娘 (のちのエリザベス1世) 誕生

(1546年頃のエリザベス 作者不明 引用元:Wikipedia)

当然のことながら、アンはヘンリーの新しい宗教的・政治的政策を支持し、トーマス・クロムウェルやトーマス・クランマーなどの新たな廷臣たちを周りに集めました。公式な記録はありませんが、アンはすでにカトリック教会の保護下にはなく、修道院のための新しい教育的アイデンティティの促進に積極的だったようです。彼女はまた、王室の偉大な宮廷画家ハンス・ホルバインの最初の後援者でもあり、彼女は即位式のためのアーチとバラの噴水を設計しました。そしてヘンリーとアンの元に1533年9月娘エリザベスが生まれたのでした。 (参考記事:【ヴァージンクイーン】エリザベス1世を知るための、7つのこと)

 

アンの流産と、国王が下した決断

(アン・ブーリン引用元:Wikipedia)

しかし2人の間に生まれたのは、エリザベスだけでした。アンの2回にわたる流産は、いつも精神的に迷信深いヘンリーに、アンと結婚するにあたって自分が正しい選択をしたのかどうか、是非を問うものになってしまったのかもしれません。多くの人がヘンリーの最初の妻キャサリンに同情しました。また影ではブーリン政権の交代によって影響力を失った廷臣たちが中心となって、敵対的な派閥が羽を広げていました。2人の再婚のドタバタに巻き込まれ失脚した、トマス・ウォルジー(キャサリンとの離婚の説得に失敗したため、全ての官位と、全財産を没収された)もまた、アンが及ぼした影響力に憤慨していました。そして最終的にアンは結婚から2年後、(真実か否かはおいておいて) 王暗殺の容疑、および不義密通を行ったとして、反逆罪に問われたのでした。

 

アン・ブーリンの処刑

(ロンドン塔のアン:Wikipedia)

アンは同年5月19日、反逆、姦通、近親相姦及び魔術という罪で死刑判決を受け、ロンドン塔にて斬首刑に処せられました。5月2日に逮捕されたアンは、ロンドン塔へのはしけに乗せられ、塔の入口の中でも最も悪名高い 「裏切り者ゲート」 の下を通ったといいます。当時のイングランドは斧を使って斬首していたのだが、剣での斬首を懇願するほど、アンは斧での執行を嫌がったので、ヘンリー8世は小さな慈悲として処刑人に「剣」を使わせたとか。そしてヘンリー8世自身は、アンの処刑から11日後に、待望の男児を授かることになるジェーン・シーモアと結婚したのでした。

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あとがきにかえて

(Amazon ホームページより引用)

彼女についての記述のほとんどは、死後に書かれたものであり、アンに関する偏見のない記述を見つけるのは難しいといわれています。映画『ブーリン家の姉妹』では、アンと妹メアリーの父と叔父が王に近づこうとするのに娘を利用するが、意志の強いアンが暴走して「王妃にしてくれないと、あなたのものにはならない」と王を誘惑、結果として王妃とドタバタ裁判が起こり、収拾がつかなくなった自体に王が憤慨してアンを死刑に処すといったいかにも宮廷らしい生々しいストーリーが描かれていました。

(アンが処刑された足場の場所Wikipedia)

何が本当だったのか、真実は彼女にしかわかりません。興味のある方は、あくまで参考のひとつとして、ブーリン家の姉妹をご覧になってみてはいかがでしょうか。

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