『海賊』ときくと某アニメのイメージがありますが、従来海賊はとても悪名だかいものでありました。概して海賊は野蛮なものであり、その終わりも病気や死刑など残酷なものであったからです。それでもなんだか憧れる『カリブの海賊』、以下では、歴史上実在した海賊船長『モンバールス』についてのエピソードをご紹介します。
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カリブで大暴れ、海賊船長モンバールス
スペイン人の絶滅を望んだ、ダニエル・モンバールス
17世紀のフランスの海賊、ダニエル・モンバールス(1645年- 1707年に姿を消した)は、エクスターミネーターの異名を持ちました。日本語訳にすると、皆殺しという意味ですね。この時代に最も恐れられた海賊の1人であり、スペイン人を殺すときに見せる狂気や興奮から『殺し屋』として知られるようになりました。
『フランス海軍』から、海賊の道へ
元々裕福な家庭に生まれたモンバールスは、フランスで紳士になるための教育を受けました。幼少期に学んだなかで、植民地支配の残酷につき違和感を覚えており、スペインへの憎しみがふくらんでいたモンバールス。1667年、彼は伯父とフランス海軍にはいり、カリブ海へ同行しました。
そこではモンバールスの船が、スペイン軍との戦闘で沈没して叔父は戦死。反スペイン感情が急激に高まった彼は、『国を守る海軍』ではなく、『スペイン人を絶滅させる海賊』に生まれ変わったのでした。
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取りたいのは宝より、スペイン人の命
叔父が戦死したあとモンバールスはフランス海軍を離れ、ハイチ沖のトルトゥーガ島にある海賊の巣に向かいました。海軍将校としての知識と敵であるスペインに対する激しい憎しみを持つ彼を、海賊たちは両腕を広げて歓迎しました。そしてまもなく彼は自分の船をもち、海賊船の船長になったのです。彼は最初の航海から手腕を発揮し、名をあげました。こんなエピソードが言い伝えられています。
モンバールスは敵の甲板へと進んでいき、そこで彼はためらわずに人を殺した。彼にとっては “船にある宝物” を得ることより、スペイン人を何人殺すかにのほうが大切だったようにみえた。スペイン人に対して、彼はふかい憎悪をもっていたが、彼は生涯その憎悪を維持し続けた
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カリブ海で大暴れ、スペイン人入植者を次々襲撃
カリブ海、メキシコ湾、そしてフロリダからベネズエラまでの海岸沿いまで、モンバールスはスペイン領を中心に海賊として暴れまわりました。彼はキューバ、プエルトリコ、メキシコの『スペイン人入植地』を襲撃、ベネズエラの海岸で、彼はマリカイボ、サンペドロ、ポルトカバロ、ジブラルタルなどの町、数々の集落や砦の中で解体して焼き払いました。
彼が心から憎み攻撃したのはその地に住む人を痛めつける『入植者』でありましたが、街が焼かれていくのをみて住民は嬉しかったのか、それとも開放された気分になったのか、ただこの絵から『平穏』や『平和』といった安らぎが感じられることはありません。
富を得ても、取りに戻ることはなかった
この大暴れから、モンバールスは『スペイン人を絶滅に導く殺し屋』として知られるようになりました。彼はひたすら捕らえたスペイン兵を拷問しました。それはとても悪名高いもので、拷問の中には、被害者の腹部を開き、腸を引き抜いてそれを釘で打ち付け、その後被害者に「燃える丸太で彼の背中をたたいて死ぬまで踊る」を強いたこともあったそう… 。
彼は仲間たちと富を集めては貯めて、テキサス州グランドサリーン近くに埋めた、と伝えられています。しかしモンバールスがこの地に戻ってくることはありませんでした。彼は1707年に姿を消しました、おそらく大荒れの海のなかへ消えた、といわれています。
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まとめ
『カリブの海賊』というと、夢や富を求めて海へ乗り出すといったイメージもありますが、モンバールスの場合は『先住民を痛めつけるスペイン入植者への恨み』を動機とする殺戮でありました。しかし今回ご紹介した海賊船長モンバールスの場合は、優等生が『正義感』から悪に走るという、わかりやすいパターンといいますか。
実際の『カリブの海賊』はどうだったかというと、『引退するのに十分な宝物を手に入れた海賊はほとんどいない』といわれています。そうした数少ない幸運な海賊も、海賊行為をやめるまで長生きができた人は奇跡に近く。ほとんどの人々は海賊行為に及んでいる間に、略奪品で得たお金を、酒や女につぎやしたりとなかなか破天荒な人生を送ることになりました。海賊もなかなか大変といいますか、リスキーな職業だったのかもしれませんね….
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