マリーアントワネットの子供たちが迎えた悲惨な最後

マリーアントワネットの子供達悲劇的な最期を迎えた子供たち
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赤字夫人と呼ばれフランス国民の怒りをかったマリー・アントワネット。フランス革命が起きると一家は亡命を企てますが捕まり、王ルイ16世と王妃は断頭台へと送られました。しかし夫妻には、2人の子供が残されていたのです。王女と王太子はどうなったのかこの記事では切ない仕打ちを受けたマリー・アントワネットの子供たちの行方を追っていきます。

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マリー・アントワネットの子供たち

ルイ16世とマリー・アントワネット

14歳でフランスへ嫁いだマリー・アントワネット。1770年5月の結婚式の夜、ルイ15世は新婚のマリー・アントワネットとルイ=オーギュストを寝室へと案内し、祝福とおやすみのキスをしました。シーツは翌朝宮廷によって徹底的に調べられましたが、その夜は何もなかったことが証明されています。彼女のもっとも重要な任務は『王位継承者』を産むことでしたが、7年の間夫婦には子供ができずはじめて子供が生まれたのは8年後のことでした。ただこれはマリー・アントワネットではなくルイ16世の身体的欠陥のためで手術をすれば治るのに先延ばしを続けた結果でした。

王妃が産んだ4人の子供たち

マリー・アントワネットの子供はどうなったのか

最初にうまれたのは王女マリー・テレーズ皆がのぞんだ後継者ではなくともようやく母になったアントワネットは娘との幸せな時間を享受しました。この頃には王妃の服装も質素なものにかわっていき3年後ついに待望の王太子ルイ・ジョセフが生まれますそして、さらに2人と子宝に恵まれました

マリー・アントワネットの子供達

しかしアントワネットとルイ16世の子供たちの幸せな時間は、ほんの束の間のことでした。成人したのは長女マリーだけで、長男は結核にかかって7歳で亡くなり、末娘のソフィーは1歳にもならないうちに早逝。長男が亡くなったため、次男のドーフィン、ルイ・シャルルが王位継承者となりました。

ヴァレンヌ事件、一家逃亡の失敗と逮捕

マリーアントワネットの子供達

しかし新たに皇太子となったルイ・シャルルには惨い最後が待ち受けていました。フランス革命がはじまると、王家はヴェルサイユから追放され、テュルイリー宮殿にて監視状態におかれます。いよいよ事態が絶望的になった1791年6月、ルイ16は亡命を企てロシア貴族の従者と家庭教師の格好をした王と王妃は、子供をつれフランス脱出を試みました

ヴァレンヌ事件

逃亡は失敗に終わり、ベルギーの国境近くの町バレンヌで捕まった一家はパリへと連れ戻され、叔母エリザベート(ルイ16世の妹)とともにタンプル塔に投獄されました。ヴェルサイユ宮殿での贅沢な生活に慣れているこの家族にとって、ここは湿気もひどく恐ろしい場所でした。

ルイ16世と、マリー・アントワネットが処刑されて

Marie Thérèse, Queen of France

最初のうちは家族一緒に過ごせた一家でしたが、父ルイ16世に母マリー・アントワネットと次々に断頭台へとおくられ、子供たちをみていた叔母エリザベスも処刑….君主制は1791年にすでに廃止されていましたが、革命派は残された元王太子ルイ・シャルルをどうするべきか考えあぐねました。王党派はすでに彼が『ルイ17』だと主張しているし、もしシャルルが彼らに奪われたら争いになりかねない。

ルイ・シャルル (ルイ17世)

179373日、ルイ・シャルル (ルイ17) はわずか8歳で、家族から引き離され地下牢へといれられます。そうしてひとり、またひとりといなくなり、タンプル塔の部屋に残されたのは長女マリー・テレーズだけでした。

ルイ17世に対する惨い仕打ち

マリー・アントワネットとヴァレンヌ事件

両親は早々に処刑されたわけですが、ルイ・シャルル4年もの間独房に閉じ込められていました。存在は無視され他の人々とはほとんど接触がなく、母親と叔母のエリザベートが処刑されたことも知らされていませんでした彼は『王の子孫』というだけで罰せられ、殴られ屈辱を受けることになります。衛生状態がよくなく身体は汚れ病気になり、それでも部屋が掃除されることも自分で服を洗うこともできませんでした。

ルイ・シャルル (ルイ17世)

「弟を助けてください」という姉マリー・テレーズの意見は完全に無視され、最後はもう話すことも、動くこともできなかったといいます。ルイ17世ことルイ・シャルルは、4年近く独房で過ごした後、179568日に10歳で亡くなりました

王女マリー・テレーズ

マリーテレーズ (マリーアントワネットの娘)

この間マリー・テレーズは、弟が幽閉されている塔の上の階に閉じ込められており、弟と話すこともできませんでした。彼女はマリー・アントワネットの子供のなかで唯一フランス革命を生き抜いた子供です。

マリーテレーズ (マリーアントワネットの娘)

17928月から179512月までマリー・テレーズは塔に閉じ込められており家族が次々と連れて行かれるのをただ見ていることしかできませんでした。マリー・アントワネットです。階下でルイ・シャルルが殴られ泣き声が聞こえるなかで過ごし、2冊しか持っていなかった本を何度も読み返しました。

マリーアントワネットの子供達

17歳の誕生日彼女は、叔父であるハプスブルク皇帝フランツ2世の囚人と交換する形で開放母の故郷である、ウィーンへうつります彼女の両親と兄弟は全員亡くなっており彼女が若い頃から知っていた人々のほとんども亡くなっているか亡命中かでひとりぼっちでした。彼女自身も残りの人生のほとんどを外国で過ごすことになります。

母とは違う、娘の生き方

ブルボン家 左がマリー・テレーズ(1823年)

しかし情事に巻き込まれたマリー王妃としてフランスに戻ってくることを誰が想像したでしょうかブルボン王朝の復興を手助けするために、彼女はいとこのルイス・アントワーヌ (父ルイ16世の弟の子) と結婚しました。

浪費癖の激しかった母とはちがい、娘は王太子妃の身分となっても45人の使用人しか雇わず、質素と倹約を貫きましたマリー・テレーズといい、彼女はマリー・アントワネットの子供のなかで唯一天寿を全うした女性でした。父母への恨みを持つ人はいようとも彼女が国民に慕われたのは、彼女の行動が飢えや苦しみや恐怖を理解した上に成り立つものだったからかもしれません。

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