【ヴラド3世の残虐なる仕打ち】吸血鬼ドラキュラのモデルになった暴君とは

ドラキュラのモデル世界史奇談

15世紀のルーマニアのワラキア公国の支配者であったヴラド3世。ドラキュラ小説のモデルになったとも言われる彼は、とんでもない数の兵士を串刺しにして殺害するなどとても残虐なる人物だったことでも知られています。この記事では、ヴラド3世についてみていきたいとおもいます。

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ドラキュラの由来

先に言ってしまうと、吸血鬼ドラキュラは実在していません。

しかしドラキュラのモデルになった男は実在します。それが15世紀のワラキア公国の支配者であったヴラド3世です。ヴラド3世が「ドラキュラ」という愛称を持つようになったのは、彼の父親であるヴラド2世が「ドラクル」という愛称を持っていたことが関係しています。

「ドラクル」は、オスマン帝国の官僚から与えられたもので、トルコ語で「竜の息子」を意味します。ヴラド3世もまた、父親と同様に「竜の息子」を意味する「ドラキュラ」という愛称を使っていたため、その名前が彼の後世の伝説と結びつくことになりました。

残虐非道な行い

ヴラド3世は、敵対した者や犯罪者を残忍な手段で処刑したことは広く知られています。彼がドラキュラのモデルとなった理由の一つには、その恐ろしい行為が吸血鬼のイメージと結びつけられたこともあげられています。ヴラド3世は、敵対者や犯罪者を生きたまま腹を切り開いたり、生きたまま串刺しにして焼くなど非常にい残虐な方法で処刑したといわれています。

これらの残忍な行為は、敵対者や犯罪者の恐怖心を高めることを目的として行われていました。また時には、トルコ軍の戦死者の首を切り取り、それを棒に刺してトルコに見せつけるといったこともありました。これは、トルコ軍に大変な恐怖心を与えるものであり、軍が撤退することにもつながったとされています。

ヴラド3世は、敵対する国や都市を攻撃した際にも、非常に残忍な方法を用いており、時にはトルコ人商人が泊まる宿を襲撃し、すべての客を生きたまま焼き殺したとも伝えられています。

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報復の大量虐殺

ヴラド3世はキリスト教徒であり、オスマン帝国との戦いにおいてキリスト教徒の勝利を祈り、敵対するイスラム教徒を攻撃していました。

ワラキアをオスマン帝国から解放するために多大な努力をしましたが、その手段は非常に残忍であったため、彼の名前は「ドラキュラ」は、恐怖の象徴となったのです。また、彼の治世中には、コロナの森で起こった「シギショアラの虐殺」と呼ばれる事件がありました。

この事件は、ハンガリー王国によって支配されていたトランシルヴァニア地方で起こりました。ヴラド3世は、「トランシルヴァニアの住民が彼を裏切りオスマン帝国と手を結んだ」と信じていたため、報復のため虐殺を行ったのです。ヴラド3世は、トランシルヴァニアの住民を森に連れて行き、約20,000人の人々を串刺しにして殺害しました。

恐怖の象徴

ヴラド3世が「ドラキュラ」として有名になったのは、彼の残忍な手段、逸話がヨーロッパ中に広がったためだと言われています。彼の行った処刑は、当時のヨーロッパで慣例とされていたものより、はるかに残虐であったため、「ドラキュラ」の名前は恐怖と暴力の象徴となったのです。

最終的に、ヴラド3世は敵対者によって捕らえられ、投獄されることになりました。1476年に死亡しましたが、彼の残虐な手段とヨーロッパ中に広まった恐怖のイメージは、彼の死後も残り続けることとなったのです。

ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」の主人公としても知られているヴラド3世。実際には、彼は吸血鬼とは何の関係もありませんでした。この小説は、彼の名前から着想を得ているだけであり、彼の生涯とは何の関係もありません。

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まとめ

「ヴラド3世がドラキュラのモデルになった理由には、複数の説があります。

まず、ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』が出版された当時、ヴラド3世の残虐な行為や彼が使用したステーク (木製の串) に串刺しにする方法などが西欧の新聞や雑誌で報じられ、知られるようになっていました。

そのため、ストーカーはこれらの情報を元にして、小説の主人公であるヴラド伯爵ドラキュラのキャラクターを作り上げたという説があります。 また、ストーカー自身がルーマニアを旅行し、現地の民話や伝承に興味を持っていたことも、彼がヴラド3世をドラキュラのモデルに選んだ理由の一つだと考えられます。実際、ドラキュラ伯爵の名前自体は、ルーマニア語で「悪魔」という意味の「ドラク(drac)」に由来するともいわれています。

自身が統治するワラキアの領域で非常に厳格な法律を施行し、反逆者や犯罪者に対して容赦ない処罰を下したことで知られているヴラド3世。反逆者や犯罪者をステーク (木製の串) に串刺しにし、その身体を野生動物に襲わせたり、周囲に見せしめとして置いたりすることで、人々に恐怖心を植え付けるなどした暴君、彼の名は、暴力の象徴として後世まで語り継がれることとなったのでした。

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管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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