EVER UPWARD. WE CAN DO IT.

【ロシアの祈祷師】怪僧と呼ばれたグリゴリー・ラスプーチン

2020/07/07
 
Rasputin
この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

ロマノフ王朝に深く取り入ったという怪僧ラスプーチン。その興味深い風貌と不気味な逸話から、数々の小説や映画、アニメなどにも使われてきました。今日は神の如き男といわれニコライ2世とアレクサンドラ皇后にとりいったラスプーチンについてみていきたいとおもいます。

スポンサーリンク

怪僧ラスプーチン

ニコライ皇帝夫妻の不安につけいり、政治に関与

Alexei Nikolaevich, Tsarevich of Russia (皇帝夫妻と息子アレクセイ)

ラスプーチンは1916年に暗殺されて以来、『ロマノフ王朝を滅亡へと導いた男』として描かれてきました。彼は自らを聖者であると宣言し、ロマノフ家に取り入りますというのもニコライ2世と皇后アレクサンドラは大きな悩みを抱えていたのです。2人の間にうまれたアレクセイは、唯一の後継者候補であり断絶間近のロマノフ王朝にとっての希望でした。しかし皇太子は深刻な血友病をわずらっていたのです。

母方の遺伝子に由来しているもので、医師は手が付けられず、唯一皇太子の痛みをやわらげたのがラスプーチンの祈祷でした。藁にもすがる想いだった皇后。いつしか皇后アレクサンドラだけでなく皇帝ニコライ2世までもがラスプーチンを心の支えとし次第に彼に政治的な助言をも求めていくようになりました。

 

陰気臭い祈祷師に、廷臣と国民から不満の声

グリゴリー・ラスプーチン (グリゴリー・ラスプーチン)

しかしラスプーチンの存在に疑問を投げかける声も多々ありました。第一次世界大戦中、ニコライ2世が自ら軍隊を監督するためにサンクトペテルブルクを離れる際、ラスプーチンは皇后とともにアレクセイのそばにとどまりました。「皇帝夫妻は、あの男に操られているんじゃないかツァーリがいないのにのさばるラスプーチンに廷臣からも、国民からも不満の声があがります

グリゴリー・ラスプーチン (出回った風刺画)

1914年には、農民の女性がグリゴリ・ラスプーチンの殺害を試みます。彼はを刺され彼は重傷を負いましたが、そこで死ぬことはありませんでした

スポンサーリンク

ラスプーチンの暗殺計画

ユスポフ公のラスプーチン暗殺計画

ラスプーチンとロマノフ王朝(参考:【ロマノフ王朝とラスプーチン】コナンと追う恐怖のロシア史 )

「皇帝があの男を追放しないなら自らで…」皇帝の親戚にあたるユスポフ公を中心とする貴族たちは、ラスプーチンの暗殺を決めました。決行は1916年12月30日、ユスポフ公は真夜中過ぎにラスプーチンを自宅に招いて地下室に案内しました。そこでラスプーチンに青酸カリを混ぜたケーキとワインが出しますが猛毒も効かず彼は平気で食べ続けたといいます。

 

撃たれて死んだと思いきや、起き上がり

ラスプーチンとロマノフ王朝(参考:【ロマノフ王朝とラスプーチン】コナンと追う恐怖のロシア史 )

青酸カリが効かないことに気づいたユスポフ公はラスプーチンの胸を撃ちました。殺人計画を隠蔽するために少し離れて戻ったや先….. さすがに死んでいるだろうと思いきや、血だらけのラスプーチンがユスポフ公を襲いました。追いかけてくるラスプーチンを振り切り、ユスポフ公は何とか逃げ出しました。

この陰謀に加わっていた貴族が再びラスプーチンを銃で打ちユスポフ公を救いました。あまりのしぶとさに再び起き上がるのを恐れて、彼らはラスプーチンの遺体を包み近くの凍った川に投げ捨てました

river

さすがに、川から引き上げられたラスプーチンは息をしていなかったそうです。ちなみに死因は溺死であるといった説もあり、川に投げいれられた時点で彼はまだ生きていた可能性もある、といわれています。

スポンサーリンク

あとがきにかえて

ラスプーチンとロマノフ王朝

遺体は後にアレクサンドラ皇后の声により回収され埋葬されたのですが、2月革命後に再び掘り出されました。祈祷師・神秘主義者のラスプーチンは曰く付きでしたので念のためにと遺体は燃やされることになったのです。そして遺体が燃やされた時、ラスプーチンは炎の中で起き上がったそうです。やはりまだ生きていたのかと人々は恐れ慄きました。

ロマノフ王朝 皇帝一家とラスプーチン

ただこれは腱が切られずに加熱すると縮んでしまう自然な現象で、川から引き上げられた彼は明らかに遺体となっていたそうです。ロマノフ王朝との奇妙な関係、その風貌とおどろおどろしい逸話の数々から、人々のラスプーチンへの興味は尽きることがありません。彼とロマノフ王朝の関係についてはこちらの記事 (【ロマノフ王朝とラスプーチン】コナンと追う恐怖のロシア史) にまとめております。

この記事についてオススメの記事

スポンサーリンク

この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です