映画では語られなかった【タイタニックの悲しく皮肉な逸話5つ】

世紀の大事件

1912年4月14日深夜、北大西洋上で氷山に接触、翌日未明にかけて沈没したタイタニック。亡くなった人は1500人をこえ、戦時中に沈没した船舶を除くと20世紀最大の海難事故です。そして映画タイタニックを経て、日本でも多くの人がその名を知ることとなりました。この記事では、映画タイタニックでは語られなかった、あまり知られていない5つのことをご紹介します。

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超過酷だったボイラー室

タイタニック号は灯りを燈し続けるために、アメリカのいくつかの都市より大きな発電所が必要でした。タイタニック号はとてつもなく石炭を必要としたのです。巨大な船には4気筒エンジンが3基搭載され、それぞれがプロペラを駆動していました。そして維持するために、約200人の火夫チームが、炉に600トンもの石炭をシャベルですくい上げるという地獄のような状況での作業を強いられました。

Titanic

船のプロペラを動かすために、100トンの灰を船外へ掘り出さなければなりませんでした。タイタニック号には、当時の平均的な米国の発電所よりも多くの電力を生産することができる、独自の発電機能も搭載されていました。当然のことながら、ボイラー室で働いた男性たちは、他の殆どの乗組員よりも給料が高かったそうです。

万もの卵と数千本のワインが積み込まれた

4万個もの卵と数千本のワインボトルが、タイタニック号に積み込まれました。乗組員と乗客に新鮮でおいしい食事を提供するのが、シェフとキッチンアシスタントで構成された巨大なチームの仕事であり、それは公海上で最大の食料庫でもありました。

公式的な記録によると、サウザンプトンでは、4万個の新鮮な卵と大量の肉、チーズ、その他必要なものが船に積載されました。タイタニックでは、乗客と乗員あわせて1日に14,000ガロン (約63, 645リットル) の飲料水が消費されました。さらにファーストクラスの乗客のために、セラーにはワインとシャンパンが12,000本も積まれていたそうです。

 

「不沈船」 と宣伝されたことはなかった

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たとえ多くの人が「沈まない」と信じていたとしても、タイタニック号が「不沈船」だと宣伝されたことはありませんでした今となっては奇妙なことですが20世紀の初めには「鋼鉄で覆われた船は沈むことができない」 と広く信じられていたのです。タイタニック号の建造者であるハーランド・アンド・ウルフ (イギリスの重工業メーカー)は、「タイタニック号が沈没しないと約束できない」といつも主張していました。運営会社であるホワイト・スター・ライン社も、この言葉をマーケティングに使ったことはありませんでした。

皮肉なことに「タイタニック号は沈まない」 という発言の確認例は、氷山に衝突した後のことでありました。この事件について知らされたとき、ホワイトスターラインのフランクリン副社長はこういったのです。「タイタニック号には絶対的な信頼を置いており、私たちはあの船が沈まないと信じています」と。

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中止となった救命艇訓練

実は救命ボートの訓練は災害の朝に予定されていたのですが、スミス船長の判断によりキャンセルされていたことがわかっています。何事にもIf…はないにしても、この沈没事故の悲劇には「もしも…」 がたくさんありました。そしてそれは、船が沈んだ当日4月14日の朝に、救命ボートの訓練が予定されていたという事実に他なりません。

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なぜ訓練が土壇場で、中止となったのかは謎のままです当日は日曜でしたので、乗客が礼拝に参加できるようにスミス船長の判断でキャンセルしたという説もあります。彼が古風でかなり厳格なキリスト教徒であったことを考えると、これは事実であったのかもしれません。どちらにしても氷山に激突して、船が沈むとわかったときでも、ほとんどの乗組員はタイタニック号の救命ボートの操作方法を知らなかったことには変わりないのでした。

キャプテンに引退する気はなかった

タイタニック号の船長をつとめたエドワード・スミスは、タイタニック号の初航海に適した人物でした。彼は熟練した非常に経験豊富なのは、誰の目にも明らかだったからです。彼は1850年に生まれ、名誉あるホワイトスターライン社に加わる前に、イギリス海軍、次にイギリス商人海軍に昇進していました。スミスはタイタニック号の船長という誉高い役割を与えられる前に9年間マジェスティック号の船長を務めた同社ではベテランの位置にいたのです。

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スミスはタイタニック号の最初の航海後に引退することを誓っていたという説が多々あります。しかしこれは真実ではなく「タイタニック号を最後に引退する」と発言したことはなかったようです。ただ「ホワイトスター社がより大きくより速い船をつくったのであれば引退する予定だ」とは、口にしていたようです。

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さいごに

タイタニックの沈没について有名な都市伝説の一つに「その悲劇は10年以上前に予言されていた」というものがあります。なかでも有名なのは、モーガン・ロバートソンというアメリカ人作家が1898年に書いた中編小説 『Futility』 です。これは、タイタンという船が大西洋を横断中に氷山にぶつかったという物語で、また救命ボートの不足で大勢の乗客が死亡する様子も描かれています。

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これは不気味な予言である、という人もいますが、実際にロバートソンは1912年に再出版する前に一部を手直ししている (タイタニックが沈没したのは1912年4月15日)― のに加えて、タイタニアと呼ばれる呼ばれる3隻の船が19世紀に海上で行方不明になっているため、小説に出てくる船の名前「タイタン」と「タイタニック」結びつけるのは若干無理やり感が否めないところもあります。

それにしても「夢の船」と呼ばれたタイタニックの沈没事故。救命ボートを人数分積載して訓練もして、氷山警告をまともにきいていれば防げたはずの事故。甘えや怠慢がときに、悲劇をうむことを学ぶ必要がありそうです。

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