【写真でみるカミラ王妃の若い頃】チャールズ3世が家庭を壊してまで愛した女性

イギリス王室

新国王の生涯の恋人であり、親友であり、17年間連れ添った妻でもあるカミラ王妃。彼女は夫チャールズ3世の戴冠に伴って、「王妃」の称号を得ることになりました。ダイアナ妃との結婚中もカミラ夫人とチャールズ国王の密会は続いており、世間を騒がせ続けたふたりの関係。

それでもふたりの仲は決して壊れることなく、どころかそれは深い絆となっていったのでした。この記事では、「イギリス王妃」となったカミラ夫人の若い頃を写真とともに追っていきたいとおもいます。

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カミラ夫人

国内外の重要なイベントや祝賀会で、夫チャールズ国王のそばにいるカミラ王妃、世間はそんなカミラ王妃を見ることに慣れてきましたが、彼女自身が認めているように、それは決して容易なことではありませんでした。カミラ・パーカー・ボウルズほど公に中傷された女性はいないでしょう。ダイアナ妃の死後、正式に「妻」の座に収まったとはいえ、彼女は際限なくダイアナ妃と比較される 「もう一人の女性」 でありました。

チャールズ3世を選んだことは、彼女は人生を大きく変えるものでありました。何年もの間マスコミに追われ、彼女の性格と外見は容赦なく攻撃の的となったのです。カミラ夫人がダイアナ妃と何より違ったのは、彼女はチャールズ3世に心底愛され、共に乗り切る力を持っていたことでしょう。彼女は後妻になるにあたり強い意思を持って、その嵐を乗り切り、徐々に王室で最も高位な女性としての地位を固めていったのです。

波乱の道のり

(左が1963年のカミラ王妃)

20歳代前半に出会い、チャールズ皇太子をすぐに虜にしたカミラ夫人。

しかし、彼女が王妃になるまでの道のりは簡単なものではありませんでした。エリザベス女王をはじめとする王室メンバーが彼女の存在を受け入れるのにも相当な時間がかかりりました。新たな王妃が国民から完全に受け入れられることはないかもしれませんが、彼女自身は『ヴォーグ』誌とのインタビューで 、「それを受け入れた上で進んでいきたい」と意思を述べています。

1947年7月17日に生まれたカミラ・ローズマリー・シャンドにとって、王位継承者との結婚は予想されていた未来ではありませんでした。カミラ王妃は上流階級に生まれ、裕福でコネもありましたが、「王族ではない」ことには違いなかったのです。

カミラ王妃の生い立ち

(左が4歳のカミラ王妃 兄マーク・シャンド、妹アナベルと)

カミラ王妃はサセックスの、絵のように美しい家の敷地で兄妹たちと遊んで育ち、親密で愛情深い環境で育ちました。常に比較されるふたりですが、寂しい時代を送ったダイアナ妃とは違い、満ち足りた子供時代を送っていたのです。父親のブルース・シャンドは元陸軍士官で、就寝前に彼女の物語を読むのが好きで、母親のロザリンドは子供たちを学校や活動場所、ビーチまで送っていました。

またこれは、女王という多忙な母を持ち、両親のいない時間が長かったチャールズの子供時代とは全く違ったものでした。スイスのフィニッシング・スクールで、カミラ王妃はロンドン社交界のデビューとしての人生を準備しました。彼女はとても人気があり、60年代半ばからはアンドリュー・パーカー・ボウルズという王室騎兵将校と断続的に交際していました。

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ふたりの出会い

チャールズ3世に出会ったのは、1970年初頭、ポロの試合でのことでした。「彼女は愛情深く、気取らず、そして -初恋の激しさにもかかわらず- 彼はほとんど同時に彼女に心を奪われた」 といいます。しかし二人のタイミングは合いませんでした。

チャールズ3世はまだ20歳代前半で、海軍でのキャリアを追求していました。1972年後半には八ヶ月間の海外派遣に出発してしまいます。そしてチャールズ3世がいない間にアンドリューはカミラにプロポーズし、彼女はそれを受け入れてしまったのです。カミラ王妃の友人によると、彼女は単に「自分が王妃の器ではない」と思っていたと語っています。

しかしどんなにはねつけられたとしても、二人はお互いの人生の一部であり続けました。2人は同じ社交界に移り、チャールズ3世と夫アンドリューは一緒にポロをし、そして夫婦はチャールズに第一子トムの名付け親になってほしいと頼むまでの仲であったのです。ポロ競技でのチャールズとカミラの写真は、リラックスした親密さが透けて見えます。

ダイアナ嬢の登場

(1980年、ラドロー競馬場でチャールズの競演を見守るカミラ (左) とダイアナ・スペンサー夫人)

採算カミラ夫人の大切さを説いたチャールズ3世でしたが、王室メンバーは年上で経験豊富なカミラ夫人を受け入れることには到底反対でした。1981年の夏までに、チャールズは若いダイアナ・スペンサー嬢に出会い、言われるがまま求婚しました。

それでもカミラ王妃が彼の人生の一部であることは変わりませんでした。チャールズがカミラのために作った 「F」と 「G」 の文字が刻まれたブレスレット (二人のペットネームはフレッドとグラディス) を見つけたダイアナが、予定の2日前に結婚式を中止しようとしたことは有名な話ですが、ダイアナ妃がカミラと夫との関係に苦しんだことは疑いの余地がないでしょう。

タンポンゲート事件

チャールズ3世とダイアナ嬢、ふたりの結婚生活は 「取り返しのつかないほど崩壊」しましたが、皮肉なことにその分カミラ王妃 (当時はカミラ夫人)との仲は深まっていくことになりました。ダイアナ嬢が1995年のテレビのインタビューで、「この結婚には三人いた」暴露をしたことで、言葉を残しカミラ夫人の評判は地の底まで落ちることとなります。

しかし”印象操作”の結果も功を奏してか、徐々に「身を結んだふたりのロマンス」が通説となり、今は逆にダイアナ妃の評判の方が失墜していくことになりました。

チャールズとカミラの結婚生活が悪化していく中、新聞の見出しの中には耐え難いものもりました。しかし最恥だったのは、1989年にアマチュアの無線家が録音したふたりの会話が露呈されてしまっことでしょう。密かに録音されたふたりの深夜の会話は、4年後に全世界へ公開されることとなりまあした。そこには、チャールズ3世の「君のタンポンになりたい」といった会話が含まれており、2人の親密さの度合いが明らかになってしまったのです。

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お互いの離婚

(息子トムと娘ローラを連れたカミラ

カミラ王妃とアンドリューの離婚は1995年に成立しました。そして、それにエリザベス女王からの助言もあり、チャールズ3世とダイアナ妃の結婚生活も1996年に正式に終了しました。世間の敵意や、自身の家族、特に2人の子供であるトムとローラに混乱をもたらしたにもかかわらず、チャールズと一緒にいることを選んだカミラ王妃の気持ちの強さを示しています。

息子であるトムは、パパラッチがウィルトシャーの実家の外の茂みに隠れていた時代について語っている。 「私たちの家族について、これ以上私たちを不快にさせるようなことは誰も言えない」 といい、「私の母は防弾仕様だ」 と付け加えました。当時のことをカミラ王妃は、

いつも見られているのを好きな人がいるでしょうか。

うまくやっていく方法を見つけなければいけませんでした。

と語っています。 ダイアナ妃が事故で亡くなった後は、カミラ王妃への批判はさらに強くなりました。公の場にカミラ王妃が出てくることもありませんでしたしかし二人の関係は続いていました。

ふたりの結婚

(チャールズとカミラは1999年に一緒にパーティーを離れ、カップルとして初めて公式の場に姿を現した)

チャールズ3世の「カミラは自分の人生において譲れない存在である」という意思は変わらず、彼女の存在が受け入れられるよう綿密に練られたキャンペーンが始まったのもこの頃です。そして6年後、2人はウィンザー・ギルドホールでささやかな式を挙げて結婚を果たしました。

民衆が否定的な反応をするかもしれないという懸念は当たらず、ふたりは歓迎する人々の歓声と拍手に迎えられました。しかし、王妃として彼女が扱われるかどうかについての議論は長年続きました。チャールズとダイアナの結婚が破綻したことで彼女を非難する人々をなだめるために、代わりに プリンセス・コンソート (国王夫人)として扱われる、というのが公式見解だったのです。

しかし結局、2022年にエリザベス女王が「その時が来たら、カミラが王妃として知られることを心から願っている」 と述べたことで解決をみました。カミラ王妃は王室からも正式に「王妃」として認められるに至ったのです。その年、エリザベス女王が亡くなることはその時はまだ誰も予想だにしていないことでした。

ふたりの王子との関係

エリザベス女王が最初からカミラを警戒していたのなら、ウィリアム王子とハリー王子にはなおさらだったに違いないといわれています。二人とも両親の結婚生活が公然と破綻し、ウィリアムが15歳、ハリーがわずか12歳のときに母親が亡くなったことに対処しなければなりませんでした。

しかし、2005年、結婚式の数ヶ月後、21歳になろうとしていたハリー王子は、カミラは父親をとても幸せにした 「素晴らしい女性」 だと語りました。「ウィリアムと私は彼女が大好きで、彼女とはとても仲良くしています」 と述べたのです。

それ以来、カミラへの思いについては兄弟ともほとんど口にしていません。しかし、公の場でのウィリアムと妻キャサリン、カミラのやりとりやボディランゲージをみるに、少なくとも「関係は良好である」ことを示唆する温かさと親しみやすさがあるといわれています。

カミラ王妃の現在

現在70代半ばのカミラ王妃の人生は、夫と家族を支えることが中心となっています。

公的に夫を支える存在でもありますが、カミラ王妃は5人の子を持つ熱心な祖母でもあります。甥のによると 「彼女は非常に親密で協力的な家族を持っており、昔からの友人たちとも親しい」 「彼女は夫や子供、孫を敬愛している」 とも語られています。

カミラ王妃は情熱を感じる分野でも頭角を現し、母や祖母を苦しめた「骨粗鬆症」に対する認識を高めたり、家庭内暴力、レイプ、性的暴力などの難しい問題にスポットライトを当てること、また父から受け継いだ本への愛を、インスタグラムのブッククラブで伝えるなど、多方面で精力的に活動しているようです。

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まとめ

(公の場で一緒に笑っている姿が定期的に見られている)

カミラ王妃の仕事ぶりは、人々に安心を与えるともいわれています。元々人前でスピーチをしなければならないことに神経を痛めていることを隠そうとしなかったカミラ王妃ですが、それも長年の間に自信を深めて克服していったようです。

チャールズとカミラは結婚して17年になります。公の場でも両者のつながりは明らかでで、買わされる視線や笑いなどお互いをわかり合うような姿が多く目撃されています。チャールズ皇太子は結婚10周年を前に、テレビ番組で 「味方でいてくれる人がいるのは素晴らしいことだ」 と語りました「彼女は非常に大きな支えであり、人生の面白い面を見ている、神に感謝する」 と。

王の役割は孤独なものであり、チャールズがカミラを手放そうとしないのは、彼が演じる役に必要な唯一の人物がカミラ王妃であることを知っていたからかもしれません。

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管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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