【鹿の園】国王のための売春所、イケメン王ルイ15世のために造られた娼館

フランスの歴史

フランス王ルイ15世のために、公妾ポンパドゥール夫人がヴェルサイユの森に開設したとされる娼館。そこでは名を伏せて訪れるルイ15世に、性的な奉仕が行われていました。この記事では、秘されていた秘密の娼館「鹿の園」についてみていきたいとおもいます。

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秘密の屋敷

鹿の園は、ルイ15世のために造られた”秘密の屋敷”です。

多くの若い女性たちがそこに招待され、目を伏せてやってくる国王に対して性的な奉仕が行われていました。「妻を愛することは格好悪い」といった風潮があったフランス宮廷、ルイ15世は倣いどおり妻であるマリー・レクザンスカに、愛情を持つことはなく、公妾に愛を注ぎました。

代表なのがポンパドゥール夫人であり、しかし彼女は年を重ねるにつれ、国王の夜の相手をすることが出来なくなっていきました。そこで建設されたのが「鹿の園」だといわれています。

ドレスや宝石を与えられて

鹿の園が建設され始めたのが1750年です。

この場所は、彼の住まいであるヴェルサイユ宮殿に近い、フランス北部のリュエイユにありました。国王は、ここに多くの若い女性たちと欲望のままに楽しみを得ました。国王の相手をした女性にはドレスや宝石を与えられ、ここには多くの財産が費やされたといわれています。

鹿の園は、広大な敷地に建設されたまさに”秘密の屋敷”でした。

この屋敷には、多くの客室や寝室があり、王は若い女性たちと気の向くままに過ごすことができました。また、彼女たちは、名を伏せた国王と一緒に食事を共にし、音楽を楽しんだり、一緒にダンスを踊ったりすることも出来たといいます。

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鹿の園の目的

「鹿の園」を建設した目的は多くの若い女性たちを招待し、国王の欲望を満たすことでした。またポンパドゥール夫人にとっては、身体の関係がなくとも「公妾」というであり続け、権力を誇示するために必要なものでもありました。国王の寵愛を独占し続け、かつ新たな愛妾が生まれないようあてがったのがこの「娼館」だったというのです。

しかし、これはフランス国民にとって、彼が好ましくない王であることを証明するものでもありました。多くの人々は、ルイ15世が自分の欲望のために多くの財産を費やし、国家予算を浪費していると非難しました。また、これは王としてのイメージを損ねることになったとも言われています。

「鹿の園」では、当時の風俗に反する行為が行われていたといいます。ルイ15世が好む美女たちが多数招かれ、その中には、王妃マリー・レクザンスカの侍女たちもいました。これは、王妃に対する侮辱であり、フランス国民にとっても許しがたいことでした。

代償の見返り

ルイ15世の行動は、彼がフランス国民に対して無責任であると非難を浴びました。

多くの人々は、「低俗な行為で王室の権威を損ない、国家予算を浪費することを許すことはできない」と考えたのです。といっても、そんな声で国王が変わるはずもなく、ルイ15世は「鹿の園」に通い続けました。屋敷を使わなくなったのは、ポンパドゥール夫人が亡くなり、デュ・バリー夫人が公妾に就くに伴ってだったといいます。

ルイ15世と娼婦の間に生まれた子には年金が保障されました。男子は将校に取り立られ、女子には良縁を取り次ぐなど厚遇が約束されていたといいます。

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まとめ

「鹿の園」はフランス革命の前夜に取り壊され、その歴史は幕を閉じました。

しかし、その存在は、フランス王室の堕落や財政的な無駄遣いに対するフランス国民の不満を表す象徴的な場所として残っています。 今日、ルイ15世が建設した多くの美しい建築物や庭園は、フランスの文化遺産として、多くの人々に愛されています。しかし、鹿の園のような彼の非難を浴びた行動は、彼の歴史に残る汚点として、今なお語り継がれているのでした。

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管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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