【進撃の巨人にも出てきた】人喰い一族ソニービーンは実在したのか

世界史奇談

漫画、進撃の巨人の中で捉えられたふたりの巨人。ふたりはハンジによって人喰い一族から名前をとり、「ソニー」と「ビーン」と名付けられました。ハンジが語った人喰い一族の生々しいエピソードに興味を惹かれた人も多いのではないでしょうか。この記事では、はるか昔から言い伝えられているソニー・ビーンとその一族の奇行をみていきたいとおもいます。

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ソニー・ビーンの出自

アレクサンダー・ソーニー・ビーンは、ジェームズ1世時代、1500年代後半から1600年代前半に生きていたとされている人物です。彼はスコットランドのイースト・ロージアンに生まれましたが、その性格は怠惰なものでした。

そして彼が結婚したのは、同じように怠惰で性悪でもあった「ブラック」アグネス・ダグラス。ふたりはイースト・エアシャーにある深さ200メートル以上のトンネルからなるベナン洞窟へと移り住みました。

彼には働く意欲がなく、この新婚夫婦は自活のために強盗に入ったことから、この恐ろしい逸話は始まります

重ねられる近親相姦

彼らはまず、町の間の田舎道で被害者を待ち伏せし、現金や持ち物を奪うなど、強盗を働くようになりました。はじめは強盗を終えると人々を解放していたのですが、やがてふたりは捕まえた人間の肉にも手をつけていくことになります。

これが、ビーンによる20年間の連続殺人事件の始まりでした。容易に食べ物が手に入るという動機から二人は殺した人の肉を食べて生きていくことになります。性欲が盛んだった二人の元には、14人の子供 (八男六女)が生まれました。

そして、近親相姦によって、その子供たちの元にも多くの子供が生まれます。その子供たちは32人の子供 (ソニーからしたら孫) を産み、その全員が人食いとして生きていくこととなりました。

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増える殺人

当然のことながら、子供が多ければ多いほど、食料の必要性は高まります。当初は一晩に1、2件の殺人から始まったものが、一気に6件にまで増えていきました。

話によると、ビーンは死体を塩漬けにしたり、漬けたりして肉を新鮮に保つようにしていたそうです。また怪しまれないように、被害者の腕や脚をあえて切り取り、定期的に近くの海へと流していたそうです。それは岸に打ち上げられると、まるで動物に襲われたかのようになり、疑惑を防ぐ効果があったとか。

行方不明者があまりに増え続けた結果、無数の捜索が行われましたが、誰もベナン洞窟を捜索することはなく成果はありませんでした。

ことの発覚

逮捕のきっかけは、ソーニー・ビーンの一族が、近くの町の行事に出席から帰宅中の男性と妻を襲ったことでした。一族はすぐに妻を殺しましたが、ピストルをもった男性については非常に苦労することになりました。

行事から戻ってきた20人が男を助けにやってきて、洞窟に逃げ帰ったビーンたちを発見したのです。その男性と目撃者はグラスゴーの首席治安判事に報告書を提出し、主席判事は事件と行方不明者リスト、そして時折浜辺で見つかった四肢の報告をジェームズ一世に伝えました。国王は約400人の男と数匹の犬からなる捜索隊を率いてグラスゴーに到着。ビーン一族はすぐに、激怒した周辺の町のボランティアによって補われることとなったのです。

すべてが明るみに

一行は浜辺を探し回りました。洞窟の入り口に着くと、犬が人間の肉の匂いを嗅ぎ取り、一行は洞窟の中に入ることになりました。そこでは、壁に吊るされた無数の体の一部が見つかり、床には指輪や宝石、衣服や骨の山が散乱していました。

それから、ビーン一族48人全員が逮捕され、エディンバラへと連行されました。一族の男性の手足は切り取られ、女性はまるで魔女狩りのように焼かれたと伝えられています。

事実かフィクションか

人喰い一族の逸話は、世界中の様々な時代や文化で継承されていますが、殆ど伝説の域を出ないといわれています。というのも、当時の文献は全く残っておらず、始めて公に記録されたのは、ビーンが逮捕され処刑されてから200年後のこと。しかもロンドンのパンフレットで語られたのがきっかけでした。

当時のイングランドでは反スコットランド感情がはびこっており、スコットランド人をあからさまに描く物語が作られても不思議ではなかったのです。さらに、この伝承はイギリスでのみ販売されており、スコットランドの野蛮さを一般へアピールする狙いが高かったのではないかといわれています。

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まとめ

人間を捉えては食し、時には塩漬けにするなど生々しいエピソードが残る人喰い一族ソニー・ビーンの逸話。しかしこれはスコットランドへのイメージを下げるため、イギリスの策略により作られたのではないかという説が最近では濃厚となっています。

捏造を示すさらなる証拠が、名前にもみてとれるといわれています。

ソニー・ビーンの妻 「ブラック」 アグネス・ダグラスは、1338年にイングランド軍がダンバー城を攻撃した際に撃退し、スコットランドの英雄としてもてはやされた 「ブラック」 アグネス・ランドルフをモデルにしている可能性があるというのです。

これはやはり反スコットランド感情から生まれた話で、彼女の名前 (彼女の黒髪を指す) を冠しているのは、彼女の信用を失墜させようとしている可能性があるともいわれています。さらに、ソニーという名前はアレキサンダーのニックネームである可能性もあるが、当時のスコットランド人男性に対する「蔑称」でもあり、この物語が反スコットランドの政治宣伝の一環として書かれたことをさらに示唆しているのでした。

不都合な真実はいつでも秘されるものですが、不都合な真実がこうして大々的に公になるのにも、何らかの思惑が働いており、仕組まれたものであるのかもしれません。

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管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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