【ルイ14世の寵姫モンテスパン夫人】天国から地獄へ突き落とされた一部始終

フランスの歴史

かくして国王の愛人となり悲惨な末路を迎えた女性は多いものですが、中でもとくに惨めな最後を迎えたのは太陽王ルイ14世の公式寵姫モンテスパン夫人でしょう。ルイ14世はスペインから嫁いだ王妃マリー・テレーズを尻目に、の嫁であるヘンリエッタ、彼女の侍女であるルイーズなど多くの女性に手をつけ浮名を轟かせていました。

その中でもとくに長く『寵姫』の座に居座り続けたのが妖艶で豊満な美女、モンテスパン夫人です。この記事では、他者を踏み倒し、夫を退けヴェルサイユで栄華を極めたモンテスパン夫人が最後どうなったのかを見ていきたいと思います。

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モンテスパン夫人とは

モンテスパン夫人

モンテスパン夫人は、太陽王と呼ばれたルイ14世の公式寵姫です。

国王の寵愛を受けた女性は宮廷で特別扱いを受けましたが、情愛がなくなれば足場を救われるという非常に不安定な立場でもありました。モンテスパン夫人は国王との間に7人の子供を授かり、豪華な館やお城が与えられました

ヴェルサイユ宮殿でも大きな顔をしているのは王妃よりモンテスパン夫人でしたが、けして安定した立場にはありませんでした。国王が一番訪れるのはモンテスパン夫人の部屋でしたが、ルイ14世の浮気はやまなかったからです。そういった事情もあってか、モンテスパン夫人はライバルを威圧し毒殺するなど、手段を選ばず『寵姫の座』にこだわり続けました。

王妃や夫、周りを敵に回す激しい気性

モンテスパン夫人 (モンテスパン夫人)

モンテスパン夫人は情緒が激しいことで知られておりまた嫉妬深い性格で、ルイ14世と会う前に、国王の前寵姫に髪結いを手伝わせるなど、見せつけのような屈辱的な仕打ちをあえて強いることもありました。1675年、国王が王妃の女官たちに関心を抱いていることを知ると、モンテスパン夫人は長い間をかけて娘たちを全員老女へとすげ替えてしまいます。

傲慢な態度は侍女にも、王妃にもそして夫にも同じでした。全く戻ってこない妻に夫のンテスパン公爵は激情して、「俺の妻は死んだのだ」と空の棺を用意して夫人の葬式を行ったといいます。

 

フォンタンジュ嬢毒殺事件、浮気相手への酷い仕打ち

マリー・アンジェリク・ド・フォンタンジュ (マリー・アンジェリク・ド・フォンタンジュ)

ルイ14世が目に留めた娘はたくさんいましたが、すぐに飽きることが多く長くは続きませんでした。しかしもちろん、国王が新しい娘に本気になりかけた瞬間もありました。それが当時18歳だった麗しの美女フォンダンジュ嬢。激昂したモンテスパン夫人は王の目の前で「子供を八つ裂きにしてやる」と脅したそうです。

フォンタンジュ嬢は国王の子供を授かりますが、まもなくして流産。それだけではなく、ひどい出血が続き華奢な体が異様に腫れ上がるなど毒らしき影響をうけ半年後に亡くなってしまいました。

宮廷ではモンテスパン夫人による毒殺説が疑われました。というのも当時モンテスパン夫人は40歳に近づき、何人もの出産を経て容色も衰えかけていたのです。自分の宮廷での地位が脅かされるのではないかと、フォンタンジュ嬢に危機感を覚えた夫人が侍女に命じて彼女の皿に少しずつ毒を持っていたというのが一部の見解でした。

黒ミサへの関与と、モンテスパン夫人の没落

Black Mass (参考:【モンテスパン夫人】闇に身を落としたルイ14世の元寵姫)

やがて、モンテスパンの栄華に曇りが見え始めます。発端は1979年に起きた「ルイ王朝毒薬事件」、有名貴族や貴婦人が連行されパリ中が大騒ぎとなったあの事件です。容疑者となったのは、名高い毒薬使いのラ・ヴォワザンでした。

La Voisin (ラ・ヴォワザン)

彼女は宝石商の妻であり、自宅に貴族や貴婦人を招いてパーティを開いたり人生相談に乗ったりしている人物でした。しかしそれは表向きの顔、豪華な客間の奥には毒薬実験室や黒ミサに使う道具や人間を焼いたらしい大釜が見つかったのです。捜査の結果、全ての黒幕はラ・ヴォワザンであることがわかりました

 

明るみに出た黒ミサへの関与

モンテスパン夫人

事件の真相が究明されていくうちに、ラ・ヴォワザンの一連の事件にモンテスパン夫人が加わっていたことがわかりました。ラ・ヴォワザンは火炙りに処されましたが、その娘により「モンテスパン夫人はたびたび訪れ、ラ・ヴォワザンから媚薬をもらって国王に飲ませたり、怪僧に黒ミサをあげてもらったりしていた」ことが証言されたのです。

フォンタンジュ嬢にその地位をとられそうになったとき、モンテスパン夫人はあろうことか国王の毒殺まで企てていたことがわかりました。国王はショックを受けいったいどれほどの媚薬をもられたのか恐ろしくなったといいます。しかしこれは国の一大スキャンダル、側にいて信頼していた女性が裏切っていたなんてことがしれては、国王の面目が立ちません一派は逮捕されましたが、モンテスパン夫人の件は極秘裏に処理されることとなりました。

没落した寵姫

不倫の末の悲惨な末路

モンテスパン夫人

フランスは「結婚は神聖なもの」とするキリスト教国。不倫はよくない、関係は解消するべきだという教会の言葉を無視し、夫へも不義理を貫いたモンテスパン夫人。前寵姫ルイーズを蹴落とし、自分の立場を確固たるものにすべく数々の娘を悲惨な道へと送ってきました。

そんな彼女への復習は、思わぬところからやってきます。出てきたのは、国王との嫡子であり21歳になったばかりのメーヌ公でした。彼は3歳の時に小児麻痺にかかり足に思い障害を負ったのですが、外見をひどく気にする宮廷では冷遇を受けました。「国王が欲するのは、母である私ではない」としてモンテスパン夫人も実の息子でありながら冷たく接していたのです。

それを長いこと恨めしく思っていたメーヌ公は、国王がモンテスパン夫人を宮廷から追放すると聞いて、喜び勇んで自ら母へ伝えようとしたほどでした。

 

伝えられた宮廷追放

モンテスパン夫人

国王がモンテスパン夫人へ王宮を去るよう命じた時、夫人はヒステリックに取り乱しました泣き叫び王を罵りましたが、国王は特に反応せずじっと絶えていたそうです。結局宮廷を引き下がり、サン・ジョゼフの修道院へ引退することになったモンテスパン夫人。

これまで彼女が使用していた部屋は、息子のメーヌ公に与えられることになりました。メーヌ公は男たちに命じてすぐさま引越し作業を開始させました。今までモンテスパン夫人が集めてきた豪華な家具はたちまち鋪道に打ち捨てられ、それまでの栄華は影も形もありませんでしたモンテスパン夫人は真っ赤に泣き腫らして、これまで自分が女王のように君臨してきた宮殿を逃げるように立ち去ったのでした。

 

夫にも見放され、なくなった最後の居場所

モンテスパン夫人

修道院に引きこもった彼女は、かつて捨て去った夫に宛てて手紙を書きました

私はお前を受け入れるつもりはなく、何らかの指図をする気もない。お前のことは2度と見たり、聞いたりもしたくない。

司祭に説得され夫に無礼の許しをこい、できれば夫の元へ帰りたいと意思を伝えたのです。しかし夫からきたのは、冷淡な返事でした。そして自分の領地にこもっていた夫モンテスパン公爵は、皮肉なことに夫人の引退の後ヴェルサイユ宮廷への復帰を許されたのです。

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追放されたとはいえお城や領地をいくつも手にしていたモンテスパン夫人は、フランス有数のお金持ちではありました。しかし宮廷への復帰は許されず国王の情愛も皆無。夫も失い後ろ盾もない彼女にとって、残されたのはとても寂しい日々でした。

モンテスパン夫人の最後

モンテスパン夫人

ぽわとーに購入したワロン城をモンテスパン夫人はルイ14世のための神殿へと作り替えました。国王のために、王冠が装飾された豪華な天蓋つきのベットや、国王自身の居室が作られましたが国王がそこをおずれることはありませんでした。んなに過去の幻影を追っても、過去は過去でしかないことがわかったのは数年後のことです。

夫人は侍女たちに眠っている間も本を読ませたり、トランプをさせたり、たくさんの灯りをともしたり夜を避けながら生活をしていました。転機を迎えて、養老院を創設したり、信仰や奉仕活動にも専念するようになりましたが、1707年、湯治のために滞在していたブルボン・ラルシャンボーでついに息を引き取りました。豊満な美女として国王を虜にし贅の極みを尽くした彼女の終わりは、あまりにも侘しいものでした。

あとがきにかえて

モンテスパン夫人

死後、モンテスパン夫人の遺体は酷い扱いをうけました。

誰が葬儀を行うか人々が言い争っている間に、彼女の遺体は扉の前に放ったらかしにされ、寄贈される予定だった膵臓は道に打ち捨てられました。ようやくモンテスパン夫人の生まれ故郷の教区が引き受けることが決まった時には、ひどく貧相な葬列が組まれたそうです。

この話を聞いたある貴族は、「あの女にもはらわたがあったのか」と高笑いしたとか。結婚は神聖なものであり、結婚外での男女の関係は由々しきものとして反対し続けた神父を嘲笑い、夫も子供も放置して好き放題にふるまったモンテスパン夫人。彼女は長い間国王の寵愛をいいことに王妃を見下し、宮廷に集まった貴族女性を従えてヴェルサイユを我が物顔で歩き支配していました。寵姫として栄華を極め切った彼女でしたが、最後の最後に自分が貯めてきたツケを一気に支払うことになったのでした。上り詰めた時こそ落ちた時の衝撃は凄まじいもの、自分の立ち位置を顧みず好き勝手振る舞うと痛い目にあうことを象徴するようなストーリーでありました。

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