EVER UPWARD. WE CAN DO IT.

【ロシアに存在した鉄の女君主】皇女ソフィア・アレクセイエヴナ

 
ロシアに存在した鉄の女君主 皇女ソフィア・アレクセイエヴナ
この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

レーピンの肖像画で知られる、ロシア皇女ソフィア後継者争いの火種がくすぶるなか圧力に屈せず、力ずくで弟の王位を奪い取り自ら摂政となりロシアのトップに君臨した女性です。この記事では、王位をめぐる血みどろの争いのど真ん中にたち、野心を燃やし続けた彼女の人生をみていきたいとおもいます。

スポンサーリンク

 

ロシアの鉄の女 皇女ソフィア

ロシアに存在した鉄の女君主 皇女ソフィア・アレクセイエヴナ

ロマノフ家2代目のツァーリ、レクセイの娘こそ、鉄の女君主ソフィアです。皇帝アレクセイは最初の妻マリアとの間に2人の男児(フョードルとイヴァン) 2番目の妻との間に(2メートルの大男に成長するピョートル) を授かりますソフィアは1657年最初の妻マリアの4女としてこの世に誕生しました。

ロシア ロマノフ家家系図 皇女ソフィアとピョートル1世(ロマノフ家家系図:肖像画をもとに筆者作成)

 

ロシア皇帝の座をめぐる、血みどろの争い

ロシア ロマノフ家家系図 皇女ソフィアとピョートル1世

どちらの妻も実家が有力貴族だったために、「自分と血のつながる孫」を王位につけようと画策、とりあえずは年齢順で、最年長のフョードルがロシア皇帝となりますが、身体がよわく6年で亡くなり、さて次は誰かというところで一悶着おこります。

ロマノフ家 皇女ソフィア 家系図(ロマノフ家家系図:肖像画をもとに筆者作成)

自然に考えれば次は弟のイヴァンですが、彼には知的な障害がありそこでまた10歳ではあれど利発で健康なピョートル (2番目の妻の息子) が、派閥の支援もありツァーリの座につきます。

 

皇女ソフィア激怒、義理の兄弟からツァーリの座を奪い取る

ロシアに存在した鉄の女君主 皇女ソフィア・アレクセイエヴナ

それを良しとせず表舞台に出てきたのが、皇帝の座をスキップさせられたイヴァンの実の姉ソフィアです。(ピョートルにとっては腹違いで、義理の姉にあたる女性) 彼女はわずか25歳ながら、弟イヴァンがピョートル派に殺された、など偽の情報をふれまわりピョートルとその母がいたクレムリン宮殿に兵を差し向け、ピョートルを支持する人々をはじから血祭りにあげたのでした

少年期のピョートル(少年期のピョートル)

 

ツァーリの座を力づくで奪いとり、自ら女性君主へ

ロマノフ家 皇女ソフィア 家系図(1682年 イヴァンを引きずりおろし満足げに観察するソフィア)

いやいや、普通に考えて、ロシア皇帝は弟イヴァンのものでしょうとソフィアは堂々と牽制をふるいピョートル1世をツァーリの座から引き摺り下ろしヴァンをツァーリに、そして自らを摂政とし、事実嬢「女性君主」としてロシアのトップに君臨したのでした。ただし彼女はピョートルを殺すことはなく、「共同統治者」として、母とともに田舎へ送ります。(これがのちに悲劇を巻き起こすとは思いもせず..)

スポンサーリンク

摂政という危うい地位で、くすぶるソフィア

ロマノフ家 皇女ソフィア 家系図

摂政という地位は一時的なものですが、ソフィアは存在を確実なものにするために、

  • 自らを「君主」と呼ばせたり、
  • 肖像画いりの貨幣を発行したりと色々画策ロシアに存在した鉄の女君主 皇女ソフィア・アレクセイエヴナ

しかし結局7年の間で、クリミア遠征には2度失敗。徐々に国民の信頼を失い、巷では「そういえばピョートル1世は」と囁かれるようになります。ピョートルは17歳になっており、ひそかに指摘軍隊を要請するなど牙をといていました

 

そして、ピョートルが玉座を奪いに

ロマノフ家 皇女ソフィア 家系図

危機感を募らせたソフィアは兵をピョートルの元へ向かわせます。しかし「ソフィア勢への不満分子」をつのり、一大勢力を成していたピョートルに惨敗再び玉座を奪還したピョートルは、姉であるソフィアをノヴォジェーヴィチ修道院へ幽閉します

ノヴォジェーヴィチ修道院(画像:ノヴォジェーヴィチ修道院)

しかしどんなに憎み合っても、義理であっても兄弟だったのでしょうか。殺さずに幽閉にとどめたピョートル。この温情が、のちにアダとなるのですが、このときの彼は知るよしもありません

スポンサーリンク

ロシアを平定したピョートルは、ヨーロッパ大視察の旅へ

ロマノフ家 ソフィアとピョートル(画像:オランダで船大工とともに働くピョートル)

姉のソフィアを修道院へ閉じ込め、つつがなく国を治めて8なんとしてもロシアを近代化させたかったピョートルは、先進国で多くのことを学びたいとヨーロッパへ大視察旅行へでかけます。

まさかの君主が不在というロシア。そして1年半がすぎたころピョートルに、ロシアで「一部の兵が蜂起した」と伝令がわたります「ソフィアだ」と確信した彼は、急ぎロシアに帰ったのでした。

 

血で血を洗う、義姉弟の権力闘争

ロシアに存在した鉄の女君主 皇女ソフィア・アレクセイエヴナ

取り調べを行い、ソフィアが首謀したという物証を探しますが、拷問をかけても、何百人と死刑にしても証拠はあがりませんピョートルは荒れ狂い、自ら首切り用の斧をふるい、最終的に1500人近くを処刑したといいます。「お前もこうなるぞ」と見せしめに、死体をそこかしこに放置、首謀者3人の死体をもソフィアの部屋の窓の外に吊るしたといいます。

スポンサーリンク

ソフィアの堂々たる王者の風格、鬼の形相でギロリ

ロシアに存在した鉄の女君主 皇女ソフィア・アレクセイエヴナ

取っては取り返しての玉座ですから、兵も混乱したことでしょうートルによる「ソフィアを尼にしろ」という命令だって、明日はどうひっくり返るかわからないのですから。兵が逃げ腰で、部屋の外から声をかけ、ソフィアに命令を告げにいったときのシーンがこの絵画「皇女 ソフィア」だといいます。

ロシアに存在した鉄の女君主 皇女ソフィア・アレクセイエヴナ(画:レーピン 皇女ソフィア)

待ち構えていたかのように、こちらを向いて立っている。修道院へ幽閉されてから9年になりますが、恰幅がよく、堂々たる王者の風格で、まゆには険しいシワをよせ、唇を真一文字にしている姿からは、猛烈な怒りを感じます窓に見えるのは、義理弟ピョートルが嫌がらせの見せしめに殺したソフィアの仲間たちの死体です。こんなに暗い部屋で、幽閉され、唯一の窓には味方の死体がぶらさがっているんですから、ソフィアにしても、さぞはらわたが煮えくり返る思いだったことでしょう。

 

ピョートル大抵に唯一対抗できた、野心溢れる女性

ロシアに存在した鉄の女君主 皇女ソフィア・アレクセイエヴナ

「太って醜かった」といわれた彼女の形相ですが、「敗北者」となったからこそこの絵が描かれたのだとしたら、真実はいかほどだったのかただこの気魄と野心に溢れた女性だったからこそ、「ピョートル大帝」という大男の英雄に対抗できたのであり、どちらが最終的に君主になったかはもしかしたら紙一重だったのかもしれません。

スポンサーリンク

ピョートル大帝の誕生と、ソフィアの敗北

ゴッドフリー・ネラーによるピーター1世の肖像

西ヨーロッパの顧問から大きな影響を受けたピョートルはロシア軍を現代の線に沿って再編成しロシアを海洋大国にすることを夢見ていました彼は身の丈203 cmの大男に成長、「ピョートル大帝」と呼ばれロシアの近代化を目指した抜本的な改革を実施しました。

ロシアに存在した鉄の女君主 皇女ソフィア・アレクセイエヴナ(処刑の朝 フード V.I.スリコフ、1881)

ちなみにソフィアは一連の事件のあとに剃髪させられ、修道院の奥深くへ幽閉されました。100人もの兵士に監視され6年後,46歳にして憤死したといわれています。ただソフィアが本当に敗北したかというとそうではなく。彼女の存在があったからこそエカテリーナ大抵をはじめとする構成の女帝たちがうまれたのですから新たに時代を作った女性といっても過言ではないでしょう。

スポンサーリンク

あとがきにかえて

ソフィアと総主教ヨアヒムは、古い信者 ニキータ・プストスヤットの指導者との宗教的論争で。ヴァシリー・ペローの絵画、1881(ソフィアと総主教ヨアヒム、古い信者 ニキータ・プストスヤットの指導者との宗教的論争にて。ヴァシリー・ペローの絵画、1881)

当時のツァーリ (ロシア皇帝) の娘は、とても過酷な状況にあったといわれています。

  • ヨーロッパの国々は、田舎者のロシア宮廷のプリンセスを王妃にもらいたがらず、
  • かといって、皇帝も臣下のもとに娘を嫁がせるなんてあり得ず

生涯独身を強要され、宮廷内の小さな部屋のなかで悶々と暮らしていたプリンセスたちにとって、進んで教育をうけ、表舞台に躍り出た「ソフィア」の存在は希望でもあったことでしょう。彼女の統治機関は短いものでしたが、ポーランドや清朝 (当時の中国) と友好関係を結んだりと功績もあげています。「女性は何歩か下がって、けして前へ出ず」という常識をことごとく覆した彼女を、その人間らしい感情ごと生々しく描きとったリーピンの絵画「我がつよいこと」も場合と時代によっては大きな強みになるのかもしれませんね。

この記事を読んだ人へおすすめの記事

スポンサーリンク

この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です