【大富豪メディチ家の奇形と呪い】富が災いして子供達にもたらされた異常

世界史奇談

ハプスブルク家がいきすぎた近親婚の末、子孫が「突き出した顎」と「下唇」に悩まされたのは有名ですが、フィレンツエの大富豪メディチ家もまた「病」に苦しんでいたことはご存知でしょうか。この記事では、メディチ家が患った病気をみていきたいとおもいます。

この記事のポイント
  • メディチ家の子供たちは「くる病」や「骨軟化症」に苦しんでいた
  • 子供らは当時最高の社会基準に従って育てられていたが逆効果だった
  • 極端さが栄養不足を招き、子供達には異常となってあらわれた
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メディチ家が抱えた病

メディチ家の子供たちを対象とした研究によると、子供たちは「くる病」や、日光や食物によるビタミンDの不足による「骨軟化症」に苦しんでいたことがわかりました。

16世紀にトスカーナに存在した大富豪であってもお金で幸せを買うことはできませんし、お金で健康を買うことはできませんでした。イタリア・ルネサンス期の 「大富豪」 として知られるメディチ家は、ガリレオやレオナルド・ダ・ヴィンチに資金を提供するほど金銭的に余裕がありました。しかしそういった彼らの「特権」は最終的に子供たちの幸福を損なった、ともいわれています。

もたらされた研究結果

(5 歳のドン フィリッピーノの異常に腫れた頭蓋骨)

メディチ家の9人の子供を対象とした昨今の研究によると、子供たちは「くる病」、すなわち日光や食物によるビタミンDの欠乏によって引き起こされる骨軟化症に苦しんでいたのです。研究結果には、こんな事実が記されていました。

骨を目視とX線で検査したところ、異常に柔らかい骨で這ったり歩いたりしようとした結果、腕や脚の骨が曲がっているなど、9人の子供のうち6人に、「くる病」の確かな兆候が見られた。その子供の一人、ドン・フィリッピーノとして知られるフィリッポ (1577年-1582年) は頭蓋骨がわずかに変形していた。

 

「くる病」は貧困層がかかる傾向があり、原因は栄養失調や密集して汚染された都市部での生活が原因であるとされてきました。しかし、メディチ家の子供たちは「貧困」ではありませんでした。富んだ家に生まれ、何不自由ない生活を送っていた子供たちがなぜこのような症状を抱えていたのでしょうか。

当時の生活様式

研究者たちは骨に残っていた窒素同位体に注目し、この病気の原因を突き止めました。原因は母親の「母乳」にあったのです。メディチ家の子供たちは2歳頃まで離乳しておらず、母乳にはビタミンDがほとんど含まれていなかったことを研究者らは指摘しました。

そしてその後も8ヶ月から9ヶ月の間、母乳をベースとして、柔らかいパンやリンゴなどだけが与えられていたのです。ビタミンDは穀物や母乳にはほとんど含まれておらず、果物にもほとんどありません。授乳期間が長引けば、ビタミンD欠乏症になる可能性は高くなるのです。

また、16世紀の考え方では、乳児は重く頑丈な「おくるみ」をすることが定められていました。何層にも重なった布に包まれ、大きなお屋敷に閉じ込められていたため、一般の子供たちと同じ量の日光を浴びることはできていませんでした

原因はビタミンD不足

メディチ家の乳児はとくにビタミンDの濃度が低かったといわれています。

メディチ家の子供達は、その時代の最高の社会的基準に従って育てられていました。例えば顔だけに日光を浴びる場合、乳児が「日光」を浴びる時間は最低でも週2時間が必要なのですが、メディチ家の子供たちはこれを享受することができなかったといいます。

当時、肌の色は農作業に従事する農民と上流階級を区別する手段でありました。

「薄い象牙色」の肌は健康と優雅さの印と考えられていました。日光にあたる機会が殆どない荘厳な宮殿の屋内にて、何層もの布に包まれて過ごしたメディチ家の子供たち。ルネサンス期の習慣に則り、幼児には重いおくるみが巻かれ、肌が露出することはほとんどありませんでした

良しとしたことが仇となり

本来ならば母親から胎盤を通してビタミンDが胎児へと供給されるのですが、足りておらず、研究対象となった2人の新生児にも「くる病」の兆候が見られました。

「くる病」は乳児の直接の死因であったか、または出生時に他の病気などの問題を悪化させる一因となった可能性があると結論づけられています。

研究者らによると、母親もまたビタミンD欠乏症でありました。それは、肌が日光に当たらないように厚化粧をしたことや、短期間で繰り返され続け出産 (エレノア・オブ・トレドは14年間で11人の子供を産んだ)が原因ではないかといわれています。

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まとめ

研究結果により、「くる病」や「骨軟化症」に苦しんでいたことがわかったメディチ家の子供達。彼らは裕福な家に生まれ、当時最高の社会的基準に従って育てられていましたが、それが功を奏さず、栄養不足が生じ、異常が生じる結果となってしまっていたのでした。

この病気は、遺伝子や新陳代謝の欠陥によるものではありません。呪いといったものでもなく、いうなれば、「子孫を守りたい」というメディチ家の願いが仇となって生まれたものだったのです。上流階級で良い暮らしをしたからとて、健康な乳児が生まれるわけではなく、子孫を守りたいとして最上級の扱いをした故に起こってしまった悲劇だったのでした。

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管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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