【天才たちの軋轢 】努力のミケランジェロと、万能の天才レオナルドダヴィンチの因縁

Michelangelo Leonardo da Vinci 絵画や神話・物語

ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチどちらがより偉大な芸術家だったのか。この議論は彼らが生きていた頃から繰り広げられてきました。レオナルドの弟子ラファエロが戸惑う程になぜふたりの天才はお互いを毛嫌いしたのかこの記事では宿命のライバルと呼ばれたふたりの天才、ミケランジェロとレオナルドの因縁に関しての逸話をご紹介します。

ふたりの天才

レオナルド・ダヴィンチとモナリザ

La Gioconda Francesco Melzi - Portrait of Leonardo

レオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネサンス理想の万能人とされる芸術家。名声をえていたレオナルドの画料は、ミケランジェロよりはるかに高額なものでした。ルーブル美術館に所蔵されている名画『モナリザ』は5世紀前のもので歴史の遺物』だと言う人もいます。それにもかかわらず、どの現代美術作品より多くこの作品の前にはたくさんの人が集まります

解剖学者レオナルドが「唇という筋肉」で冷笑を示した作品。彼女は死すべき女神であり、微笑む古風な人物であり、商人の妻でもあります。彼女のポーズには永遠の必然性があり、まるで彼女が曲がりくねった柱の中に閉じ込められ、完全に調整された螺旋の中で天に向かって回転しているかのようです。

ミケランジェロとダビデ像

Michelangelos_David

ミケランジェロがダビデ像を掘った巨大な大理石は、かつて職人が、あらく削ったまま、サンタ・マリア大聖堂の奥に25年間もフィレンツェの放置されていたものでした。かつて職人が、あらく削っただけで放棄されていたのです。レオナルド・ダヴィンチにも制作の打診がいきましたが、最終的にミケランジェロが彫刻家として選ばれました。

ミケランジェロは13フィートの大理石の石板をゆっくりと掘削しました。以前手にかけた彫刻家の不器用な傷をよく観察し、彼の労力をムダにすることなく、完璧な手足、呼吸する胸骨、その中の鋭い視線を掘り出すことに挑んだのです。

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宿命のライバル

ふたりの会話にみえる嫌悪感

ミケランジェロレオナルドは「お互いへの強い嫌悪感を感じていた」と、伝記作家のワサリは言います。『Codice Magliabecchiano』という匿名の原稿には、次のような話が載っています。

レオナルドが、友人ジョヴァンニ・ディ・ガヴィーナに伴われて、サンタ・トリニタ教会の近くのスピニ・バンクを通った時、男性たちが集まってダンテの一節について話しをしていました人々はレオナルドを見ると「ぜひこちらにきて、一説を説明してほしい」と頼みました。

サンタ・トリニータ教会

ちょうどそこへきたミケランジェロが通りかかりました。レオナルドは 「ケランジェロが説明してくれるだろうと答えました。これは自分を貶めるワナだと思ったミケランジェロはこう答えました。

いいえ、自分で説明してくださいあなたはデッサンだけしてブロンズ像を鋳造することができなかったじゃないですか全く恥ずかしいミケランジェロは背を向けて去り、レオナルドは黙ったまま顔を赤らめました(引用元:quoted in The Notebooks of Leonardo da Vinci, Oxford University Press, 1952,  trans. Irma A. Richter, p.356)

刺ある言葉で、違いを牽制

嫉妬

ここから想像できるのは、レオナルドを当時の人々が知識人だとみなしていたこと。そして才を持っているミケランジェロも、文学的教養においてはレオナルドにコンプレックスを感じていたのではないかということです。たしかにミケランジェロにはすぐに腹を立てるところがありました。しかし、この記事には、なぜレオナルドが彼に文章の説明を求めたのか、どんな口調で求めたのかは書かれていません。

挑発的だったかもしれませんし、嘲笑のように聞こえたかもしれません。それがレオナルドミケランジェロを嫌った理由かもしれませんがミケランジェロのレオナルドに対する態度に嫌悪感も感じられます。嫉妬からではないにしても、なぜ彼はそのような天才を憎んだのでしょうか

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なぜ、天才を憎むのか

偉大な芸術作品

Michelangelo

レオナルドは世界で最も偉大な天才として崇められており、ミケランジェロも彼の評判を耳にしていましたミケランジェロの最高芸術が、『ダビデ』『モーゼ』『ピエタ』『システィーナ』だとしたら、レオナルドにとっての最高作品は『モナリザ』と『最後の晩餐』でしょう。

Leonardo da Vinci

モナリザは、寝室にある小さな鏡ほどの大きさです。レオナルドはそれに何年も取り組みましたが、それでも彼が満足する形になるまでは長い時間がかかりました。しかし、芸術作品の大きさは問題ではありません、それに偉大な絵画の多くは小さいものです。逆に最後の晩餐は460×880 cmと大きく、レオナルドは6年間かけて制作に挑みますが、キリストの正しい道が見つからず断念しました。彼はスケッチを描き続け、丸一日壁を見つめて過ごしたといいます。

ミケランジェロの過酷な生涯

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ミケランジェロはただ『デザインしていた』だけではありません。寒い山に行き大理石を手に入れなければならず、それを見つけて切り抜いてカートに載せそれからはしけに載せて100マイル離れた作業場に持っていかなければなりませんでした。時には山を通る道を作らなければならなかった。「もうそろそろ終わりです」と彼はセラヴェッツァから書いています。

ほかにも過酷な日常を、彼はこのように記しています

letterあと1つの大きな石が削り取られると、カートはさらに100フィート進むことができる」「危険だった」「今朝、作業員の一人が倒れて首を骨折しました。私ももう少しで死ぬところだった」「大きなブロックがぶら下がっていたチェーンがまた壊れた」「私たちはとても幸運だった

不運のミケランジェロ

過酷な現場と、後援者に振り回される日々

Michelangelo

彼は後援者に無下にされることも、しばしば経験していました。教皇ユリウスは彼を8ヶ月間カララに送って墓のための大理石を手に入れた後、依頼をないものとしましたし、次の法王である教皇レオは、彼を3年間セラヴェッツァの丘に送った後、またもや依頼をキャンセルしました。ミケランジェロの最盛期のうち、少なくとも5、6年間は採石場に費やされていたのですから、プロジェクトが無になったときの気持ちははかりしれません。

大理石を持ち帰ってから彫刻するのも、とてつもない重労働でした。彼は一日中ハンマーを振り回したり、ほこりをかぶって咳をしたりしていたのですが、疲れ果てて眠れないことも多かったといいます。降ろすまで少しでも時間があれば、彼は像が置かれる建物や墓の設計、あるいは彼の庇護者が言ったことについて考えました。そして呟くのです、「像がきれいに見えてよかった」と。

大作をつくるも、無下にされ

ユリウス2世

教皇ユリウスがミケランジェロに命じて巨大なブロンズ像を作らせました。しかし14ヶ月後にミケランジェロがこの像のモデリングを終えた時、ブロンズの鋳物師は像をだめにしてしまい、ミケランジェロは像の一部を作り直すことになったのです。

彼はそれを完成させますが、4年後それは溶かされ大砲に作り変えられました。大仕事であったのに彼の最盛期の2年間はあっという間に失われたのです。ボローニャで働いていたときには彼は他の4人の労働者と同じ部屋の安いホテルに住むことになり、不快感とプライバシーの欠如にひどく苦しんだといいます。

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あとがきにかえて

Michelangelo

彼には簡単なことは何もありませんでした。事物にも人にも、障害物だらけの人生だったのです。彼はフレスコ画を独学で描き、3000平方フィートの天井に300もの人物を描きました。彼はどんな時でもめげませんでした。おそらく、他の誰もこのような過酷な人生を乗り切ることはできなかったでしょう

彼は超人的な体力と、超越した責任感を持って、いくつもの芸術作品を作り上げました。彼にしかできず、彼がしなければいけない仕事があり、それをこなしたいと彼が望んだから、今私たちは至高の作品を目にすることができます。

Gioconda :Michelangelos_David

万能の天才といわれたレオナルドは高価な絵具を使い、生きている間も後援者に手厚い保護を受け、その高い評価は生前も死後も変わらないものでした。微笑むモナリザと、厳しい顔をしたダビデ像はふたりの人生を示唆するものだという評論家もいます

「ミケランジェロは絵画は彫刻的であれ」と述べレオナルドは「絵画を優雅で数学的な芸術」と考え、お互いが自分の芸術こそ高尚なものであると考えていた節が垣間見れます。ふたりの天才、才は比べようがなくとも、周りの評価や扱いに違いが出たからこそミケランジェロは彼を嫌ったのか、自分の芸術を突き通したプライドだったのか。そんなふたりが同じ時代に生まれ、のちに三代巨匠としてまとめられるのもまた運命の悪戯といえるのかもしれません。

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