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【病気や先天異常をもたらした恐怖の政策】ベトナム戦争で使われた枯葉剤の真実

 
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歴史の中の人物像を徹底的に知りたがる世界史オタク。絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

戦争は終わっても、その苦しみは何世代にもわたって続くことが多々あります。たとえ便利な道具を開発したとしても、使い方を誤れば兵器にだってなり得るのです。今日はその顕著な例となった、ベトナム戦争時に空中散布され、その後も長く被害者を生み出し続けることになった枯葉剤についてふれていきたいとおもいます。

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枯葉剤とは

ベトナム戦争

枯葉剤は1940年代に開発された除草剤で、特に1950年代のアメリカで農業に広く用いられていました。オレンジ剤と呼ばれることもあり、とはいっても無色の液体で容器のドラム缶にオレンジ色の線が1本描かれていたことからその名がついたのでした。アメリカでは作物に散布されていましたが、使用に関してとくに問題があるものではありませんでした。

ベトナム戦争の初期、北ベトナムによるゲリラ活動組織、南ベトナム民族解放戦線の兵士たちは、うっそうとしたジャングルに潜っており上空からの追跡はほぼ不可能な状態にあったのです。

 

兵器としての使用

america

そんな中、ある妙案があがりました。

 生い茂る木々を枯らしてしまえば、敵も見つけやすくなるではないか

しかしその時はまだ、この除草剤が人間にとって極めて有害であることはわかっていませんでした。それが結果的に、想像以上の悲劇を生み出すことを誰も知らなかったのです。ベトナムのゲリラ兵だけでなく、一般市民やジャングルを徹底的に捜索するアメリカ人兵士、オーストリア人兵士までもが被害に遭いました。

法的責任をめぐって激しい議論が今でも繰り広げられていますが、除草剤投下の際に充分な安全確認をおこたり、怒りにまかせて戦争の進展に拍車をかけようとしたために惨事を招いたことについて疑う余地はありませんでした。汚染は今でも消えておらず、特にダナン周辺は多く、先天異常も多くみられます。

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薬剤の恐ろしい効用

研究

オレンジ剤は、植物の代謝を妨げ、これを枯らす2種類の化学物質を組み合わせたものでした。その一方には、テトラ黒ロジベンゾダイオキシンという高レベルのダイオキシンが含まれており、これは高用量では人間に対して極めて有害なうえ、食物連鎖に入り込んで先天性異常を引き起こす特性がありました。このダイオキシンの半減期は、土壌内では3年以内とされていますが、実際はもっと長いかもしれないといわれています。

2010年代においてもホーチミン市に近いビエンホアでは95パーセントの住民の血中ダイオキシン濃度が安全レベルの200倍にも達していました。オレンジ剤とその結果生じた被害の関連性を否定する試みもなされてきましたが、これほど高レベルの中毒の原因となるものは他にはみあたらないのでした。

 

直接作用ではなく、恐ろしいのは食物連鎖

関連性を示す確実な証拠をアメリカ政府はいまだに否定していますが、被害は現実に続いています。

散布そのものが中毒を起こしたのではなく、被害をもたらしたのは食物連鎖の作用であり、それが何世代にもわたって続いているのが実情です。今では控えめに見積もっても、15万人ものベトナムの子供達が、オレンジ剤の汚染による先天異常を抱えていると考えられます。

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森を枯らして、敵を炙りだす

letter

1961年4月12日、外務顧問ウォルト・W・ロストウは、9つの行動方針を勧めるメモをケネディ大統領へ送りました。メモには、軍用品研究開発チームをベトナムへ派遣して、当時使用可能または開発中であった “さまざまな技術機械装置”の有用性を調査すること” が含まれていました。航空機による彼は作戦は、これら効果が判明していない”技術”のひとつだったのです。5月までにはホワイトハウスから承認が降り、1961年8月に試用が開始されました。

1961年11月には国防長官マクナマラが使用許可を与え、パープル剤とピンク剤を含む、いわゆる “虹枯葉剤”の投下がほぼ即座に決まったのです。

虹枯葉剤

 

森林を徹底的に破壊した、ランチハンド作戦

動物実験

それでもオレンジ剤については1950年後半に軍事利用のテストが数回行われましたが、全面的な分析が動物に対して行われないうちに深刻な問題が表面化しはじめました。発ガン性があるとの結果がラットに現れはじめ、使用が縮小されたのです。トレイルダスト作戦の一部として行われたランチランド作戦では、オレンジ剤が軍事目的に利用され高い効果をあげました。

ランチハンド作戦

トレイルダスト作戦では道路や河辺の草木が一掃され、作物が破壊されました。1機の1回の飛行で100ガロン (3,780リットル)ものオレンジ剤をわずか4分足らずで投下することにより、1.4平方キロの森林を破壊することができました。放出できる量を増やすために3機が並んで飛行することもありました。

ベトナム戦争

しかしベトコンはこのような大規模な森林破壊をものともせず、必要な食糧を何の問題もなく入手し、ジャングルないにあまりにも巧みに潜り込みました。道端の草木が取り払われても姿をさらすようなへまをすることもありませんでした。それに引き換え、路上で作戦行動をとるアメリカ人兵士はいとも簡単に見つかり、格好の標的となったのでした。

 

使用再考の警鐘

 

1961年の当初の計画を手がけたランド研究所は1967年10月、2件の報告書を出して次の結論を述べました。

それは、この計画がベトコンによる米の消費にほとんど影響を及ぼさず、とくに深刻な食糧不足は起きなかったこと。作物破壊の標的となった地区の近隣住民が被害を受けたこと、南ベトナムの農民が政府から離反したこと、アメリカとその南ベトナム連合軍に対して強い敵意が呼び起こされたこと。この計画を農民たちは必要とも有益ともおもわなかったこと。何より、この計画はおそらくかなり逆効果であったということが示唆されていました。

しかしアメリカ統合参謀本部はこの報告書を却下し、散布を続行しました。ランチハンド作戦が終わったのは、1971年1月のことでした。作成開始から10年、散布が疑問視されるようになってから4が経っていました。実際この戦争が最も激しさをました1968年には除草剤の使用率があがっていたといいます。

 

被害者に対して

裁判

2005年、アメリカの連邦裁判所のジャック・ワインスタイン判事は、ベトナム人400万人が起こしたオレンジ剤のメーカーに対する集団訴訟を棄却しました。訴えられたメーカーの多くは1984年にアメリカの退役軍人と和解しており、1億8000万ベイドルを支払うことで決着がつきました。

ワインスタイン判事は、メーカーは化学物質の使用方法を管理できる立場にはなかったとし、法的責任はないと裁定しました。もともと植物を枯らす目的で除草剤を製造していたのであって、人間に苦痛を与える意図はなかったとして、企業に罪を犯す意思はなかったと判断したのです。確かに軍はオレンジ剤をメーカーの定める安全レベルの何倍もの濃度で使用していました。ヴェトナム人がアメリカ政府自体を告訴することはできませんが、その後、政府間レベルでは大幅な除染支援がおこなわれました。オレンジ剤が製造されたことがいけなかったのではなく、これを兵器として使用したことが最大の過ちだったといえるでしょう。

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あとがきにかえて

ベトちゃんドクちゃん

枯葉剤のことを知ったのは、小学生のとき、図書館で「ベトちゃんドクちゃん」の本を読んだときのことです。ベトナム戦争後、彼らはふたりは下半身がつながった結合双生児として産まれたのですが、それにはアメリカ軍が使った枯葉剤の影響だろうといわれています。1988年、ベトちゃんが急性脳症となったことを契機として分離手術がされました。

手術が日本で行われたこともあり、当時日本ではふたりのことが多く報道されていたそうです。

ベトちゃんドクちゃん

ベトナム人医師70人、日本人医師4人という医師団を編成しての17時間に及ぶ大手術は成功し、兄のベトちゃんには左足、弟のドクちゃんには右足がそれぞれ残されま。その後ベトちゃんは重い脳障害を抱え寝たきりの状態が続き、腎不全と肺炎の併発により26歳で亡くなってしまいました。ドクちゃんは義足を使いベトナムに暮らしながらも、時々来日をしては、現在も日本との交流を続けています。

その本には他にも後遺症に苦しむ人々の様子が写真つきで語られており、当時子供だった私は、とても衝撃を受けました。銃を乱射するわけでも焼き尽くすわけでもないのに、手早く森を枯らした代償にこんなにも多くの人々が苦しむことになるとは。自然はやはり人間の一部であり、それを破壊するという行為は、人間の暮らしを破壊するに等しいのかもしれません。歴史はかくして残酷なものですが、あったことを受け止め学び、後世に生かしていくこと私たちは求められているのではないでしょうか。

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