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【フランス ヴェルサイユ宮殿の裏の顔】18世紀 驚きの衛生事情

2020/02/20
 
18世紀 ヴェルサイユ宮殿の驚きの衛生事情
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

ルイ14により建設されたヴェルサイユ宮殿。ヨーロッパだけでなく、ロシアの王族「これこそが王の住まいだ」と憧れ、皆こぞってフランス文化を取り入れました。しかしそんな憧れの的とされた宮殿ですが、18世紀の衛生状態はとても見るに耐えないものだったといいます。この記事では「憧れのヴェルサイユ宮殿」の清潔とはかけはなれたリアルな生活をみていきたいとおもいます。

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ヴェルサイユ宮殿にある、湯殿の間

ルイ14世のバスタブ クロードロジャーによる写真(ルイ14世のバスタブ クロードロジャーによる写真 画像引用元: http://partylike1660.com/17th-century-hygiene-or-the-many-smells-of-versailles/)

ヴェルサイユ宮殿には『湯殿の間』という、大理石の塊から削り出した豪華な八角系の浴槽があります。底にはふたつの穴があり、そこから水を汲み上げることができたそうです。もちろん「豪華絢爛な王の城」ですので、金と白の板張りだとか、温水装置付きの浴室があったのですが、当時の人々に今とからわぬ入浴習慣があったかというと、そうではないのです。

 

とにかくお風呂にはいらない

 ヴェルサイユの女王の部屋(ヴェルサイユ宮殿の女王の部屋)

風呂が好まれなかったのは、

  • 梅毒やペストの発生源とみなされていたこと
  • 風紀が乱れるという理由で聖職者の反感があったこと、
  • 者が入浴すると頭は鈍く身体は脆弱になり、毒素が皮膚から浸透すると説いた

といった当時の衛生に対する誤解があったからです。ただでさえ多くの人が住んでいましたし、空気も荒んでましたので病気が蔓延するのも無理はありませんでした。

17世紀後半のジャンデュードサンジャン(17世紀後半のジャンデュードサンジャン)

ただそのままかというとそうでもなく「ベッドから出たら手と顔を洗う」ということは普通でした。その後身体を「擦る」ような形で洗うのですが、それに濡れた布を使用した人もいれば、香水でこすり落とす人もいれば、最も安全と言われたアルコールを使用したひともいたそうです。ちなみにルイ14世は香水嫌いで、アルコールに浸した布を好んだそうです。

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風呂嫌いのルイ3世と、ルイ14

風呂嫌いのルイ3世(画像:左がルイ3世、右はカルロマン2世)

ルイ3世は宮廷医から「2,3ヶ月に一度くらいは、髪を櫛でとかしなさい」と忠告をうけており、ルイ14にいたっては大の風呂嫌い。風呂には入らないけれど匂いは気になる、対策としてシャツを15回も取り替えていたというんですからおどろきです。

ルイ14世の風呂嫌い

草を取るには根を除くべしといいますか、目に見える部分を繕っても、その根本の部分の欠点や悪い部分を取り除かないと結局意味がないという、教訓にもみえますね。

 

客を浴槽でもてなした、マリー・アントワネット

フランス、ヴェルサイユのヴェルサイユ宮殿のギャラリーデグラース(鏡のホール)(フランス、ヴェルサイユのヴェルサイユ宮殿のギャラリーデグラース(鏡のホール))

とはいっても、マリー・アントワネットがオーストリアから、和解の印としてフランスに嫁いだ頃になると、「入浴は悪しきもの」という風習は消え、入浴の効用も認められはじめていました

1781年に描かれたマリーアントワネット(1781年に描かれたマリーアントワネットの肖像画)

しかし一方で、世話係からマリー・アントワネットの母マリア・テレジアへ「王妃様はひどく不潔で、歯も磨いていないのです」という報告もあったそうですから、いまほど清潔ではなかったのかもしれません。

マリーアントワネット展 アントワネットのバスルーム(マリーアントワネット展 アントワネットのバスルーム)

ただアントワネットは本当にお風呂がすきだったのか、専用のお風呂係がついており、薄物をまとって浴槽にはいったまま来客をもてなしたという記録ものこっています。

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舞踏会では、まさかの自分トイレを持参

 ニコラス・コーチンによる鏡のホール(1745)の仮面舞踏会(ニコラス・コーチンによる鏡のホール(1745)の仮面舞踏会)

貴族を監視するため、という目的もあり、様々な人が住んでいたヴェルサイユ宮殿王族や大貴族には水洗トイレが備わっていたそうですが、中小貴族や、家臣にはそんな大層なものはなく舞踏会にいたっては携帯トイレ的なものを持参して、中身は庭に放置するなどといったことも行われていたようです。更に「風呂は悪しきもの」という人が集まっているものですから、その匂いは想像を絶するものだったようです。

 1669年、アダム・フランソワ・ファン・デル・ミューレンによるヴェルサイユ宮殿の建築(1669年、アダム・フランソワ・ファン・デル・ミューレンによるヴェルサイユ宮殿の建築)

またヴェルサイユ宮殿の建設中 (増築含む) は、チリやホコリがすごくすぐに汚れてしまったり、苦労も多かったそうです。余談ですが、ヴェルサイユ宮殿自体人が溢れていろんな人が出入りしていたことから泥棒も多かったともいわれています…

 

パリ都市部も、ありえない悪臭に包まれていた

 1675年に庭に面した宮殿のファサード テラス (ヴェルサイユ宮殿 1675年に庭に面した宮殿のファサード)

王侯貴族が住まうヴェルサイユ宮殿でさえそんな有様ですから、当時のパリ都市部では、鼻の曲がるような悪臭が立ち込めていたといいます。当時の人でさえトイレの毒気にあてられて、本当に亡くなってしまった人がいるそうだから冗談ではない。法律が整備されて、ようやくどの建物にもトイレが設置されることになっても構造が悪くて台所に隣接したり、排水がうまくいかずに中身が井戸に漏れてしまうこともある、町中がトイレの匂いで溢れてもけして不思議ではなかったのです。

汲み取り人がこっそり下水に汚物を流したり、また外科医たちが盗んだ死体を解剖した後、バラバラにしてトイレへ投げ捨てるなんてこともあったものですから、とても衛生状態が良いとはいえなかったようです。

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あとがきにかえて

18世紀 ヴェルサイユ宮殿の驚きの衛生事情

17, 18世紀のヨーロッパは、英国以外のだれもがフランス文明に憧れた時代でした。どの国の王様もヴェルサイユ宮殿に似た宮殿をたてたがったし、どの国の貴婦人もフランス風ファッションに身を包みました。名門ハプスブルク家のマリア・テレジアでさえ1765年の義理の娘宛の手紙に「ドイツ後でお便りいたします。わたくしはフランス語の方がらくなのですが」とフランスかぶれを匂わせていました

【ロココ風のロシア女帝】エリザヴェータも、フランス王妃の座に憧れましたが夢破れ、ロシアの玉座についたときには、宮殿をフランス風にするといった崇拝ぶり衛生さは欠けていたかもしれないけれど、それでも他の国の王族たちが憧れたヴェルサイユ宮殿。色々な人の人生を見届けてきた豪華絢爛な宮殿、いちど本物を目にしてみたいものです。

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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