【ラスプーチンとは何者だったのか】コナン世紀末の魔術師で描かれた怪僧の正体

ロシアの歴史

劇場版シリーズのなかでも人気の「名探偵コナン世紀末の魔術師」。登場するのは『ロシア革命』で惨殺されたニコライ皇帝一家と、王朝を滅亡に導いたとされるラスプーチン。圧倒的な存在感を示したラスプーチンとは何者だったのか。この記事では、コナンに登場した部分を中心に、この奇妙な男性についてご紹介していきます。

この記事のポイント
  • ラスプーチンは病人を治すなど「祈祷師」として、注目されていた
  • 皇帝夫妻に取り入り政治に介入するも、業を煮やしたユスポフ公により殺害される
  • 数日後、川から引き上げられた遺体は、右目が陥没し頬骨が砕けていた
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怪僧ラスプーチン

 (真ん中がグリゴリー・ラスプーチン、右がロマン大佐 1907年)

グリゴリー・ラスプーチンは、ロシアに実在した人物です。シベリアの一地方から都に出て来たラスプーチンは、奇怪な逸話に彩られた生涯からか、様々な映画や小説に悪役として登場します。

無教養で字もろくに書けなかったラスプーチンですが、30歳には苦行僧になり、未来を予知したり、多くの病人を治したりと「祈祷師」として、上流階級の人々からも注目を浴びていました。

ラスプーチンの名前は、

  • 英語では、”Grigorii Efimovich Rasputin”
  • ロシア語では”Григорий Ефимович Распутин “と表記されます。

コナンが犯人の部屋で見たのはロシア語のサイン (頭文字はр)お城で見たのはロシア語のサイン(頭文字はG)同一人物だとすぐに見抜けなかったのはこのためでした。

皇帝一家との出会い

Romanov (戴冠式でのニコライ2世とアレクサンドラ皇后、マリア皇太后 1898年)

題材となったロマノフ王朝、これは約300年ロシアに君臨した「歴史上最後の王朝」です。

ロシア皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ女王は、お世継ぎ問題に悩みました。男児が生まれなければ、王朝が断絶してしまうからです。そんな中、奇跡的に男の子が誕生します。皇太子アレクセイの誕生は、ロマノフ王朝再生のまさに希望でした。

仲睦まじい皇帝夫婦でしたが、2人には辛く重い悩みがありました。希望である皇太子は当時治療法がない血友病血液を固めることがむずかしい病気を患っていたのです。そんな精神的に不安な2人の前に現れたのが、神の如き人と言われたグレゴリー・ラスプーチンでした。

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神の如き存在

 (一番右にいるのが、グリゴリーラスプーチン 1909)

皇帝夫妻は、息子アセクセイが成長するにつれ、血友病の症状にやきもきしていくようになります。「残念ながら、治療法がありません」とを投げる医師を差し置き、ラスプーチンはまじないや祈祷を使って治療を行いました。

誰もが懐疑的だった、といいますが、プラシーボ効果だったのか催眠術だったのか、いずれにせよ、翌日には皇太子の発作がおさまり症状は改善したのです。不安を抱えた皇帝夫妻には、彼が神様のように思えたことでしょう。

政治への介入

(ロマノフ王朝 皇帝一家とラスプーチン 右1908年 左1914年)

頻繁に家族旅行へいっていたニコライ家。そんなある日、皇太子アレクセイは、旅先で大腿部に大きな怪我を負ってしまいます。激痛に苦しみ出血が止まらず、医師からも「絶望的だ」といわれたその時、遠くシベリアにいたラスプーチンに皇后は大慌てで電報を打ちました

そしてラスプーチンはすぐに、こう電報を返したのです。

rasputin

皇后さま、アレクセイがここで死ぬことはありません。

神はあなたたちの願いを受け入れるでしょう

あろうことか、電報が届いたその日に出血が止まったのです。まさに奇跡と思われるその状況に、皇后アレクサンドラは更にラスプーチンに心酔するようになります。そんなアレクサンドラ皇后の影響で、ニコライ2世もラスプーチンに政治的助言を求めるようになっていくのでした。

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批判の声

(ラス・プーチンの風俗画 反皇帝派のポスター)

宮廷人や貴族から熱烈な信仰を集めるようになったラスプーチンは、乱れた生活を送っていたと噂され、『ロシア皇帝は彼に操られている』といった風刺画まで出回るようになりました。

しかしそれでも皇帝夫婦の信頼は途切れることなく、誰もラスプーチンをよそにやることをできませんでした。ラスプーチンはそれほどまでに、皇帝夫婦の心を掴んでいたのです。

心酔する皇帝夫妻

皇太子の母マリアとソリがあわなかったアククサンドラ皇后にとっては、精神的苦痛を緩和してくれるラスプーチンの存在はとても大きく藁にもすがる思いでありました。

しかしそんな「出自もよくわからぬ怪しい祈祷師が政治にまで介入してきたとあってはさすがに廷臣たちも黙っていられません皇帝夫妻はまったく聞く耳を持たず、廷臣の不満が募るばかり。ラスプーチン暗殺計画がなんども浮上しました。最終的には、皇帝の親戚にあたるユスポフ公爵が直接手を下すことになります。

ラスプーチンの暗殺

 (左がユスポフ公  右はグリゴリーラスプーチンに対する陰謀の参加者の蝋人形)

1916年12月、ユスポフ公はラスプーチンを自宅へ招きました

真実か否か、お菓子や、酒には毒が盛られていたそうですが、本人は平気で食べ続けたといいます。全く死なないラスプーチンに業を煮やし、ついに発砲。至近距離から2発、銃弾は貫通しましたが、それでも本人は起き上がりました。

怖くなったユスポフ公達は最終的には動かなくなるまで暴力をふるい、袋のなかにいれて、凍ったネヴァ川へ投げ捨てたそうです。発見された遺体の肺には水がたまっていたため、川へ放られた時も彼は生きていたとという説もあります。

生死に関する逸話

遺体は後にアレクサンドラ皇后の声により回収され埋葬されたのですが、2月革命後に再び掘り出されました。祈祷師・神秘主義者のラスプーチンは曰く付きでしたので、念のためにと遺体は燃やされることになったのです。

そして遺体が燃やされた時、ラスプーチンは炎の中で起き上がったそうです。やはりまだ生きていたのかと人々は恐れ慄きました。ただこれは腱が切られずに加熱すると縮んでしまう自然な現象で、川から引き上げられた彼は明らかに遺体となっていたといわれています。。検死によると、遺体の傷の大半は死後に傷付けられたものであり、右目は殴られ陥没し、橋から投げ捨てられた際に欄干にぶつかり右の頬骨が砕けていたそうです。

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まとめ

ラスプーチンは、病人を治すなど「祈祷師」として、上流階級の人々からも注目されていた人物でありました。皇帝夫妻へ取り入り政治に介入するも、業を煮やした皇帝の親戚ユスポフ公により殺害されてしまいます。

映画の犯人である浦思青蘭が、執拗に被害者の右目を狙っていたのは、殺された祖先ラスプーチンの恨みをはらすためでした。世紀末の魔術師で描かれた通り、実際、川から引き上げられたラスプーチンの遺体は、右目が陥没し頬骨が砕けていました。コナンの面白いところは、ただのミステリーではなく『現実世界を織り交ぜて、そこに新たな結末を作り上げている』ところですね。歴史を題材にしたコナンの映画「世紀末の魔術師」は、世紀を超えて人々に愛されているのでした。

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管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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