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【コナン 世紀末の魔術師】ロマノフ王朝と怪僧ラスプーチン

2019/06/17
 
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち、英会話スクールの公式カウンセラーを併任。

 

劇場版シリーズのなかでも人気を博する「名探偵コナン世紀末の魔術師」。怪盗キッドが狙う「ロマノフ王朝の秘宝 インペリアル・イースター・エッグ」を中心に、ロシアの歴史と実在する人物を巧みに登場させ、秘宝に秘められた謎を解いていく歴史を絡めた謎解きミステリーで、大人も充分に楽しめるお話しになっています。

ご覧になった方は、現実にロシア革命で処刑されたロマノフ王朝の悲しい歴史、滅亡に導いた男と称されるラスプーチンは一体なにをしたのか、気になった方もおられるのではないでしょうか。この記事では、コナンに登場した部分を中心に、実際の歴史を紐解いていきます。

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コナンに出てくるロマノフ王朝と、人間関係の設定をおさらい

(画像出典元:Hulu 劇場版名探偵コナン 世紀末の魔術師視聴ページ https://www.happyon.jp/conan-movie-1999)

この映画のキーパーソンは、ロマノフ王朝の秘宝インペリアル・イースター・エッグの所有者であった香坂 夏美(こうさかなつみ)容姿端麗な美女で、日本では珍しく灰色の瞳をしています。その理由は曽祖母にありました。香坂夏美の曾祖父にあたる香坂喜市(こうさかきいち)は、現地でロシア人の女性と結婚していたのです。

曾祖父は、『世紀末の魔術師』という異名をもつほどのからくり好き。彼が遺した城にはロシア王朝の秘密がかくされており、そのひとつが誰もが知らなかった「ロシア人の曽祖母」のことでした。この曽祖母こそがロマノフ王朝の末裔、一家は惨殺されとされていたのですが、ニコライ2世の3女マリアは生きていたのです。

日本に渡りマリア病気で亡くなったあとも、ロシア革命からマリアを守るため、曾祖父は日本にて彼女を埋葬します。インペリアル・イースター・エッグは「いつかその事実(マリアの存在)に気づいて欲しい」と曽祖父が彼女ら子孫に宛てて、残したものだった。ちなみにエッグを狙い、怪盗キッドにまで銃を向けた犯人スコーピオンは意外なひとで、ラスプーチンの末裔だったというオチつき。ネタバレになるので、気になる方は本編をご覧くださいね。

※上記は、コナン劇場版上の設定です

 

怪僧ラスプーチンとは

ラスプーチンは、実際の人物です。シベリアの一地方から都に出て来たラスプーチンは、奇怪な逸話に彩られた生涯からか、コナン以外でも映画や小説に悪役として登場します。無教養で字もろくに書けなかったと言われていますが、30歳には苦行僧になり、未来を予知したり、多くの病人を治したりと「神のごとく、不思議な力を持つ者」として、上流階級の人々からも注目を浴びていました。

ラスプーチンの名前は、英語では、”Grigorii Efimovich Rasputin”、ロシア語では”Григорий Ефимович Распутин “と表記されます。コナンが青蘭さんの部屋で見たのはロシア語のサイン、お城で見たのは英語のサイン、同一人物だとすぐに見抜けなかったのはこの違いのせいでした。

 

ロマノフ王朝滅亡の一因となったのも事実だった

(ラスプーチンと信者の女性たち 1914年)

ロマノフ王朝は約300年ロシアに君臨、歴史上最後の王朝で、こちらも実話です。ロシア皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ女王は、王朝断絶の原因となりうるお世継ぎ問題に悩みますが、ついに待望の男の子が誕生。待ち焦がれた皇太子アレクセイの誕生はロマノフ王朝再生のまさに希望でした。

仲睦まじい夫婦でしたが、2人には辛く重い悩みがありました。希望である皇太子は当時治療法がない血友病(血液を固めることがむずかしい病気)を患っていたのです。そんな精神的に不安な2人の前に現れたのが、「神のごときひと」と言われたグレゴリーラスプーチンだったのです。

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乾が執務室で言った「ラスプーチンは皇帝一家と親しかった」は、本当か

(アレクサンドラ、アレクセイ、四皇女(オリガ、タチアナ、マリア、アナスタシア)とラスプーチン1908年)

皇太子が元気に成長するにつれ、血友病の症状にやきもきする皇帝夫妻匙を投げる医師を差し置き、ラスプーチンはまじないで治療をおこなったといいます。プラシーボ効果だったのか、はたまた催眠術では、様々な仮説がありますが、どれも定かではなく、ただだれもが懐疑的だったものの、翌日には皇太子の発作がおさまり症状は改善したといいます。不安を抱えた皇帝夫妻には、彼が神様のように思えたことでしょう。

 

ラスプーチンの起こした奇跡

(ラスプーチン 1910年)

頻繁に家族旅行へいっていたというニコライ家。あるとき皇太子アレクセイは、大腿部に大きな怪我をします。激痛に苦しみ、出血が止まらず、医師からも絶望的だと思われたその時、遠くシベリアにいたラスプーチンに皇后は電報を打ちます。ラスプーチンはすぐに、

「‘God has seen your tears. Do not grieve. The Little One will not die.

(アレクセイは死なない、神は其方達の願いを受け入れるだろう)」

と電報を返したといいます。電報が届いたその日に出血が止まり、まさに奇跡と思われるその状況に、皇后アレクサンドラは更にラスプーチンに心酔するようになります。アレクサンドラ皇后の影響で、ニコライ2世もラスプーチンに政治的助言を求めるようになっていくのです。

 

ラスプーチンの政治関与に、宮廷や民衆の批判の声が

(皇帝夫妻をラスプーチンの傀儡として描いた反皇帝派のポスター)

宮廷人や貴族から熱烈な信仰を集めるようになったラスプーチンは、乱れた生活を送っていたと噂され、ロシア皇帝は彼に操られているといった風刺画まで出回るようになりました。しかし、皇帝夫婦の信頼は途切れることなく、誰もラスプーチンをよそにやることをできませんでした。

ラスプーチンはそれほどまでに、皇帝夫婦の心を掴んでいたのです。皇太后とマリアとソリがあわなかったアククサンドラ皇后の精神的苦痛を緩和したのもラスプーチンだったので、皇后もすがるような思いだったのでしょう。

 

ユスポフ公による、ラスプーチンの暗殺

(フェリックス・ユスポフ 1914年)

皇帝にいっても事態は変わらない、ならいっそこの手で。暗殺計画がなんども浮上し、最終的にはニコライの従弟ドミトリー、ニコライの姪の夫であるユスポフ公爵が手を下します

191612月後半、ユスポフ公の自宅へ招かれたラスプーチン。真実か否か、お菓子や、酒には毒が盛られていたそうですが、本人は平気で食べ続けたといいます。死なないラスプーチンに業を煮やし、至近距離から2発を撃ち銃弾は貫通、それでも起き上がるラスプーチン。怖くなったユスポフ公達は最終的には動かなくなるまで暴力をふるい、袋のなかにいれて、凍ったネヴァ川へ投げ捨てたそうです。

発見された遺体の肺には水がたまっていたため、川へ放られた時も彼は生きていたと考えられています。こういった逸脱した話しが、「怪僧ラスプーチン」と呼ばれ、いまも幾多の小説に取り上げられる所以なのかもしれません。(参考:ユスポフの回顧録)

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ラスプーチンの遺言と、予言通りの帝政崩壊

こちらが1913年に撮られたとされるニコライ2世、暗殺の事実を知った皇帝夫妻は嘆き悲しみます。そしてラスプーチンは暗殺されることを悟ったのかある言葉をのこしていました。

「ロシアの皇帝よ、知るがよい。わたしに死をもたらした者がそなたの親戚であるならそなたの家族は2年と生きられないことを。ロシアの民に殺されるのだ。」

暗殺したのは、親戚であるユスポフ公爵でした。そしてロマノフ王朝は、ラスプーチンの死後わずか2ヶ月半で終わりを告げます。貧富の差、先制主義への不満。日露戦争の敗北や、ロマノフ家に対する批判は高まっていき、王家と民衆の間には大きな確執がうまれていました。それどころか、得体のしれない者(ラスプーチン)に盲信する皇帝達にたいして、家臣も不満をもち、宮廷内の分裂も修復不能な状態であったといいます。

 

そして、ロマノフ家は銃殺された

(引用元:RUSSIA BEYOND Designer: Klimbim https://jp.rbth.com/multimedia/pictures/2016/05/23/596495 )

ニコライと妻アレクサンドラ、美しい4人の娘たち、息子のアレクセイは、抑留されて、エカテリンブルクの商人イパーチェフ邸に幽閉されますが、最終的に地下室で一家は抹殺されます。

コナンの中では、一家惨殺の前に香坂喜市に助けられ、日本へ亡命したとされるマリアですがそれは物語上の設定のようです。事実は残酷にも一家全員が殺害されており、ボルシェビキ時代、この事実は徹底的に隠され、歴史が明るみになったのはソヴィエト連邦が崩壊し新生ロシアとなってからでした。

 

ニコライ2世の3女マリアの写真

1914年頃の家族写真で、左より、オリガ、マリヤ、ニコライ2世、アレクサンドラ、あナスターシャ、アレクセイ、タチヤーナ。マリヤは左から二番目の人物で、その右側にいらっしゃるのがアレクサンドラ皇后ですね。コナンのなかで出てくるお城が、ロシア風ではなくドイツ風だった理由。それはマリアの母である彼女アレクサンドラ皇后がドイツ系だったからでしたね。

 

あとがきにかえて

こちらの記事ではコナンに出てきた情報を元に、「実在したロマノフ王朝とラスプーチンの関係、本編を見て気になった謎について」ふれてみました。民衆の生活は貧しく王家と一部の貴族のみが贅沢をできた、色々な不満が積み重なって起きたロシア革命。ちなみにコナンが公開されたのは1999それから9年後2008年、ロシア最高裁判所にて「ロマノフ家は根拠なしに迫害された、ボリシェビキの弾圧の犠牲者であった」として名誉回復の裁定が下されたそうです。コナンの面白いところは、ただのミステリーではなく現実世界を織り交ぜて、そこに新たな結末を作り上げているところですね。

余談ですが、ニコライ2世、またその父であるアレクサンドル3世は家族を大切にする方だったそうです。воспоминание(日本語で思い出)」とつけられた、インペリアル・イースター・エッグは家族を大切にした皇帝の優しさを示しているのかもしれません。

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち、英会話スクールの公式カウンセラーを併任。

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