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【支配者チンギスカンとモンゴル帝国】知っておきたい5つのこと

 
Genghis Khan
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

こんな狂気めいた名言を残したのは、モンゴル帝国の初代皇帝チンギスカンです。チンギスカン (1162~1227年)は、征服した敵の妻や娘の多くを娶ったことで知られており、2003年の研究では、世界の人口の200人に1人、約3800万人が彼の子孫であることが明らかになりました

モンゴル帝国の創始者であり、歴史上最も恐ろしい人物の1人と言われるチンギスカン。彼が始めたモンゴル征服による死者数は、推定4000万人。割合でみると犠牲者はヒトラー、スターリン、毛沢東を合わせたものよりも4倍から6倍多かったといわれています。この記事では、そんな恐怖の支配者チンギスカンについて知っておきたい5つのことをご紹介します。

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モンゴル帝国の初代皇帝、チンギス・カン

① チンギス・カンは、過酷な環境で生まれ育った

Genghis Khan

ジンギスカンと彼のモンゴル人は、東の満州から西のハンガリーとクロアチアに広がる平野地域、ユーラシア大草原で生まれ育ちまし灼熱の夏と極度の冬の過酷な土地である平原の救いの恵みは、その豊富な草原であり、それにより家畜の大群が育てられていました

その結果、この地域には何千年もの間、放牧地から牧草地へと群れをなして移動する遊牧民族が住むことになったのです。遊牧民は草原周辺の定住地で隣人と取引をすることが多かったのですが、場合に応じて彼らを襲撃することもありました。

 

② モンゴル人は、遊牧民のなかでもとくに凶暴だった

Genghis Khan

チンギスカンとモンゴル人の暴力は、以前から草原に暮らす遊牧民にもみられるものでした。何千年もの間、この地域の遊牧民は頻繁に故郷の広大な土地に乗り込み、襲撃、略奪といった方法をとり、周辺のより文明的で繁栄した土地を恐怖に陥れていました。

遊牧民が強力なリーダーのもとで一致団結した場合、それは、襲撃からさらに酷いものになることもしばしばありました。チンギスカンがそうであったように、それは帝国を消滅させることができるくらい、壊滅的な侵略をする力があったのです。

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③ 遊牧民は戦闘において、圧倒的に優位だった

Genghis Khan

他の遊牧民と同様、モンゴル人は定住している近隣諸国に対して、優位に立つことができました。その中でも、遊牧民は馬とともに育ち、移動手段としても馬を利用していました。移動生活に慣れていた遊牧民は、特定の場所に縛られることも、また一定の場所を防衛する必要もありませんでした。

遊牧民はある村を襲撃したあと戦利品を持って馬に乗り、さっさと逃亡することができたのです。もし追手がかかったとしても、大草原は彼らが知り尽くしておりましたので、遊牧民はいつ、どこで、戦うべきかを選択することができました。戦闘するにあたって、圧倒的に優位な立場にあったのです。

 

④ 最大限の、戦士を確保できた

Genghis Khan

モンゴル人と大草原の親族が享受したもう1つのメリットは、一見不利に見える「大草原に住む」という点からうまれました過酷な生活のなかで人々は馬に乗って過ごし、頑丈な戦士たちが多く育っていったのです。開拓された地では、大多数が定住地の作業におわれ戦闘に人をさくことはできませんでした。

遊牧民には畑がなく、生産物もほとんどありませんでしたが、彼らの食料源である動物の群れや群れは、子どもや女性が世話をすることができました。そのため、戦闘年齢にある成人男性のほぼ全員が戦士になることができたのです。頑丈な男性たちの頭数が揃うというのは、原始的な戦いが求められた12世紀にはとても重要なことでした。

 

⑤ 手ごわいカリスマ指導者になったチンギス・カン

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チンギスカン (別名:テムジン) は、タフですがカリスマ性のある男に成長し、若い頃から熱心なファンを集めていました。彼には部族政治の本能があり、着実に成長してきた信奉者たちを上手に配置して、さまざまなモンゴル族を次々と支配下に置き、部族全体を統率したのです。

テムジンはその後、部族間の隔たりをなくすための抜本的な改革を実施しました。彼はモンゴル人の苛酷な部族貴族を絶滅させるという、極端ではあるが効果的な方法でそれを成し遂げ、庶民を個人的な忠誠心に縛られた一つの部族にまとめあげたのです。

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さいごに

Genghis Khan

チンギスカンの軍は時代より何世紀も先をいき、現代にならないと見られない特徴を備えていました。もっとも近代的に近いといわれるモンゴルの軍事的特徴の一つは、柔軟性と兵士や将校が命令を実行する際に余裕があったことでした。チンギスカンの指揮系統はとても優れており、彼が目指す全体的の方向と、司令官のビジョンや目標を効果的に伝えることができたのです。モンゴル人の部下は細かく管理されておらず、全体の計画を迅速かつ効果的に実行する限り、率先して行動することが奨励されました。

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モンゴル帝国の崩壊後、その特質は何世紀にもわたって失われ、19世紀にヘルムートフォンモルトケがそれを再導入してプロイセンおよびドイツ軍がその特徴を確立するまで思い起こされることはありませんでした。騎馬を用いて、広い大草原のなかで屈強な男性が率先して行動を起こしていく。一見不利とみられる地形や環境であっても、使い方次第で「有利な武器」と変わるのですね。悪名高いチンギスカンですが、味方にとってこれほど強い武将はいなかったのかもしれません。

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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