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【知られざるクレオパトラ】多くの男性を虜にして支配を広げた魅惑の女王

 
クレオパトラとは
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謎の女性。歴史の中の人物像を徹底的に知りたがる世界史オタク。絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

人伝いで広がり、様々な形をおりなしたアラビアンナイト。延々と終わらない物語として、日本では『千一夜物語』としても知られています。怖さは想像の友と申しますが、その時代や文化、関わった人々の様々な絡み合いを知るうちにじわじわと恐怖が伝染していくのは今も昔も同じこと。この記事では、その美しさが一人歩きし、なかなかその人柄や背景が知られていない『クレオパトラ』の人生をご紹介します。

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クレオパトラ7世の生涯

常態化した、権力を巡る骨肉の争いの中で

クレオパトラとは

ちなみにクレオパトラは古代エジプト女王につけられる名称であり、一般的に世界三代美人として知られているのは『クレオパトラ7世』です。クレオパトラ7世は、紀元前69年古代エジプト・プトレマイオス朝最後の女王でありました。

プトレマイオス朝では、家族内で権力をめぐる骨肉の争いが繰り広げられており、エジプト内は不安定な状態が続いていました。クレオパトラが14歳の時、父王プトレマイオス12世と実姉ベレニケが王位を巡って争い、ローマの支援を得た父は容赦無くベレニケを処刑します。

ベレニケとプトレマイオス12世

そんな父プトレマイオス12世が亡くなり、年長者であった彼女が『クレオパトラ7世』として即位したのは18歳のときでした。

 

父の後を継ぎ、クレオパトラ7世が誕生

クレオパトラ7世 (兄弟婚で共同統治)

古代エジプトには長女の夫に王位継承権がありましたので、子供が王位継承をするときは必然的に『兄弟婚』が行われていました。クレオパトラ7世も例に従い、弟プトレマイオス13世と結婚して共同で王位につきました。しかし強大な力を持つローマとの同盟がエジプト存続の道であると信じるクレオパトラと、ローマからの独立を支持するプトレマイオス13世は激しくぶつかります。紀元前49年、ガイウス・ユリウス・カエサル派とグナエウス・ポンペイウスら元老院派との間で内戦が勃発クレオパトラ7世は父王時代からの繋がりがある後者元老院派を支援しました。

 

ローマを巻き込んで大騒動

グエナウス・ポンペイウス

ポンペイウス側がクレオパトラ7世に兵員と食料の協力を要請した時、女王は予想を上回る兵員及び食料を提供したといわれており、このときポンペイウスの子とクレオパトラは愛人になったとも言われています。

プトレマイオス13世はクレオパトラ7世の動きに不信を募らせ、住民が親ローマ主義のクレオパトラ7世に対しておこした反乱に乗じてクーデターを決行し、オパトラ7世を東部国境のペルシオンへと追いやられてしまします。ポンペイウスはファルサルスの戦いにカエサルに敗北した後にエジプトに上陸しますが、最終的にプトレマイオス13世派によって殺害されたのでした。

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クレオパトラの妖艶な逸話

自分を絨毯に包ませて贈り物とした

クレオパトラとは

ローマからの独立を目指す夫(弟)プトレマイオス13世が起こしたクーデターにより、東部国境のペルシオンへ追いやられたクレオパトラ7世。紀元前48年9月、ポンペイウス追討のためにエジプト入りしたカエサルは、和解を図ろうとして両共同統治者をアレクサンドリアに招集しました。プトレマイオス13世派と戦闘していたクレオパトラがアレクサンドリアへ出頭するのは容易ではありませんでした。

クレオパトラとは

そこでクレオパトラ7世は絨毯に自らをくるませ、カエサルのもとへ贈り物として届けさせ、王宮へ入ることに成功したといわれています。古代エジプトでは、贈り物や賄賂として宝物を絨毯に包んで渡す習慣があり、クレオパトラは宝物ではなく自らの身体を贈ったのだと….. カエサルはすっかりクレオパトラ7世に魅了され、ふたりは愛人関係となりました。

 

終わりなき、権力への呪縛

クレオパトラとカエサル

これを知ったプトレマイオス13世は「怒り心頭に発し、王冠をはずし地面に叩きつけた」そうです。クレオパトラ7世はカエサルの庇護のもと、目立たない形でローマに滞在クレオパトラ7世とカエサルの間には『カエサリオン』という男のいう男の子が生まれますが、紀元前44年にカエサルは暗殺されてしまいます。

CAESAR

クレオパトラ7世はカエサルの後継者にカエサリオンを望んでいましたが叶わず、カエサルは庶子であるカエサリオンでなく、実の大甥で養子のガイウス・オクタウィウス・トゥリヌスを後継者と定め遺言書を遺していました。クレオパトラ7世はカエサリオンをつれてエジプトへと戻り幼いカエサリオンを共同統治者に指名しました。

 

アントニウスとクレオパトラ

Marcus Antonius

紀元前42年のフィリッピの戦いでは、第二回三頭政治側では無く、ローマ東方地区へ勢力を広げていたマルクス・ユニウス・ブルトゥスらの勢力を支援したクレオパトラ7世。戦いはブルトゥスらが敗北し、三頭政治側のマルクス・アントニウスはクレオパトラ7世に出頭を命じました。これに対して、クレオパトラ7世はアプロディーテーのように着飾り、香を焚いてムードをつくってタルソスへ出頭逆にアントニウスを自らの宴席へ招待し、瞬く間にアントニウスを魅惑したといわれています。アントニウスとクレオパトラ (アントニウスとクレオパトラ)

アントニウスはエジプトに近いシリアなどの東方地域では勢力を維持しており、クレオパトラ7世と良い関係を作ることは、アントニウスにとって好都合であったことは事実でした。アントニウスは豊かなエジプトを欲し、女王クレオパトラと密接に関わるようになります。そしてついには彼女へ支配領をも与えてしまいます。

結果ついたイメージが『エジプト女王に骨抜きにされローマ人の自覚を失った男』ローマを捨てたとして、オクタウィアヌス軍に攻撃を受けた彼は、その戦いの中『クレオパトラは実は裏切り者だった』という偽情報に惑わされ自殺。瀕死の状態でクレオパトラの元に辿り着きますが、腕の中で息絶えてしまいました。

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あとがきにかえて

アントニウスとクレオパトラ (クレオパトラ7世の腕の中で息絶えるアントニウス)

アントニウスが亡くなって10日後、オクタウィアヌスに屈することを拒んでクレオパトラは自死を選びます最終的にカエサリオン (クレオパトラ7世と共同統治の座についていた)は、オクタウィアヌスによって殺害され、プトレマイオス朝は滅ぶことになります。クレオパトラとアントニウスの3人の子供は、オクタウィアヌスの姉に預けられました。

クレオパトラ (クレオパトラの最後)

クレオパトラは自殺する前、自身が死ぬにはどのような毒がよいかと様々な毒を奴隷らに与えたという話も残っています。敵を次々と虜にして、捕まるどころか自分の有利な方向へと展開させていった魅惑な女王。計算の上でやっていたのか、それとも自然に事がそう運んだのか…『世界三代美人』に数えられる彼女ですが、実際エキゾチックなエジプト風美女というよりは、巻毛でギリシア風の女性だったといい、当時の解釈でも特段美しいわけではなかったともいわれています。彼女の逸話に後世の人々が注目したのは、その謎に満ちた妖艶な生き方であり、不思議な魅力に溢れた人物だったからかもしれません。

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参考文献

  • https://www.biography.com/news/cleopatra-mark-antony-love-story-death
  • https://www.smithsonianmag.com/history/rehabilitating-cleopatra-70613486/
  • https://history.howstuffworks.com/historical-figures/cleopatra.htm
  • http://www.shakespearestudyguide.com/Antony.html
  • https://www.artuk.org/discover/artworks/caesar-or-octavius-and-cleopatra-49228#

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