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【アン・ブーリンの生涯】彼女はなぜ王妃になり、処刑されたのか

2020/08/16
 
anne-boleyn
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

イングランド王ヘンリー8世の2番目の王妃であり、エリザベス1世の母親でもあるアン・ブーリン。本や映画に多く取り上げられている彼女ですが、なぜ王妃になったのか、噂通りの悪女なのか、それとも陰謀渦巻く宮廷の被害者だったのか、その真相を知るのは本人だけです。この記事では英国で語られている、アン・ブーリンの人生をたどっていきます。

(この記事を読むのに必要な時間は約3分です)

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数奇な人生を辿った、英国王妃アン・ブーリン

ロンドン塔の幽霊と、ワタリガラスの逸話 (アン・ブーリンの肖像画) (アン・ブーリンの肖像画 娘エリザベスの時代に描かれたといわれている)

逸話は殆ど創りモノ、本当のことは誰もわからず

アン・ブーリンは悲劇の王妃か、狡猾な魔女か(The south face of the Waterloo Block 画像引用元:Wikipedia)

アン・ブーリンについての記録は殆ど残っておらず、現在語られている彼女の人生は、(作家の偏見や想像上のファンタジーの飛躍によって) 創られたものが多く、大きく婉曲している可能性もあるといいます。ただ一つ確かなこととして、彼女の亡骸は現在、英国ロンドンの聖ピーター礼拝堂に埋葬されています。

 

アン・ブーリンの容姿と性格

ロンドン塔の幽霊と、ワタリガラスの逸話 (アン・ブーリンの肖像画)(王との鹿狩りを描いたアンブーリンの20世紀初頭の絵画)

アン・ブーリンは、王ヘンリー8世の廷臣であったトマス卿と、エリザベスの間に生まれました。アン・ブーリンはとても美しく、黒い髪と瞳に細い首が特徴だったとされておりますが、実際はどのような性格だったかは知られていません。彼女は子供時代をイングランドのヒーバー城で、思春期は誰もの憧れだったフランス宮廷で過ごしました。

アン・ブーリンは悲劇の王妃か、狡猾な魔女か(ヒーバー城 ケント イギリス画像引用元:Wikipedia)

1522年にアンは祖国イングランドに戻りました。イングランド王ヘンリー最初に彼女に出会ったのは、トーマス・ウォルシー邸で開かれた仮面舞踏会だったそうです。

 

王の求愛を受けるに至るまで

アン・ブーリンは悲劇の王妃か、狡猾な魔女か(国王との出会い(19世紀画)引用元:Wikipedia)

フランスの華やかなファッションに包まれたアンは、まるで別人のように洗練されていといいます。後にノーサンバーランド伯爵となったヘンリー・パーシーや、詩人トーマス・ワイアットが彼女に求愛しますが、1526年には、ついに国王までもが彼女に魅了されるようになったのでした。

アン・ブーリンは悲劇の王妃か、狡猾な魔女か (アン・ブーリンに求愛したというヘンリー・パーシー)

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アン・ブーリンに夢中の王と、退けられた王妃キャサリン

アン・ブーリンの生涯(王妃の座を追われるキャサリンと、公衆の面前で愛をささやく国王とアン・ブーリン)

ヘンリー8世と王妃キャサリン・アラゴンの結婚生活は長いものでしたが、メアリー王女だけでした。1520年代半ばになるとヘンリーはテューダー朝の将来を心配し、世継ぎを強く切望するようになります。そういった背景も重なり、王の興味は王妃でなく、アンに注がれいくようになりました。

ヘンリー8世からアンブーリン宛の手書き書簡(ヘンリー8世からアンブーリン宛の手書き書簡)

バチカン図書館には17通もの手紙が残されており、ヘンリーがこの先数年間、彼女に夢中になっている様子が詳しく書かれているといいます。

 

アンのために、王妃へ無実の罪で離婚を突きつけ

アン・ブーリンは悲劇の王妃か、狡猾な魔女か(最初の王妃 キャサリン・オブ・アラゴン 引用元:Wikipedia)

この時代、王でさえ簡単に離婚を決めることはできませんでした王妃キャサリンが、離婚をおとなしく受け入れていたなら、イギリスの歴史はかなり違ったものになっていたかもしれません。しかし彼女は元来のカトリック、本来ならば離婚など全くもってありえないこと

アン・ブーリンの生涯 (ヘンリー8世のカトリック教会との断絶0

1527年、困ったヘンリー8世は、合法的にキャサリンと離婚する方法を探しはじめます。そしてキャサリンが自分の兄と結婚していた過去を引っ張り出し、ローマ法王へ兄の未亡人を連れ去ったことは罪であり、自分の結婚は決して正当なものではないだから離婚を許してほしいと懇願したのです。

 

イングランド カトリック教会との断絶

イングランド国教会の総本山 カンタベリー大聖堂(イングランド国教会の総本山 カンタベリー大聖堂)

しかし教皇は、王妃キャサリンとの離婚を認めませんでした。そのため、ヘンリー8世はローマ・カトリック教会と断絶し、自ら「イングランド国教会」を築きます。こうしてローマ教皇の宗教的支配から抜けた彼は、キャサリンと離婚、アン・ブーリンと再婚を果たしました。(宗教改革の経緯はコチラ

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王妃となったアン・ブーリン

アン・ブーリンの生涯

宗教的なゴタゴタと、王の暴走に家臣たちは翻弄されましたが、国全体をも巻き込んで、ようやく王妃となったアン・ブーリン。王妃の座を狙ったのは彼女の意思だったのか、野心家の父の思惑だったのかは謎のままですが、アンは、

  • ヘンリーの新しい宗教的・政治的政策を支持し、
  • またアンにとって有利な廷臣たちを周りに集めました

ここぞとばかりに、出世を狙うアンの親族が廷臣として王に近づいてきたといいます。(ここだけみると、やはり野心家の親族にアンが利用されたようにもとれるのですが…. )

 

娘の誕生 (のちのエリザベス1世)

(1546年頃のエリザベス 作者不明)

そして1533年、ついに2人の間に子供が生まれます。ヘンリーが望んだ男児ではありませんでしたが、とても可愛く健康で、愛くるしい少女。この少女こそ、後にイギリス女王となる娘『エリザベス1世です。しかし男児を望むヘンリー8世にとっては落胆のもと。

ちなみにヘンリー8世の死後、アン・ブーリンの娘エリザベスは、(前妻キャサリンの娘)メアリーと散々バチバチやりあうことになりますが、それはまだまださきのこと…. 。(参考記事:【イギリス王宮の歴史】ヘンリー8世が残した、3人の子女たち)

 

アンの流産と、国王が下した決断

アン・ブーリンは悲劇の王妃か、狡猾な魔女か(アン・ブーリン引用元:Wikipedia)

世継ぎを期待した王でしたがアンとのに生まれたのは、女児 (エリザベス) だけでした。そしてアンは2回にわたり流産。迷信深いヘンリーは、アンと結婚したのは正しい選択だったのか迷い始めます。それには多くの人がいまだヘンリーの最初の妻キャサリンに同情していた、という背景もありました。

また影ではアンのせいで降格した廷臣たちが中心となって、敵対勢力となっていたりとあらゆる陰謀が渦巻いていました。再婚のドタバタに巻き込まれ失脚したトマス・ウォルジー(キャサリンとの離婚の説得に失敗したため、全ての官位と、全財産を没収された)もまた、アンに憤慨したひとりです。結果的にアンは結婚から2年後王に姦通といった罪をきせられ、裁判にかけられ、処刑されることが決まったのです。

 

アン・ブーリンの処刑

アン・ブーリンは悲劇の王妃か、狡猾な魔女か(ロンドン塔のアン:Wikipedia)

アンは同年5月19日、ロンドン塔にて斬首刑に処せられました。5月2日に逮捕されたアンは、ロンドン塔へのはしけに乗せられ、塔の入口の中でも最も悪名高い 『裏切り者ゲート』 の下を通ったといいます。

アン・ブーリンは悲劇の王妃か、狡猾な魔女か

当時のイングランドは斧を使って斬首していたのですが、『剣での斬首を懇願するほど、アンは斧での執行を嫌がった』ので、ヘンリー8世は小さな慈悲として処刑人に「剣」を使わせたいいます。

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あとがきにかえて

アン・ブーリンは悲劇の王妃か、狡猾な魔女か(Amazon ホームページより引用)

何が本当だったのか、真実は彼女にしかわかりません。それだけに色々な物語がそこから派生し、彼女の人生に魅了されていくのかもしれません。映画『ブーリン家の姉妹』では、

memo『アンと妹メアリーの父と叔父が王に近づこうとするのに娘を利用するが、意志の強いアンが暴走して「王妃にしてくれないと、あなたのものにはならない」と王を誘惑、結果として王妃とドタバタ裁判が起こり、収拾がつかなくなった自体に王が憤慨してアンを死刑に処す』

といったいかにも宮廷らしい生々しいストーリーが描かれていました。

美貌と知性を持ち合わせ、王の興味をひいたアン。それが故に王妃になれたものの、仇となって悲しい最後を迎えた女性。その後アンの娘エリザベスはイングランドを長く統治することに成功しますが、母親を反面教師にしたのか一生涯独身を貫きました。宮廷の血みどろの争いを見て、「こうはならぬ」とどこかで腹をくくっていたのかもしれません。もちろんアンは娘がのちのイングランド女王になることなど知るよしもなくあの世へ旅立ったのでした。(アンの娘についてはこちら【ヴァージンクイーン】悲劇の王妃の娘, エリザベス1世の波乱万丈な人生をご参照ください)

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