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【今更聞けない、ポンパドゥール夫人とは】可憐にみえて闇深い寵姫の世界

 
ポンパドゥール夫人とは
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謎の女性。歴史の中の人物像を徹底的に知りたがる世界史オタク。絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

フランスに存在した悪名高き『寵姫制度』、これは国王が公式に愛人をもてるという制度です。日本や中国には大奥や後宮があり、そこで側室が産んだ子供が後を継ぐこともありました。しかしキリスト教国においては結婚は神聖なものですから、、そうして結ばれた王妃の子供のみが『世継ぎ継承権』を持つことができたのです。

ポンパドゥール夫人とは

つまり大奥や後宮がないかわりに、うまれたのが「公式寵姫」だったのですね。有名なところだと、ルイ15世の寵姫であったポンパドゥール夫人、その前代にはルイ14世の寵姫モンテスパン夫人などがおりました。ポンドゥール夫人といえば、この豪華に盛られた髪型とロココ調のドレスが特徴ですが、実際にはどんな人物だったのか。この記事では公式寵姫として宮廷を牛耳った彼女に焦点をあて、寵姫の世界を覗いていきましょう。

正式にはポンパドゥール公爵夫人とよばれていますが、以下ポンパドゥール夫人で統一します

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町民の娘から『公式寵姫』となった、ポンパドゥール夫人

町民の娘から公式寵姫に上り詰めた、ポンパドゥール夫人

本名ジャンヌ・アントワネット・ボワソン、そしてポンパドゥール夫人として知られている彼女は、1721年パリの商人の娘にうまれました。そして年頃になり、裕福な金融業者の甥でティオールの元へ嫁ぎました。早くからその美貌は注目の的となっていたわけですが、幼い日に「お嬢さんはいつか国王の寵姫になられます」と予言を受けた彼女は、野心を掻き立てられひそかに機会を狙っていたとも言われています。

Louis XV

ポンパドゥール夫人は舅からセナールの森の別荘を貰い受けるのですが、その森によく狩りにきていたのがルイ15世でした。

 

森の妖精に扮して、国王を戦略的に待ち伏せ

ポンパドゥール夫人とは

ポンパドゥール夫人は薔薇色と青色の2台の馬車を用意させました。そして彼女は、薔薇色のドレスのときは薔薇色の馬車を使い、青色のドレスのときは青い馬車で国王を待ち伏せしたのです。

やがて、廷臣達の間で「あれは森の妖精ではないか」と噂が流れその妖精が国王と対面したのがパリで行われた仮装舞踏会でした。これには宮廷人だけでなく、上流市民も仮面をつけて参加することが許されていました。舞踏会でンパドゥール夫人は、狩りの女神ディアナの衣装を身につけ、四角い布を折って体に巻き付けた姿で現れました。

ポンパドゥール夫人とは

そして、悪戯っぽく悪い愛の矢を片手にもって国王に近づいたそうです。森で出会ったあの「妖精」が彼女だと気づいた国王ルイ15世は瞬く間に、ポンパドゥール夫人に夢中になりました。

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公式寵姫の座を得た、ポンパドゥール夫人のその後

ポンパドゥール夫人とは

 

そして国王が彼女を寵姫として所望したとき、意外にも乗り気だったのは舅 (義理父)だったといいます。

貴族

一方留守の間に妻をとられた夫は、知るや否や気を失ってしまったとか。その後は激情して暴れまくり、ヴェルサイユに連れ戻しに行くと息巻いたそうですが、パドゥール夫人を宮廷に送った見返りに上級参事官の地位と年間40万リーヴルという途方もない高収入を得ることができたのでした。

 

 

町民娘からの大出世、湯水のようにお金を使い

ポンパドゥール夫人とは

ポンパドゥール夫人に寵姫としてふさわしい作法を身につけさせるため、何人もの教育係がつきました。しかし宮廷は町民出身の彼女を冷ややかに迎えます。身のこなし、歩き方、話し方のひとつひとつが噂の的になり、何をしても「下級の出ですから」とまとめられることも多くありました。

しかし公的なポジションについたポンパドゥール夫人が19年間の寵姫時代に使ったお金は、3,600万リーブル (約934億) だったとか…。彼女は寵愛をいいことにお金を湯水のように使い、各地のお城や別荘、宝石や絵画を買い漁りました。また私的な激情を建築させたりして、自分が主演する素人演劇にもお金を注ぎ込んだそうです。

 

自ら国王のために、ハーレム作り

ポンパドゥール夫人とは

しかし実際のところ、ポンパドゥール夫人が国王の愛人であったのは最初の5~6年だけだったと言われています。国王は「愛されたい人」だったそうで、段々と応えられなくなった彼女は国王のためにハーレムを作りました。

ヴェルサイユの街の一角にある「鹿の園」という館に、国王の相手をする娘たちが都度集められました。彼女達は主に親に売られたり、誘拐された庶民の娘達。彼女たちはルイ15世を国王だとは知らず、合計で300人近くに達したそうです。庶子の数は60人以上にのぼりましたが、そのままでいるよりは、鹿の園へいったほうがはるかにましな生活ができたといいます。こうしてポンパドゥール夫人は寵姫としてだけでなく、「国王のよき友達」として、立場を変えぬまま宮廷に君臨することに成功したのでした。

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陰で政治を動かした実力者としても名高い、ポンパドゥール夫人

ルイ15世とポンパドュール夫人  

こうみると浪費癖のあるしたたかな女性にみえますが、ポンパドゥール夫人は、女性にばかり現を抜かすルイ15世のかわりに政治を動かしていました。その力はオーストリアのやり手の女帝マリア・テレジアも認めるほどで、彼女は当時の要となる外交政策を夫人へ打診しています。

マリアテレジアのペチコート作戦とは(参考記事:【マリーアントワネットの美母】史上唯一の女帝マリア・テレジア)

マリア・テレジアは女帝といわれたやり手の君主、マリー・アントワネットの母親としても知られています。ポンパドゥール夫人と、マリア・テレジア、そこにロシアのエリザヴェータがくわわりたてられたのがプロセイン包囲網。当時勢いがあったプロセインの侵略を防ぐため、各国やり手の女性が同盟を結び乗り切ったことから、これは3枚のペチコート作戦ともいわれています。

 

あとがきにかえて

マリー・アントワネット (フランス革命前後の絵画) (参考記事:【マリー・アントワネットの最後】赤字夫人と呼ばれた王妃の生涯 (処刑編))

ちなみに次王ルイ16世は、決断には乏しかったものの、公式寵姫をもつことはありませんでした。寵姫は切り捨てることができますが、王妃となるとそうはいきません。ポンパドゥール夫人が派手な生活を自由に遅れたのは、皮肉なことに「王妃」ではなく、「寵姫」の立ち位置にとどまっていたからでした。

一方『王妃』の立場で贅沢三昧の日々をおこなったマリー・アントワネットはというと、国民の怒りを全て買い、結果として国王一家全員が逮捕。最後は国王も王妃もギロチンにかけられるという、前代未聞の最後を迎えたのでした。

しかし事実として、ルイ16世の時代が来る前に前王であるところのルイ14世、ルイ15世の出費がかさみ国庫は火の車であったといいます。その中にはもちろんポンパドゥール夫人の消費もふくまれています。自分の浪費、散財が次王たちを追い詰め悲惨な最期を呼ぶことになるとは、さすがの計算高き寵姫ポンパドゥールも想像できなかったのかもしれません。

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参考文献

 

 

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