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呪われた子と呼ばれたカルロス2世【スペインハプスブルク家の近親交配と没落】

2020/08/03
 
カルロス2世(チャールズ5世)の解剖所見
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

600年以上世界に君臨し続けた巨大な王朝、ハプスブルク家。世界に名を馳せた一方、一族の「高貴な青い血」を重んじた背景から近親交配をうみ、結果として5代で断絶という悲劇を生んだ王でもあります。この記事では、近親婚の末に生まれた皇太子『呪いの子と呼ばれたカルロス2世』についてみていきます。

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スペインハプスブルク家 最後の王、カルロス2世

希望の子か、呪いの子か

carlos2sei

スペインのカルロス2世は、スペインハプスブルク家最後の国王です。ちなみにカルロス2世は、かの有名な絵青いドレスの王女 マルガリータの弟でもあります。

スペイン宮廷では度重なる近親婚の影響で生まれる子供は幼くして亡くなるとが多く、また度重なる出産により王妃が衰弱し次々と亡くなるなか、カルロス2世はまさに、断絶間近の王家にとっての希望でありました。しかし奇跡の子と呼ばれたカルロス2世は、成長するにつれ『呪いの子』とささやかれるようになります。

 

カルロス2世にみられた、近親婚の影響

カルロス2世 家系図 (参考:誰でもわかる【肖像画でみるハプスブルク家|家系図 】)

どういう経緯で近親婚が繰り返されていたのかは、別記事に詳しく解説しておりますので興味のある方はコチラから。Discover誌にカルロス2世の特徴が記載されていますので、下記に翻訳いたします。

カルロス2世スペインのハプスブルク王カルロス2世は、巨大な奇形の頭をもち、それも著しく退化していました彼の顎は非常に突出していて、2列の歯が噛み合うことはなく、彼の舌はとても大きくてほとんど話すこともできませんでした。彼は知能にも同様に障害があり、彼の短い人生は、主に幼児期の延長から早老に至るまでの道のりでした。

カルロスの家族は「彼の寿命を伸ばすこと」を重要視し、教育についてはほとんど考えていませんでした。5〜6歳まで乳を飲み、足が支えられずにうまく歩けず、何度も転びました。彼の体はまるで子供のようで、彼の生い立ちの性質から、教育の不十分さ、宮廷での堅苦しいエチケット、母親への依存、そして彼の迷信は「精神的に遅滞した過敏な君主」を生み出すに至ったのです(参考記事:https://www.discovermagazine.com/the-sciences/inbreeding-and-the-downfall-of-the-spanish-hapsburgs)

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迫りくる近親婚の影響

カルロス2世 解剖医の見解

カルロス2世について今回色々な文献を調べたところ、顎だけではなく、ここには書けないほど悲しい見解が、解剖医師により残されていました。あえて訳すことはしませんが、一部あえて取り上げるのであれば、もし彼の出生が始まりだというのなら、その始まり自体が彼の終わりだったといったことが記されています。日本の書籍などでは、「生まれた時から死に瀕していた」と表現されているようです。

The physician who performed his autopsy stated his body “did not contain a single drop of blood; his heart was the size of a peppercorn; his lungs corroded; his intestines rotten and gangrenous; he had a single testicle, black as coal, and his head was full of water.”His life was memorably summarised by John Langdon-Davies as follows: “We are dealing with a man who died of poison two hundred years before he was born. If birth is a beginning, of no man was it more true to say that in his beginning was his end. From the day of his birth they were waiting for his death. (参考文献:https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_II_of_Spain)

 

そして訪れる、スペインハプスブルク家の断絶

カルロス2世の時点で「適切な判断が下せず、スペインとその近隣諸国を適切に支配することができない」ほどに、血族結婚の影響がでていたのですが。宮廷は彼に教育を施さず唯一の王であった彼を「少しでも生き長らせる」ために奔走します。

自分たちを『神に選ばれた特別な人間とし、下々の血で汚されてはならない』として、狭い中で婚姻を繰り返した結果が、カルロス2世の誕生でした。かし皮肉にもカルロス2世は子供をつくれる状態ではなく、180年続いたスペインハプスブルク家は、カルロス2世の代で終焉を迎えることになります。

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あとがきにかえて

フェリペ王子 スペインハプスブルク家(『フェリペ・プロスペロ王子』 1659年 ベラスケス ウィーン美術史美術館所蔵)

「青いドレスの王女」マルガリータにはもう一人弟がいました。カルロス2世が生まれる前に亡くなってしまったのですが、お姉ちゃんに似てとても儚くうつくしい「フェリペ・プロスペロ王子、その儚く愛くるしい姿を当時の宮廷画家ベラスケスが描き残しています。

カルロス2世は自らを何かに呪われていると信じ込み、祈祷師を頼っていたそうですが、それはある意味正しく、数代続いた咎を一手に引き受け、呪いを止める役割を担っていたのかもしれませんスペインハプスブルク家はここで断絶するわけですが、オーストリアハプスブルク家はその後も世界に君臨しつづけ、マリーアントワネットの母であり絶世の美女「女マリア・テレジアなど数々の英雄を生み出していくのでした。

ハプスブルク家シリーズの続編はこちら

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