【アンブーリンの肖像画まとめ】イングランド王も惑した魅惑の女性

アン・ブーリンの肖像画テューダー朝

ヘンリー8世の後妻アン・ブーリンエリザベス1世の母としても知られている彼女ですが、王妃の座を得たのも束の間、国王の気まぐれにより処刑されてしまいます。さいきんでは映画『ブーリン家の姉妹』でナタリー・ポートマンがアン役をこなしたことでも話題となりました。イングランド国王をも夢中にさせたアン・ブーリンの肖像画をまとめました

※引用した画像の著作権は各々の作者に帰属します。著作権法32条(引用)に従って掲示させていただきます

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アン・ブーリンの肖像画 12枚

アン・ブーリンの肖像画

17世紀に描かれた、フランス宮廷にいた少女アン

アン・ブーリンの肖像画

アン・ブーリンの肖像画、おそらく現存しない肖像画に基づいて描かれたもの

アン・ブーリンの肖像画

ハンス・ホルバインによって描かれたアン・ブーリン

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アン・ブーリンの肖像画

若き日のアン・ブーリン

アン・ブーリンの肖像画

19世紀に描かれたアン・ブーリンとのヘンリーの和解の絵 (ジョージ・クルークシャンク画)

アン・ブーリンの肖像画

国王との出会い(19世紀画)

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アン・ブーリンの肖像画

王妃の座を追われるキャサリンと、公衆の面前で愛をささやく国王とアン・ブーリン(19世紀画)

アン・ブーリンの肖像画

25歳の誕生日前のアン・ブーリン

アン・ブーリンの肖像画

アン・ブーリンの肖像画 (作者不明)

アン・ブーリンの肖像画

アン・ブーリンの肖像画 (作者不明)

アン・ブーリンの肖像画

ロンドン塔に閉じ込められたアン・ブーリン (エドワード シボット画)

アン・ブーリンの肖像画

アン・ブーリンのスケッチ絵 (処刑前と思われる)

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アン・ブーリンとは

 

アン・ブーリンの肖像画

ヘンリー8世の2番目の妃アン・ブーリンは、1501年イングランドで生まれました1527年から国王と親交があり、ヘンリー8世がキャサリン・オブ・アラゴンと離婚する直前の1533年に密かに結婚。同年末には長女エリザベス女王(後のエリザベス1世)を産みました

1536年になると、なんとしても男児が欲しいヘンリーはアンに嫌気がさし、結婚の正当性を疑い始めました。結果、同年アンは不倫と姦淫罪で告発され、ロンドン塔で処刑されてしまいます。ヘンリー8世が次の妻ジェーン・シーモアと結婚したのはそのすぐ後のことでした。ロンドン塔にはいまでも彼女の幽霊が現れるといいます。

アン・ブーリンの容姿

アン・ブーリンの肖像画

こちらは20世紀初頭に描かれたヘンリー8世とともに鹿狩りをするアン・ブーリンの絵です。アンはとても美しく、黒い髪と瞳に細い首が特徴だったとされておりますが、実際はどのような性格だったかは知られていません。

アン・ブーリンについての記録は殆ど残っておらず、肖像画はのちになって描かれたものが多いのも特徴です。現在語られている彼女の人生は、作家の偏見や想像上のファンタジーの飛躍によって、大きく婉曲している可能性もあるといいます。

まとめ

アン・ブーリンの肖像画

彼女が処刑された後、ヘンリーやその臣民にアン・ブーリンを思い出させるものはすべて破棄されました。その過程で見落とされていたものがいくつかありますが、当時現存したアン・ブーリンの肖像画はないと推測されています。現在アンの姿が見られるのは、彼女の名前がつけられた肖像画とスケッチだけです。

また絵画には、彼女の死後に描かれたものが多く、模写に模写を重ねたものが出回っている可能性もあります。イングランドのローマカトリック教会の断絶をつくったアン・ブーリン国王を誘惑した魔女だったのか、野心深い家族に利用された悲劇の王妃なのか、それとも両方か、その真実すらいまは闇のなかです。

参考文献

 

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