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【王族の謎死】栄光あれど、嘲笑的な最後を迎えた君主3人

 
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

人生は不確かで、時には不必要に残酷です。ベンジャミン・フランクリンの有名な言葉「死と税金を除いて、確かなことは何もない」のとおり、王族であろうと庶民であろうと、歴史を通じてすべての人生をつなぐ1本の糸はいつか終わりを迎えるものです。

しかし、何世紀にもわたって鳴り響く賛美のなかで、栄光の死を享受している人もいれば、偉大な王族でさえとんでもない嘲笑的な結末を迎える人もいますこの記事では、『悲劇的な死』を迎えた3人の君主をご紹介します。

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ロシア女帝エカチェリーナ

ロシアを欧州の大国に引き上げた大女帝

ロシア女帝 エカテリーナ

女帝エカチェリーナは、ロシアで最も長く君臨した女性統治者でした。1762年のクーデターで夫ピョートル3世を倒したエカチェリーナは、1796年死を迎えるまでロシアに女帝として君臨しました。ロシアを黄金時代に導いたと考えられていた彼女の治世、ロシア全土に著しい進歩をもたらし、弱体化した国家から再び『欧州の大国』に引き上げました。またエカチェリーナの功績には、啓蒙主義の科学的・政治的進歩を支持し、芸術の拡大、また女性の地位を向上させた、といったものもあげられています。

 

最後は、スウェーデン王に激怒しトイレで倒れて…

エカチェリーナとタカラノーヴァ

彼女の死の状況については、さまざまな噂が飛び交いました。ロシアの君主が馬と関係をもったとか、彼女の使用人たちによって行われた行為の結果だとか、女帝の死については威厳のない明らかなデマが出回ったのです。嘘とも信実とも示す証拠はありませんが、皇后の最期はそれほど威厳のあるものではありませんでした。

実際はどうかというと、「スウェーデン王に激怒したあとトイレで倒れて死亡したという説が有力です。スウェーデンのグスタフ4世アドルフ王が訪問中のこと、王に激怒したエカテリーナは翌朝トイレで倒れ浴室の床で致命的な昏睡状態に陥りました。彼女は45分間、発見されずそれが死につながったといわれています。

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フランスのシャルル8世

ヴァロア朝の『温厚王』

シャルル8世 (フランス王 シャルル8世の肖像画)

シャルル8世は、ヴァロア朝で7代目をつとめたフランス王、『温厚王』と呼ばれたことでも知られています父ルイ10の死後、13歳にして王位に就きはじめの頃の治世は姉アンネによって統治されました。姉のアンネは摂政として政治力に長けており、フランスの王冠の力を強きものとするためにマッド・ウォー (1485年-1488年) で勝利をおさめたのも彼女の力があってこそでした。シャルル8世は1491年にブルターニュのアンヌと結婚し、ハプスブルク家によるフランス包囲網を回避することに成功しました。

 

戸口に頭をぶつけて昏睡状態に陥り、そのまま….

アンヌ・ド・ブルターニュ (王妃アンヌ・ド・ブルターニュの肖像画)

アンヌ・ド・ブルターニュとの結婚以後自立するようになったシャルルは、16世紀前半のヨーロッパ史上重大な影響を与えることになるイタリア戦争を開始。またナポリ王国の継承権を主張したシャルルは、25,000人のフランス軍を率いてイタリア半島を南下、勝利をおさめてナポリ王となりました。

と、出だしはよかったのですが、1498年にテニス観戦にいく途中ドアフレームに頭をつよくぶつけてしまい午後2時頃試合から戻ったシャルルは突然昏睡状態に陥り、9時間後に死亡….死因は硬膜外血腫だったと考えられています。

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スコットランドのアレクサンダー3世

スコットランドで最も偉大な王のひとり

アレクサンドル3世

スコットランドのアレクザンダー3世は、湾の間にあるファイフに向かう道の暗闇の中で首を骨折し亡くなりましたアレクザンダー3世の一人息子であったアレグザンダー3世は1249年に即位したスコットランド王。熱病で急死した父親から7歳で王位を継承しましたが、初期のアレクサンダーは宮廷の派閥主義と有力諸侯の権力争いにおおいに苦しむことになりました。1251年にイングランドのマーガレットと結婚しました。1262年、21歳になったアレクサンダーは父親の最後の試みである西諸島の征服にすぐに取り掛かりました

 

廷臣の警告をきかず、足元が悪い道で馬がつまずき….

アレグサンダー3世

そしてハーコンの凱旋で、アレキサンダーはマン島と西の島を獲得したのですが…..1275年に妻が亡くなった後アレクサンダーは「時には変装して」そして「空想にふけって」は喜びを求めて尼僧、未亡人など様々な女性のもとを訪れ遊ぶようになりました。1286年3月18日の夜、危ない状態のためファイフにいかないよう忠告しましたが、王は警告を無視して出発。

旅の途中で馬がつまずきアレクサンダー3世は投げ飛ばされ、遺体は、傾斜のきつい堤防の底で首の骨がおれた状態で発見されました男児の後継者がいなかったアレクサンダーの死はスコットランドを政治的混乱に陥れ最終的にはイギリスとの戦争に突入することになりました。

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あとがきにかえて

エカチェリーナ (ロシアの大女帝 エカチェリーナ)

事実は小説より奇なり、とはよくいったもので、どんなに栄華を極めた人でも最後は必ずおとずれるものです。それがどんなものになるかは誰にもわからず、そういった意味で人は皆平等といえるのかもしれません。ただ先がわからないからこそ、いつかは亡くなることが定められているからこそ、短い期間を一生懸命人は生きようとするのかもしれません。

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参考文献

  • 20 Moments Royals Have Met Their Demise
  • History Collection

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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