【あごと下唇にみえる禁断の歴史】世界に君臨したハプスブルク家と高貴な青い血

呪われた王室
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650年近く広大な土地を支配した王家をご存知でしょうか。ヨーロッパに君臨したハプスブルク家は、結婚、征服を繰り返し世界への支配を拡大してきました。途中からオーストリアとスペインに分かれ別々の領土を支配していたわけですが、緊密な関係を維持し自分たちの「高貴な青い血」を守るため頻繁に近親婚を繰り返していました。

血が濃くなるほどその影響は顕著になり、スペインハプスブルク家の最後の皇帝となった『カルロス2世』は、幼少期には衣服を身につけた動物のようだったと言われています。この記事では『沈まぬ帝国と呼ばれたハプスブルク家になにが起きていたのかその歴史を紐解いていきます。

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ハプスブルク家とは

ハプスブルク家はヨーロッパで最も影響力があり、傑出した王家のひとつでした。

戦争は他の者にまかせておけ。汝は結婚せよ

という家訓のとおり、ハプスブルク家は領土を、結婚や征服、同盟の締結などにより領土を格段に広げていったのでした。13世紀から20世紀にかけて現在のドイツ、オーストリア、スペインを始めとする広大な領地において、多くの統治者を輩出してきたのです。

一族が苦しんだ「下顎前突症」

スペインハプスブルク家のあごと下唇カール5世)

ハプスブルク家といえば、下唇と顎がまたひとつ特徴とされています。

こちらの肖像画は、スペインハプスブルク家の絶頂期に君臨したカール5世。カルロス1世とも呼ばれる彼は、次々と領地を開拓し「世界最大の植民地帝国」を築いた人物でもあります。

両親の血を引いて生まれつき顎の筋力が弱く、下顎前突症であり、また幼少期の病気により鼻腔が閉塞気味でありました。多くの肖像画でも見られる通り、一見すると非常に下顎が突出してるように見え、常に口の開いた状態だったとされています。これが近親婚を経て、代々子孫へと色濃く受け継がれていくこととなります。

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近親婚の影響を受けた人々

カルロス2世

スペインハプスブルク家のあごと下唇

カール5世がスペインハプスブルク家の始まりだとすると、カルロス2世は同家における最後の皇帝です。ハプスブルク家では近親交配により、身体が脆弱に産まれる傾向がありました。また、子供は幼くして亡くなり、また王妃も度重なる出産により命を失うといった事態も多かったのです。

カルロス2世は、断絶間近の王家にとってまさに「希望の子」でありました。

しかし、

  • カルロス2世の容姿は妻が怯えるほど
  • また知性にも影響が出ており適切な判断が下せず
  • スペインとその近隣諸国を適切に支配することができなかった

といわれています。これは、16世代にわたる近親交配の結果 (因果)でありました。結局カルロス2世が子を残すことはなく、スペインハプスブルク家は彼の代で断絶することとなります。

マリーアントワネット

ハプスブルク家のあごと下唇 (マリー・アントワネット) (若き日 乗馬服のアントワネット 1771年、ヨセフ・クランツィンガー画)

そして、かの有名なマリー・アントワネットもハプスブルク家の出身です。1775年に、オーストリアの国母と慕われ女帝マリア・テレジアの末娘として生まれたアントワネットあまり知られていませんが、彼女にもハプスブルクの「顎と下唇」が受け継がれていたのです。

母マリア・テレジアが、娘を授かったときの言葉が残っています。

雪のように白く、真珠のように輝きのある肌に豊かな頰。

これは私のお母様に似たのね、この子にとってきっと宝物になるわ。

長い顎と突き出した下唇はハプスブルク家からの贈り物よ。

物事に不満を持たず、いつも微笑んでいる子に育てましょう。

そうすれば下唇が目立たずにすむわね

フランス革命により残酷な最期を迎えたアントワネットですが、フランスへ嫁いだ時、国民の大多数は平和の象徴として広く歓迎したといいます。そして滑らかな白い肌で、生き生きした瞳、鷲鼻は貴族的とされ「ハプスブルク家特徴の受け口もかわいいとされたそうです。

なぜ近親婚がタブーとされるのか

スペインハプスブルク家のあごと下唇(フベラスケス最後の肖像画は、フェリペ・プロスペロ皇子)

こちらはフェリペ・プロスペロ皇子、先ほど出てきたカルロス2世の兄です。 彼も近親婚の影響により身体が生まれつき弱く、わずか4歳でこの世を去りました。

そもそも近親婚が禁止されている理由は

  • 血が近いと同じ「劣等遺伝子」「欠損」を保持している可能性があり
  • それが強く子供に受け継がれる可能性がある

からです。劣等遺伝子が顕著に受け継がれた場合、よくも悪くも普通から外れる可能性が高いといいます。これが美形だったり優秀な能力を持っていたりすれば良いのですが、ハプスブルク家にみられる「下顎前突症」などわかりやすく表面化してしまう可能性もあるのです。

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ハプスブルク家の終焉

スペインハプスブルク家のあごと下唇

ハプスブルク帝国の公式終焉は1918年11月、帝国の崩壊はヨーロッパの自由の始まりであったとも言われています。カルロス2世については、解剖医が「彼は生まれた時から死に瀕していた」と見解を残しています(参考記事:カルロス2世が背負った呪い【スペインハプスブルク家の近親交配と没落】)

名門スペイン王室として、臣下や格下の諸侯との結婚などありえなかったのでしょう。透けるような白い肌、高貴な青い血を守るため、狭いなかで血族結婚を繰り返したハプスブルク家。しかし高貴な血を守ることは、健康な子孫を残すことより重要なことだったのでしょうか。

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あとがきにかえて

名声に権力に富、一度手に取ると、人間はどんな道でも走ってしまうのでしょうか

それがよくない結果を生み出すとわかっていても。国を背負って戦いながらも進まないといけない、それを次世代に渡さなければいけない、といったプレッシャーは計り知れないものです。

その中でも希望を託して生まれてきた子供達、身体も辛く、しんどいことも多かったのでありましょう。しかしどんな形であれ宮廷の宿命を全うした彼らは今頃、生まれ変わって平和な生活を送っていたらいいなあ、と思うのでありました。血族結婚についてはこちら(ラスメニーナスに描かれた王女、マルガリータ|血族結婚がもたらした悲劇)にまとめております。

ハプスブルク家シリーズはこちら

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