了し続けています。

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