【復元画像でみる楊貴妃】傾向の美女と呼ばれた、世界三大美人の正体

中国の歴史
この記事のポイント
  • 楊貴妃は、三代美女に数えられ、中国四代美人の1人でもある
  • 皇帝の寵愛を独占、結果的に国は傾き「傾向の美女」と呼ばれることに
  • 反乱が起こり、楊貴妃はその原因を糾弾され王命令によって自死するに至った

楊貴妃(ようきひ)は、古代中国・唐代の皇妃で、玄宗皇帝の寵愛を受けた女性です。その美しさと魅力ゆえに、「傾国の美女」とも呼ばれました。今回は、そんな楊貴妃の魅力と運命について見ていきましょう。

※日本でいう世界三代美人は クレオパトラ7世、楊貴妃(唐の皇帝玄宗の皇妃)小野小町(平安時代前期の歌人)、世界では小野小町ではなくへレーネだといわれている

楊貴妃とは

楊貴妃 復元画像 (復元イメージの楊貴妃)

楊貴妃は719年6月22日に生まれました。本名は楊玉環(よう ぎょくかん)で、「貴妃」というのは皇妃の称号です。

彼女は、四川省の蜀州(現在の重慶)で生まれ育ちました。

名前の由来については、生まれながら玉環を持っていたからといった説や、また庶民でありながら生まれた時に室内に芳香が充満しあまりに美しかったので楊玄琰に売られたから、という俗説も残っています。

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皇后と同位の女冠へ

唐 第9代皇帝 (楊貴妃)

楊貴妃はもともと玄宗皇帝の息子である寿王李瑁(じゅおう りぼう)の妃でした。しかし、玄宗皇帝が彼女の美しさに心を奪われ、741年に楊玉環を宮中の「女冠」(じょかん)として迎え入れました。

この「女冠」とは、道教の修道女のような位で、名目上は宗教的な役職でしたが、実際には玄宗の意向で彼女を自分の近くに置くための措置でした。これにより楊玉環は道士となり、皇帝と同じ宮殿で生活を始めました。

玄宗皇帝の寵愛を一身に受ける

楊 貴妃とは

玄宗皇帝の楊貴妃への愛情は深まり、745年には正式に「貴妃」(きひ)として後宮に迎えられました。これは実質的に皇后に次ぐ地位であり、宮廷内での影響力は非常に大きかったのです。

楊貴妃はその美貌だけでなく、音楽や舞踊にも優れた才能を持ち、宮廷での宴席ではしばしばその技を披露しました。楊貴妃のふっくらとした体型は、当時の理想の女性像に合致しており、彼女の美しさは壁画や詩に描かれるほどでした。

家族の権勢と宮廷生活

楊貴妃が貴妃となったことで、彼女の家族もまた恩恵を受けました。特に、楊貴妃の従兄である楊国忠(よう こくちゅう)は、高位の官職に就き、唐の政治に大きな影響を持つようになりました。

しかし、この権力拡大は宮廷内外に多くの敵を作ることにもなりました。楊貴妃自身は玄宗皇帝の寵愛を一身に受けていましたが、家族の行動が次第に問題視されるようになります。

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安史の乱と楊貴妃の悲劇

楊 貴妃とは

755年、楊国忠と対立していた安禄山(あんろくざん)が大規模な反乱を起こし、これが「安史の乱」(あんしのらん)の始まりとなります。

玄宗皇帝は反乱の勃発を受けて長安(ちょうあん)から逃れましたが、逃亡中に兵士たちの間で「この反乱の原因は楊国忠にあり、楊貴妃もその一味だ」という不満が広がり、楊貴妃の存在が問題視されました。

最終的に、反乱の収束と兵士たちの不満を和らげるために、玄宗は高力士(こう りきし)の進言により、楊貴妃に自殺を命じました。

楊貴妃の最期とその後

楊 貴妃とは

756年、楊貴妃は高力士によって首を絞められ、非業の死を遂げました。

彼女の死後、玄宗皇帝は深く悲しみ、楊貴妃の霊を祀り続けたと言われています。また、彼女の死を悼んで、長安に戻った後には彼女の絵を描かせ、毎日眺めていたとも伝えられています。

楊貴妃の悲劇的な運命は、彼女の美しさと才能ゆえに生じたものであり、その物語は現代に至るまで語り継がれています。

生き残り説

楊 貴妃とは

『楊太真外伝』によると、楊貴妃は「国の恩に確かにそむいたので、死んでも恨まない。最後に仏を拝ませて欲しい」と言い残し、高力士によって縄で首を捻られて殺されたと記録されています。

生き残り説もありますが、陳玄礼らによってその死は確認されており、死体は確かに郊外に埋められたそうです。玄宗は画工に彼女の絵を描かせ、それを朝夕眺めていたと伝えられています。

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まとめ

楊 貴妃とは

皇太子妃のままであれば安寧な生活を遅れたのかもしれませんが、美しすぎるあまり義理父の目にとまり皇帝が暴走、結果として殺されるに至った楊貴妃。

楊貴妃は、玄宗皇帝の愛情とともに歴史の波に翻弄されながらも、その美しさと才能によって時代の象徴となりました。彼女の物語は、権力と美貌がもたらす悲劇の一例として、後世の人々に多くの教訓を残しています。

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管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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