EVER UPWARD. WE CAN DO IT.

【歴史を知る】莫大な持参金をもって嫁いだプリンセスBEST5

 
王族の結婚と持参金
この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

歴史をみても、多くの王族は結婚にあたり多額のお金を使ってきました彼らは常に最高のものを求め、手に入れてきました。そして花嫁が輿入れするときには、豪華な持参金が伴ったのです。さて、プリンセスたちは一体どんな持参金をもって嫁いだのか。この記事では、ちょっと変わった持参金をもって嫁いだプリンセス5人をご紹介します。

スポンサーリンク

これを持参金にするのか、びっくり5パターン

① フランスの半分を持参した、アリエノール・ダキテーヌ

アリエノール・ダキテーヌ

当時のフランス王室カペー朝は王権が不安定であり、王領のみ直接支配できる状況でありました。に限られていましたそれに対しアリエノールの出身 アキテーヌ公家は広大な領地に加え多数の有力貴族を臣従させていました。彼女の後見人となったルイ6世は、自分の息子ルイ王太子 (ルイ7世) とアキテーヌを結婚させ、王権を強固にすることを考えました。

ヘンリー2世

婚姻によりフランスの半分はルイ7世のものになったのですが、南仏アキテーヌの女領主として育った陽気なアリエノールと、修道院育ちであり生真面目で信仰心の篤いルイは性格が合わず、彼女は「王だと思ったら、僧侶だった」と皮肉な言葉を残して離婚ランスの半分はアリエノールのもとへ返されました。

そして彼女はノルマンディー公ヘンリー・プランタジネット (イングランド王) と再婚します。今度はヘンリーが彼女のもつフランスの半分を相続したのですが、この結婚も長続きはせず、彼女がヘンリーの元を去った時、またもやフランスの半分はアリエノールのもとへ返ったのでした。(一番大変だったのは、その地にいる住民だったのかも…)

スポンサーリンク

② 紀元前、動物と奴隷を平和条約として持参した外国の王女

ラムセス2世

持参金は何世紀にもわたって続けられてきた文化です。実際古代エジプトでも、持参金は嫁ぐ際の重要な慣例でありました。ただ19世紀と古代エジプトの持参金の最も大きな違いといえば王が抱えていた妻の数でしょう。ラムセス2世は典型的なエジプトのファラオで、何人かの妻がいました

彼女の名前は明かされていませんが、ラムセス2世の妻のひとりが持参金として『ヤギ、馬、奴隷』を連れてきたことがわかっています。この持参金は、当時エジプトと彼女の国との平和条約の役割も果たしていたそうです。

 

③ 莫大な持参金目当てに、兄弟ともに結婚させたイングランド王

アーサー・チューダー

アラゴンのキャサリン妃は、ヘンリー8世の最初の王妃としてよく知られています。しかし、彼女はヘンリー王と結婚する前に、彼女は兄のアーサー・チューダー王子と結婚していたのです。2人は1501年に豪華な結婚式を挙げました。彼女は裕福な家庭の出身で、いつも『贅沢な生活』を送りたいと思っていました。そして持参金として、いくつかの宝石とともに、キャサリンは20万個のエスクード (当時のポルトガル通貨) を持ってきたのです。これはイギリス政府が1年で作り出すより多い金額だったといいます。

ヘンリー8世

残念ながら、アーサーは15歳にして早逝。花嫁を手放すのは、すなわち持参金をも返却すること。父ヘンリー7世は、「この持参金を手放すまい」としてキャサリンと弟のヘンリー8世を結婚させたのでした。これが今日どれだけのお金になるかはわかりませんが、贅沢するには充分すぎるお金でありました。

スポンサーリンク

④ イングランドに大きな繁栄をもたらす「貿易権」を持参

キャサリン・オブ・ブラガンザ

伝統的な持参金が何を含んでいたかは常に人々を驚かせるようです。ポルトガル国王ジョアン4世の娘、ブラガンザのキャサリンが持参したなかに含まれていたのは『国際貿易権』。ポルトガルのプリンセスキャサリンが、イングランドとスコットランドのチャールズ2世と結婚したとき、彼女はイングランドが世界中のポルトガルの植民地と取引することを許可しました。

この取引により、イングランドは以前にはほとんどなかった品々を受け取ることができ、国の経済を向上させるのに役立ちました。キャサリンがイングランドに紹介したもののなかには、オレンジとフォークが含まれていたそうです。

 

⑤ まさかの実兄から『持参金』の返還要求

メアリー・テューダー

持参金は、結婚するカップルへの贈り物と見なされていました。昔の法律では、『女性は夫の所有物』と規定されていたため、新婦の父親が新郎に持参金を渡すことが多かったのです。もちろんこれはケースバイケースで、結婚後に『持参金』のほうが追いかけていく場合もありました。

ヘンリー8世の妹、メアリー・チューダーはいちどはフランス国王ルイ12世と結婚しましたが、結局別れて恋人であったチャールズ・ブランドンと再婚することを決めます。もちろん兄ヘンリー8世 (暴君としてもしられる) は大激怒メアリーに『最初の結婚で発生した持参金と利息』を返済するよう請求書を送りつけました

メアリー・テューダー

もともと兄へ結婚の許可を求めなかったことが災いとなったのですが、再婚を知ったヘンリー8世から、夫婦に24,000ポンド (現在1161万ポンド、日本円で約15億円) の支払いを要求を受けたメアリー夫婦結婚生活を続けるために、2人は毎年1,000ポンドずつ分割払いすることに同意したのでした。(ヘンリー8世は6人も妻を取っ替え引っ替えしたのに、身内にはとことん厳しい男…..)

スポンサーリンク

あとがきにかえて

キャサリン・オブ・ブラガンザ

忘れ去られた王妃、とも呼ばれるブラガンザのキャサリン彼女はイングランド王、スコットランド王を兼ねたチャールズ2世と結婚した時に大きく国に貢献しましたが、そこまで名が知られていないことから「忘れ去られた王妃」としても知られています彼女はイングランドと、スコットランドに新しい品をもたらしただけではなく、50万ドル以上の貿易商品を持ち込みました

キャサリン・オブ・ブラガンザ

また、タンジール、ムンバイ、モロッコなどの主要な港もキャサリン妃の持参金に含まれていたのです。残念ながらキャサリンには子供がおらず、その血が受け継がれることはなかったわけですが、イングランドの繁栄には彼女の影響があるといわれています。『持参金』というのは、お金だけではなくこういった権利や品物が他国へ渡ることから、伝統的に文化の発展に必然とつながってきたのかもしれません。

この記事を読んだ人へおすすめの記事

参考文献

  • History Collection
  • These Lavish Dowries In History are Obscene
この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です